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プロフェッショナルが礼儀を忘れるとき|阿部詩の涙に想うこと

パリ五輪・柔道52キロ級二回戦

東京五輪金メダル阿部詩(日本)と、
世界ランキング1位ケルディヨロワ(ウズベキスタン)が激突。

前回大会の女王と世界ランキング1位の戦い。
それ決勝じゃないんかーい!

両者ともメダル候補、
というよりは金メダルしか見えていなかったはずだが、
ここで負けたら敗者復活にすら進めず、
メダルすら絶望的になる状況。

2分41秒で阿部詩が内股で技あり
指導ケルディヨロワ2回、阿部詩に1回。

このままなら阿部詩が優勢勝ち。
ケルディヨロワはあと指導1回で負け。

阿部詩が優位に見えた。
このまま逃げ切れば阿部詩の勝ちだ。

ところが。
試合終了まで1分を切った「3分4秒」。

ケルディヨロワが谷落としで一本勝ち。

一瞬で勝負が決まってしまった。

呆然とする阿部詩。
どうにか畳の上では冷静さを保ち、
ケルディヨロワと握手を交わしたものの、

畳から下りるなり、
コーチの胸元にしがみつく阿部詩の悲痛な号泣が、
オリンピック会場に響き渡った。

その間、勝ったケルディヨロワは無表情
無表情というより、呆然。

全然嬉しくなさそうだった。

何事もなかったかのような、
むしろ自分が負けたかのような表情

翌日、ケルディヨロワが語った言葉によれば、

「阿部詩を尊敬しているから、
彼女の前で喜びたくなかった。」


相手・阿部詩へのリスペクトから、
笑顔を見せなかったというケルディヨロワ。

さすが世界クラスの柔道家は違う。
オリンピックという舞台で、
前回女王を一本で下したのだから、
私なら飛び上がって喜ぶことはどうにか我慢しても、
ニヤニヤが抑えられないだろう。

そもそも残り1分、指導を2回取られている状況で、
阿部詩の膝を虎視眈々と狙い、
一瞬の隙を突いて一本を取ったのだから、
当然、並外れた精神力の持ち主であるのは言うまでもないし、
オリンピックに出る柔道家が凡人と違うのは当たり前。

ケルディヨロワはその後も勝ち進み、
決勝戦では東京五輪48キロ級金メダルのクラスニキを破って、
悲願のオリンピック金メダルを手にした。

表彰台では金メダルを胸に、
ずっと見せることがなかった笑顔と、
感極まった嬉し涙を見せた。
そりゃあ嬉しかったに決まってる。
この瞬間のために、どれほど血の滲むような努力をしてきたか。
この笑顔のために、
勝負の間はずっと笑顔を封印してきたんだね。
あまりにも美しい勝者の笑顔と涙。

一通り感動して、
おそるおそるネットを見た私。
「臭いものに蓋をする」ならず、
臭いものの蓋を開ける」の気持ちであった。
開けてみて「あーやっぱり」と悲しい気持ちに。

会場で号泣した阿部詩に対する、
「見苦しい」というバッシング

勝ったケルディヨロワは冷静なのに、
他の負けた選手は黙って去って行ったのに、
阿部詩が大声で泣いたのは良くなかったと。

確かに「柔道」には、
勝敗よりも大切なことがあって、
「心・技・体」
礼儀も重んじなきゃいけない。
勝っても負けても「残心」で、
何事もなかったかのように去るのがマナー。

それは分かるけど。
でもさ、でもさ。
ちょっと反論させてくれ。

阿部詩は、そんなことは百も承知だ。
阿部詩ほどの偉大な柔道家が、
今まで人生の全てを柔道に費やしてきた人が、
そんなことも知らないわけないだろう。

それでも、
何もかも忘れて悔しがるほど、
周囲からの視線なんかどうでも良くなるほど、
あの一本負けが悔しかったんだよ。
それだけ必死にやってきたんだよ。

確かにケルディヨロワは美しかった。
でも彼女は勝者だ。
勝者が美しくあるのは当たり前だ。

敗者は地べたを掻きむしって悔しがるしかない。
死ぬ気で頑張って負けたことがある人なら、
その姿をバカにすることなんてできるはずがない。

プロフェッショナルには「任務遂行」しか見えていない。
アスリートなら、それは「勝利」である。
阿部詩には勝利しか見えていなかった。
だから敗北したとき、どう振る舞えば良いのかなんて分からない。
そこに理性を残す余裕はない。
阿部詩が人目を憚らず号泣したとき、
多くの人たちは、彼女がどれほど必死だったのか、
説明されずとも理解しただろう。

中継では、
阿部詩が泣きじゃくる姿を、
至近距離で撮影するカメラマンがたくさんいて、
胸が痛んだ。
でも、カメラマンだって勝負の世界だ。
オリンピックに人生を懸けてやって来るのはアスリートだけじゃない。
カメラマンにとっても四年に一度のオリンピック。
野次馬根性で撮影しているわけじゃない。
その手にあるデカいカメラをどこに向けるか。
どんな写真を人々に届けるか。
写真に全てを懸けた人々だ。
カメラマンだって礼儀を忘れてでも阿部詩を撮りたかったのだ。

オリンピックという世界が注目する舞台で、
人目を憚る余裕もなく、
もがき続けるプロフェッショナルたちの姿に敬意を表して。

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