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2NE1と私とKPOP|オタク人生を語らせて

以前、「2NE1」について書かせてもらった。

上の記事では、
できるだけ「私の人生」を排除し、
2NE1の物語」を書くことを重視して、
2NE1への想いをYGへの怨嗟ととともに
叫ばせてもらった。

今回は、私個人の
2NE1との日々」
YGとの日々」
KPOPとの日々」、
つまりオタク歴を語らせてもらう。


中学生・K-POPとの出会い

精一杯カッコつけて言えば、私は

「2NE1時代からのYGペンです。」

ということになるのだが、
それはだいぶ見栄を張った感じである。

まず、
2NE1をデビュー当時から知っていたわけではないし、ずっとYGを好きだったわけでもない

むしろ、離れていた時期が長い。

前置きはこのくらいにして、
とにかく最初の最初から語る。

『江南スタイル』

私のK-POPとの出会いは、中学生になってすぐ。
PSYの『江南スタイル』を聴いた時である。

中学生になってiPodを手に入れ、
さまざまな洋楽を聴いていた私。
詳しくは言わないが、
あまり褒められた方法ではない入手経路で、
いろいろな音楽を聴いていた。
当時はお金がなかったから。

それで初めて『江南スタイル』を知って、
ひたすら楽しく聴いた。
なお、楽曲の発表(2012年)からは月日が経っていて、ブームは過ぎ去った後だった。

歌詞の意味も分からず、
当時はそれをK-POPとも認識していなかった
江南スタイルを歌っているのがオッサンなのはなんとなく分かっていたが、
それが後に私の心を奪う2NE1と同じYG所属の歌手だったと知ったのは、ごく最近のことだ。(YGとの縁、感じますねえ)

まだスマホを持っていなかったので、
PSYの顔も知らなかった
サイと読むとも知らず、
脳内でピー・エス・ワイと読んでいた。

親友が東方神起のファンで、
K-POPは東方神起のほかに、EXO、少女時代は名前を知っていたが、あまり関心はなかった。
私は日本のアイドルにも関心がなくて、
とにかく「追っかけ」という行動から無縁だった。

まさか江南スタイルと東方神起が同じ「K-POP」とは思わず、ただなんとなく楽しい音楽だと思って、
テンションを上げたい時に聴いていた。
まだハングルを一文字も読めなかった頃の話だ。

「2NE1」との出会い

そんなある朝、
いつものようにイヤホンを片耳にはめ、
コードを袖に通し、手を耳に当てて隠しながら、
授業を聴くふりをして、考え事をしていたときのことである。

↑授業中の私

耳元から流れてきたのが、

ねがちぇいちゃらかー

だった。

なんだこれは?と思った。

これは歌なのか?

よく分からない音楽。
でもなんかクセになる。
何度でも聴きたくなる。

楽曲名
『I AM THE BEST』
(……スゴい名前)

この歌手名は何だろう?
ツー・エヌ・イー・ワン?

ほかにも聴いてみよう。

「2NE1」の楽曲を他にも聴き、
一発で気に入ったのが、
Can't Nobody』だった。

「ねえ、2NE1って知ってる?」

東方神起のファンだった友達に尋ねると、
「ついにK-POPに目覚めた!?」
と大歓迎の様子。
それで少女時代を勧められたが、
私は2NE1について知りたい
と言ったけど、彼女はあまり気乗りしない様子。

もういいや、と思い、
親友に2NE1について質問するのは諦めた。

近所の図書館のパソコンで、

「2NE1」

と調べた。
そのときの、悪いいたずらをしているような、
胸が高鳴る気持ちは言い表せない。

ふむふむ。

2NE1

CL、ボム、ダラ、ミンジか。

なんかイカついな…
K-POPってこういうのもあるのか。

それからヘッドホンをつけて、
『I AM THE BEST』のMVを再生した。
たしか日本語バージョン。
MVは、あまりピンと来なくて、
でも映像の記憶だけがしっかりある。
そのあと『Can't Nobody』のパフォーマンス映像を観て、他にもいろいろと視聴した。

私はそのとき、初めて知った。
女は男よりカッコよくなれるということを。

当時、2NE1は2回目のワールドツアーをしてて、
私は日本でコンサートをすることも知ったが、
チケットの取り方も知らないし、
ライブに行くという発想がまるでなかった。

後から幾度となく、
どうにかして行くべきだったと
後悔することになるのだが。

2NE1との日々

中学生の私は心の中に2NE1を棲まわせた。
友達にも、親にも2NE1の話はあまりしなかった。

その頃、
「みんな持ってるから!」
と懇願して、親にスマホを買ってもらい、
2NE1の映像が見放題に。

心のときめき、憧れ。
あれは恋だった。

CLサンになりたい!と思って、
大きなサングラスを買ったりもした。🕶

理髪師さんにCLの写真を見せて、
「この髪型にして下さい」と言ったり。
(そこはサンダラにするくらいの気合を見せろ!)

