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ぼけっと生きるのは

須磨海岸中央広場で開催された「BOKETTO」というイベントに参加してきた。地元のお店や作家さん、商店などが出店する、海に似合うあたたかなイベント。気温はめちゃくちゃ寒かった。

おいしいホットサンドが売っていたり、中学生が包丁砥のお仕事をしていたり。こどもが店主として出店しているお店もあったからか、海辺の広くないスペースは家族連れでにぎわっていた。砂浜を元気に走り回るこどもたちが、とてもかわいかった。


よくいく素敵な本屋さんもこのイベントに出店されていた。
ブースへ挨拶しにいき、(イベント恒例だという)店主さんの完全手作りの手折り本をいただいた。


特別感!うれし!


手折り本は、「ぼけっと生きる。それってどういうことだろう」ということばからはじまる、とっても心にすっと入る本だった。すごくすごく好きだった。

そして、「ぼけっと生きる」ということ、それはわたしにとってはどういうことか、考えてみたいなと思った。ぼけっと生きる。優しい響き。



ぼけっと生きるとは

ぼけっと生きるって、わたしはすごくいいなと思う。怠惰とかなまけものとか、そんなことばとはまた違う感じがする。ぼけっと生きると、なんだか心に吹く風を感じやすくなる気がする。感性の扉が開く感じ。

夜に部屋でぼんやり外の暗闇を見つめる。海辺で目的もなく風に吹かれる。布団にころがり自分の呼吸だけを感じる。

こんなとき、すごく心地いいなと思う。そして、「生きているな」と感じる。

ぼけっと生きること、それはつまり、わたしにとっては生きている実感を一番確かに感じられる生き方かもしれない。暗闇のなかにいる自分、風に吹かれる自分、ぬくもりに包まれる自分。そんな自分を実感して、頼りなさに笑って、世界って美しいんだなと思う。そんなひとときを過ごすのは、人生の中での大事な時間だ。

一方、ぼけっと生きたいと願いながら、何かに熱中したい自分もいる。
目の前のことに情熱を燃やせる瞬間が大好きだ。大好きを手元に込めて、大好きを形にして、大好きを届ける。そんな時間をたくさん持ちたいと切実に求めている。

ぼけっと生きることと、瞬間に情熱を燃やすこと。
ふたつは両端のようで、似ているのかもしれない。世界の美しさを感じるぼけっとする時間、大好きの中に溶け込んで自分が全部の一部になる時間。
どっちにしても、自分と世界の境界が溶けている感じがする。うまく言えないけど。

心をみつめて、ぼけっとしたり、情熱を燃やしたり。
よくばりだから、どっちもほしい。どっちもしたい。
目の前、心の中、ぜんぶにまっすぐ向き合える今が、すごく愛おしい。


うれしいがたくさん

BOKETTOの本屋さんブースを訪ねたとき、本屋さんつながりで一度お話したことがあるお姉さんと再会することができた。うれしい再会。

本の話をしたり、習い事の話をしたり。
一緒にカフェに行き、カフェ店主のお兄さんも含めて、楽しくお話しさせてもらった。好きにまっすぐで、関心が深くて、行動力があって、すごいなと思う。わたしもこうありたい。わたしも楽しく頑張るぞ、といい刺激をもらった。

うまぁ


お姉さんが帰られたあと、おなかがいっぱいだったのもあり、そのまましばらくカフェで過ごさせてもらった。カフェのお兄さんは聞き上手で面白くて、ついつい色んな話をしてしまう。たのしいことから辛かったことまで、こんなにお店の人に話したのは初めてだった。カウンター席の魔法です、って言っていたけれど、絶対にあなたの人柄が良いからです。

コーヒーについていろいろと教えてもらい、飲み比べもさせてもらって、昔コーヒーについての知識不足(?)で怒られたときの傷が癒された。コーヒー、面白いわ。


味と香りの違いがわかってうれしい


最近、お店やイベントやなんやかんやで知り合える人たちが、ほんとうに素敵な人たちばかりで、今振り返ると泣きそうになるくらい、ほんとうに恵まれているなと心が震える。ずっとまえからそばに居てくれている人たち、今出会えた人たち。感謝を抱きしめながら大切にしていきたい。ほんと、今日まで生きててよかった。


今日の感謝

すてきな人たちと縁することができたこと
まわりに優しさが溢れていること

・書く仕事をわくわくしながら続けている。書く先に愛や優しさが広がる。
・太陽みたいにあたたかくて、優しくて、凛とした人になる。大切なものを大切にできる愛と強さ。
・愛のある開かれた場所をつくる。

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