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春、初めての一人暮らし、新社会人、スクランブル交差点を渡れなかった日のこと

「いろいろなことにたくさん手を伸ばしてしまって本当に大切なことを零してしまわないようにね。あなたにとって大切なことをあなたが落とさない限りは、すごいエネルギーを持っていることを保証するよ」
と今年の3月、大学院を卒業するわたしに向かって、ひと足さきに社会人になっていた友人がそう言った。

3月は年度末だというだけで、ちょっと特別な匂いがする。ただ月が変わるだけなのに、明日が今日になるだけなのに、3月のときには4月が永遠にたどりつかないものであるかのように感じた。
だから友人がくれたその言葉は、わたしの胸でちょっと光って見せた。

「大切なことを忘れちゃだめだよ」
うん!と大きく頷いたのに。
わたしは、ほんとうにまるっきりアホで、4月になったら面白いくらいポロポロと、はらはらと、大切なものを落としてしまうのだった。

4月、新社会人というぴかぴかの名を背負って降り立ったが、スクランブル交差点を抜けられない

春。
蟻の巣のようにみゃくみゃくと続く渋谷の地下道は、出口がわかりにくい。人の流れが出来上がってしまっている中、右往左往することもままならず、流されて流されて、ハチ公のある山手線改札前の地上出口へ辿り着くばかりだった。
就活のときに使っていたリクルートスーツは少し肩周りが小さく、買ったばかりのローファーは足にあまりフィットしていない。きゅっと結んだポニーテールに、真っ黒のかばん。そんな姿は周りの目から見ても、全身で「新社会人です!」と叫んでいるように見えただろう。

大きな期待に胸を膨らませすぎたわたしは、4月1日、もうすでにそのスクランブル交差点を渡ることができなくなっていた。
なんか、こわいんですけど。
わたし、このまま何食わぬ顔をして、大人として、生活していかなくちゃいけないのか。
そうか、わたしはもう学生じゃないのか。

ずしん。行けば毎日顔を合わせてたクラスメートとかもいないのか。同じ授業とってる友だちに出席票を代わりに書いてもらうとか、そういうのもないのか。嫌なことがあって帰ってきてもひとりの部屋だし、年末年始に働くことで何気に一致団結感が生まれてたバイトとかもないのか。
うわ〜〜これはきっと、けっこうしんどいぞ。と思った私は、新社会人というぴかぴかの名前をつぶれるほど強く抱きしめて、交差点を渡れずうずくまってしまった。

新社会人、楽しみにしてたけど、こわくてたまらない。
というか、春になれば何かが変わると勝手に期待して勝手に憧れてしまっていた自分がいた。
そうだったから、4月1日は3月31日の延長線にある、ただの次の日で、4月1日になっても何も劇的に変わりなどしない自分自身にがっかりしたのだ。

ぜーんぶ無理だ、と思ったら身体が先に日常を投げ出してしまった

毎日毎日べそをかいているわけにはいかないので、わたしはそれなりに大人の仮面を被って過ごすことに決める。

悲しいことがあってもつらいことがあっても寂しくてひとりでも、何食わぬ顔をして朝には元気に出社し、会社を出るまで明るくて元気な新人として過ごそう、という面舵いっぱい、自分の底力を信じたエネルギーデスマッチみたいな賭けに出たわたしは、それでもそれなりになれてはいた。

とにかく、何食わぬ顔をして生きるということがわたしにとっては大事だった。

しかしながらそんな日々は非常事態に陥る。

朝になったら身体が動かない!!
どうしようかと思った、あのときは本当に、どうしようかと思って焦った。会社に行きたくないわけではなかった、微塵もそんな気持ちはなかった。ただ、プライベートで散々な目にあったわたしの気合を入れすぎたボロボロの新生活は身体が先に悲鳴を上げてしまった。

動かね〜起き上がれね〜終わった〜と思いながらわたしは人生で初めてメンタルクリニックに電話をかける。なんとかしてください、と思って。
「次の予約は早くても3ヶ月後になりますがいかがしますか」
それなのに電話口から聞こえてくる声は冷たくて、有無を言わせなくて、はっきりしていて、わたしは(そんなあ……)と思いながら予約をせずに電話を切った。
電話をかけて(そんなあ……)と気が抜けたからかなぜか身体が動くようになり、涙なのか汗なのかぐしょぐしょの顔を洗って、(咳をしてもひとり……)と思いながらパンを齧る。

大丈夫になれるような魔法はないけれど、じっと待っていたら日々は少しずつ夏を連れてきた


結局、時間をかけるしかなかった。
大丈夫になるには、大丈夫になるだけの時間が必要なだけだった。
冬から突然夏にはならないように、ゆるやかに日々が過ぎていくのをじっと待って、雪が溶けていくのをじっと待って、春が来ても変わらない日々であることにじっと耐えて、雨が降る日には少し過去を振り返ってみたりして、日々、こころをチューニングしていたら春が終わって初夏の匂いがした。

でもやっぱり、時間が解決する、という言葉はあのときのわたしには無責任だったし、明けない夜はない、という言葉もいまだに大嫌いだ。
そんな言葉ではなにもわたしの日々は変わらなかったし、大丈夫だよ変わっていくよという根拠のない言葉を信じるには何にも期待したくなかった。

「ずっと夜なの」と、当時オーストラリアに行ってしまっていたわたしの友だちに電話したことがあった。蝶のようにひらひらといつも飛んでいてどこにいるのかいつもわからない、わたしの大切な友人は、電話口で「そうかあ」と優しい声をしていた。
「ずっと夜なんだよ」
真っ昼間の池袋で、すこーんと突き抜けるように晴れた青い空を見ながらわたしはそう言った。
友だちはずっと、優しい声で「そうか」と「そうだなあ」を繰り返していて、でもたったそれだけのことがどれだけ救いだったか、と今でも思う。

たとえ夜が明けたとしても、夜中じゅう戦い続けたひとにとっては、もう朝さえつらい。深海のように暗い夜の中で眠ることもできずじっと耐えるしかなかったあの日の自分に掛けられる言葉は、多分あまり多くはない。多くはないけど、そうか、そうだなと聞いてくれる声があればそれはそれで幸福なことで、夜は夜のまま、でも少し優しくなる。

夜が夜のまま、優しいものでありますように。
そう願いながら、わたしはまた、何食わぬ顔で朝の通勤電車に乗り込む。
みゃくみゃくと曲がりくねった渋谷の地下道を歩き、地上へ続く階段を見上げるとき、その出口は、明るい日の光が降っていた。

また更新します。


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