心の中で、四人のことを

CLサン
ボムちゃん
ダラちゃん
ミンジ

と呼んだ。

お気に入りはCLサンミンジで、
当時は年長組二人はかわいいな〜って感じだった。
(大人になった今は、二人の良さがよくわかる。)

楽曲は、『I AM THE BEST』と
『Can't Nobody』『Fire』がお気に入りで、
新しい曲『Come back home』も好きだった。
曲は基本的に、日本語版を聴いていた。

ライブに行きたいとか、
会いたいとかは全然思わなくて、
映像を見るだけで幸せだった。
声を聴くだけでも幸せになれた。

そのうち、
念願のコンサート映像を買って、何度も見た。
どうやってやったのか覚えていないが、スマホに映像を入れて、通学の電車でもずっと見ていた。

コレ。

コンサート映像を見て初めて、

2NE1のライブに行きたい!

と思った。

でもその時はもう遅かった

2NE1との別れ

2NE1の長い空白期の間も、
何も知らない私は、

早く次のコンサートしてくれないかな〜
カムバックはまだ?
もうネット上の映像は見尽くしちゃったよー

無邪気にそう思っていた。
当時は、2NE1の所属事務所「YG」について名前は知っていても、深く考えることもなかったし、
2015年MAMAでの2NE1のサプライズステージも、

わーい、そろそろカムバックかな😆

って感じだった。
Twitterもやってなかったので、
当時のYGや2NE1の状況についてあれこれ考えることもなく、
ボムの麻薬疑惑事件のことは知っていたけど、
それでメンバーたちが苦しんでいるなんて、
夢にも思わなかった。
(何もかも後から知った。)

そろそろカムバックかな?
コンサートツアーかな?

そう思い始めたころに、
なんとお気に入りのミンジ脱退のニュース。

当時の心境は、
え…………………(失望)
って感じである。

今は当時のミンジの状況が痛いほどわかるし、
それは冒頭に貼った記事でも書いたが、
当時はただがっかりした。

事情はあれ、
ミンジが脱退を選んだ事実。

それがあまりにもショックで、
悲しみのMAXだったように思う。
(一人で泣いたなあ。)

その後の解散のニュースは、
驚いたけど、それほどショックではなかった。
ミンジがいない三人体制でカムバックされても、
それはそれで寂しいと思ったから。

憧れのCLサンも、ソロ歌手として成功してるみたいだし。

「2NE1」であり続けるより、ソロ歌手としてアメリカで成功することを選んだのかな。

そう思うとなんか本当に寂しくて。
そうじゃなかったって、後から知ったよ…
ごめんなさいCLサン。)
CLサンやミンジを悪いとは思わなかったけど、

「私が勝手に理想化してたのかな」
「それぞれ進みたい道が違うこともあるよね」
「人間だもの」

と色々考えて、どうにか自分を納得させようとした

当時 YGからデビューしたBLACKPINKの『BOOMBAYAH』は聴いたし、好きなテイストではあったんだけど、
なんか、

「2NE1の代わりにこっち応援してね。」

とでも言われているように感じて、
あとは年齢が少し近くなったのもあって、
心のときめきを感じることはできなかった。

高校生になると、
勉強をまじめにやり始めたこともあって、
部活でも責任ある立場になって、
とにかく忙しくて
K-POPからは遠ざかっていった

大学生・KPOPと再会

BLACKPINKのコンサートへ

大学に入学し、
第二外国語でまさかの韓国語を選択。

韓国語を選択した理由は特になく、
なんとなく「韓国語かな」と思った。
まだ私にK-POPへの未練があったのかも。

韓国語を選択したので、
周囲はK-POPオタクばかりだった。

女性アイドルはだいたいTWICEで、
たまにIZ*ONE、BLACKPINK。

2NE1のファンは一人もいない

なんやねんこいつら。
そんなんK-POP好きとちゃうねん。
と本気で思っていたが、

入学してすぐに仲良くなった友達が、
BLACKPINKのファンだった。

その頃から彼女の影響で
BLACKPINKの曲を聴くようになって、

自分チョロいな〜

と思いながら、YGの世界に戻ってきた。
もう「YG」という会社も、
「TEDDY」のことも、完全に認識してて、

ブルピンはブンバヤから追ってるよ〜

とか言って古参ぶってみたりした。

同時に、韓国語を勉強し始めたこともあり、
楽曲を韓国語バージョンのまま、語学の勉強を兼ねて聴きまくるようになった。

この頃、2NE1の楽曲の素晴らしさを再確認した。
歌詞が良いんだよね、歌詞が。

おそらく日本語バージョンとか、韓国語バージョンとかの問題ではなくて、
聴き手である私の年齢の問題だと思う。
中学生の頃は分からなかったな。
ugly』の良さが。『COME BACK HOME』の意味深さが。
『HATE YOU』で爆笑してただけのガキだった。

BLACKPINKも良いんだけど、
やっぱりなんていうか、率直に申し上げますと、
美人が歌う歌
つまらんです。
とケチをつけつつ……

例の友達に連れられて、
BLACKPINKのコンサートへ。

実は、それが私にとって、
初めてのコンサートだった。

コンサートは、
体中に音響が響いてくる感覚が衝撃的で、
熱気がすさまじいし、なんか楽しいし、
友達が取ってくれた席が神席だったのもあって、
「コンサート」というもの自体が好きになった
(友達、ありがとう。
BLACKPINKも、ありがとう。)

以降、色々なコンサートに行くようになり、
K-POP熱も再燃。

2NE1の解散の真相を知る

コロナ期に突入した頃、

2NE1はYGが勝手に解散させた

という事実を知って、衝撃を受けた。

メンバーが解散に納得していなかったことも感じるようになって、色々調べ直した。

それで、私が受験勉強している間に大変なことになってたっぽいことに気づく。

なんとなく干されてるな〜と思ってたCLサンが思っていた以上に大変な思いをしてたこと、
ボムちゃんも辛いことが多くて、
ダラちゃんもなんかいつも泣いてるし、
ミンジも、本当に苦しい思いをたくさんしていたことを知って。
(詳細は冒頭に貼った記事に書いた)

もう、YGにもとんでもなくムカついたけど、
それ以上に
何も知らなかった自分、
解散当時、ミンジとCLサンを、ほんの少しでも恨めしく思った自分が、とても腹立たしかった

あと、2NE1とは関係なく、
バーニングサン事件のことも知り、
YGが大変なことになってると気づいた。
(へー。)

でもその頃は四人がそれぞれ前に歩み出した頃で。
ボムちゃんソロ曲を出していたし、
ミンジカムバックしてるし。
CLサンも新しい事務所からアルバムを出したし。
ダラちゃんはついにYGをやめたし。

だから私はあまり悲しまずに済んで、
四人それぞれの道を応援しようと思った。
ほんとは「2NE1」を、また応援したいけどね。

そして、
大学生になった私のときめかせるアイドルが、
私の中で「『2NE1』以来」となるアイドルが、
ついに現れる。

(G)I-DLEとの出会い

2022年3月リリース、
『TOMBOY』(G)I-DLE)。

衝撃的だった。
一瞬で(G)I-DLE(ジー・アイドゥル)の虜になり、
リーダーで作詞作曲もしているソヨンに惚れた。
(ソヨンは楽曲を作っているだけでなく、グループの統括プロデューサーでもある)

(G)I-DLEは2018年デビューのグループだが、
メンバーの年齢層はほとんどBLACKPINKに近い。
会社はYGではなく、中堅事務所のCUBEエンターテインメント

(G)I-DLEへの愛は、語れば長くなるので、
また後日ゆっくり語りたい。

(追記:こちらになります。)

とにかく、このときの(G)I-DLEのカムバックは、
「メンバーの脱退と長い活動空白期を乗り越えた(G)I-DLEの、再起をかけた勝負のカムバック
という背景事情があり、
そんな事情も含めて一気に引き摺り込まれた。
(この『TOMBOY』の大ヒットで(G)I-DLEは解散せずに済み、むしろ以前よりも人気度を上げてトップアイドルの仲間入りを果たすことになる。)

そのわずか数週間後、
コーチェラでの2NE1復活という奇跡が起き、
私のK-POP熱は自分史上最高の絶頂期を迎える。

(このころ、別件でメンタルに不調をきたし、
大学に行かなくなった頃だったが、KPOPのおかげでどうにか生き延びられたように思う)

そして2024年に入ると、立て続けに事件が起こる。

2024年1月。
(G)I-DLEが二枚目の正規アルバムを発売。
久しぶりのカムバックとあって、期待度は非常に高かった。
私ももちろんアルバムを予約注文。

注目される二枚目アルバムのタイトルは…?

2

……ほ?
どういう意味?
二枚目のフルアルバムだから、「2」?

そのときはこのタイトルに関して深く考えなかったものの、
数日後に私は椅子から転がり落ちることになる。

『2』のタイトル曲として発表された、
Super Lady』。
私はリリース前からMVの画面をつけて待機していた。
流れ始めた『Super Lady』。
カッコいいイケイケの曲だったが、
MVを見ながら私は涙を流していた(情緒不安定)。

『Super Lady』MVより

これってさ。

『Super Lady』MVより

これってさ……。
「ねがちぇいちゃらかー」
じゃん。
私があの日、図書館で見た、あの映像まんまじゃん。

パクリとかそんな野暮なもんじゃない。
これはオマージュってやつだ。

「レディ、レディ、
私をスーパーレディと呼びなさい。
どきな、どきな、どきな。」

これは、
(G)I-DLE版『I AM THE BEST』だ!!

そしてアルバムのパッケージを抱きしめ、
あることに気づく。

アルバム『2』のロゴ

……ん?
横に返してみると、

「N」
に見えるな。

こっちに返してみると、

「e1」

!?!?

おまいがーっっっ!!
チョン・ソヨン!!

私は思わず叫んだのであった。

ソヨンがCLのファンであることは知ってたが、
ここまでしっかり2NE1愛を示してくるとは。

嬉しいというかなんというか、
ソヨンと心が通じ合った気がした。

(2NE1、ええよな、わかる分かる。)

このアルバム『2』、
タイトル曲の『Super Lady』はクセが強すぎたせいか小ヒットに終わったが、
収録曲の『Fate』はヒットした。
しかし私は『Super Lady』が好きである。

ベビモンとの出会い

さて、
デビュー前からゆるーく追っていた
YGの新人・BABYMONSTER(ベビモン)。

2NE1、BLACKPINKに続いて、
YGが7年ぶりにローンチするガールズグループ。

2024年5月にベビモンの初めてのファンミがあるということで、東京公演のチケットを買った。
YGの新人のコンサートなので、まあ行ってみようかなってことで…

行ってみたら、歌がめっちゃ上手い
なんというか、聴かせる歌だった。新人なのに。
今まで行ったライブで一番の満足感
それですっかりベビモンのファンになった。

BLACKPINKのときは人数が4人なのもあって、
どうしても2NE1と重ねてしまって複雑だったけど、
ベビモンは7人なのもあり、彼女たちに対するCLの肯定的なコメントもあり、何よりも年月が経っているからか、素直にかわいいと思うことができた。

(ベビモンについては下のマガジンにまとめているので、省く)

YG、色々許せないけど、
結局、私のツボに合うんだよなあ。
こればっかりはどうしようもない。

そうこうしているうちに、

CLのインスタより。

コレが出て。(2NE1の久しぶりの集合写真)

CLとヤンサがディナーのニュースが出て。

それで、ついに2NE1の復活コンサートの知らせを聞くことになって。

私のK-POPライフは二度目の春を迎えたのだ。

YGが好き?

YGが好き、と断言することは難しい。
あまりにも多くのことがありすぎたから。

でも、今回の復活コンサートの知らせがあって、
ひとまずYGへの愛憎は、
愛50%(憎50%)から愛95%(憎5%)くらいに変わった。

別記事で感想も書いたけど、
一昨日と昨日のベビモンの神戸公演も行って、
ベビモンが先輩2NE1マッシュアップ(『I AM THE BEST』+『Can’t Nobody』+『Fire』)に合わせて踊っているのを見て、

ベビモンちゃんが、本当に楽しそうに踊ってて。

『Fire』の「モリガチャラチャラチャラチャラ…」
ってダラちゃんのパートが聞こえてきたとき、
こらえきれずに号泣しちゃった。

YGペンで良かったなって。
あのとき2NE1を好きになって良かったなって。

そう心から思えた瞬間だった。

色々ありましたが、
これからもオタク人生、幸せにやっていきたい。

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