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しあわせはドーナツの穴みたいなものです、という恩師の言葉を思い出し、その意味を考える夜

わたしは中学生のころ、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が好きだった。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば、僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

そんなことを言うジョバンニに対しカムパネルラは「けれどもほんとうの幸いはいったい何だろう」と返す、この場面を読んで以来ずっとわたしは答えを見つけられずに生きている。

でも、あのころ、小さいわたしに一つのヒントをくれた国語の先生がいた。銀河鉄道の夜を持って、「ほんとうの幸いってなんなの?」と問うわたしのことを嫌がりもせず、真摯に答えてくれたおとながいた。

「しあわせっていうのはドーナツの穴みたいなものなんだよ。そこにあるのに食べられない」

わたしはその言葉を、もう10年以上もずっと大事に抱え続けている。ドーナツを見るたびに思い出す。ドーナツの穴みたいなもの。

子どもの頃よりも、最近はずっとしあわせというものがわからなくなった。中国に住んでいるわたしの友人が、前にわたしに電話で語ったことがある。

「しあわせってのは往々にしてすぐ終わるものだということを最近の経験から如実に感じるんだよな。再び突如現れる不幸を恐れている。このことからやっぱり俺は、いま、しあわせだと言えるな」

しあわせであることそのものを感じることは難しいけれど、彼は、穴を囲むドーナツ部分を感じることでしあわせを浮き彫りにしようとしていた。
終わるのがこわいってことは、しあわせなんだと。

しあわせはわからないけど、しあわせでいてね、と願ったことはある

今年の春、わたしのスマホの画面にひらりと一枚の桜の花びらが落ちてきたことがあった。ふと顔を上げると、一本の大きな桜の木がそよ風に吹かれて揺れていて、花曇りしている空に雪が降っているようでとても美しかった。

そのときにふと、わたしが大切に思うひとにも、こんなふうに祝福するみたいにやさしく花びらが降っていたらいいなと思って胸がぎゅっとした。
当時わたしが思い浮かべていたそのひとは、とてもそんなことに美しさを見出そうとする人ではなかったけれど、そのひとの受け取る世界が少しでもやさしいものでありますようにと願ったことがあった。

しあわせってうまくわからないけれど、そのひとの人生に花びらがたくさん降っていてほしいと思うことなのかもしれなくて。しあわせでいたい、よりも、しあわせでいてほしいが勝つことなのかもしれなくて。

しかし、と思う。
しかしながら、それではやっぱり、自分のしあわせは少し寂しいものを纏う。当時のわたしはそのことに気づかなかったけれど今になって思うのだ。
自分がしあわせでないままに、相手のしあわせを願うことはかなり難しいことだと。べつべつの道をゆく相手のしあわせを無条件に願うのは、はなむけの言葉みたいなもので、それをずっと続けていくのは散らない花を探すのと同じくらい難しい。

幸せとは、星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく
大切なひとに降りかかった雨に傘を差せることだ

back number「瞬き」

back numberの「瞬き」の歌詞はとてもはっきりそんなことを歌っていて、「傘を差せること」というのは、傘を差し掛けたときに受け取ってくれるということでもある。しかもこの歌詞には続きがある。
「そしていつの間にか僕の方が守られてしまうことだ」
しあわせでいたいよりも、しあわせでいてほしいが勝ちながら、さらに相手のしあわせで自分が救われる、ということであるならやっぱりそれもまた難しいなと思うのだった。

あの頃の恩師と同じくらいの年齢になって

考え続けたまま、いつの間にか大人になってあの頃わたしに教えをくれた恩師と同じくらいの年齢になってしまった。

先生、ドーナツの穴の意味に少しでも近づけているでしょうか。
あるように見えて本当は存在しない、ということではないとわたしは思います。
先生があのとき伝えたかったのは、「ある」けれど「食べようとすると食べられない」。求めるものではない、ということではないですか。

心の中で、わたしはそう問いかける。
教室ではないから、もう答えは聞けない。

誰にもわからない問いを、それでも抱えて生きていけば、いつか答え合わせができる日が来るのだろうか。
宮沢賢治は「ひとはなぜ生きているのか」と問われて「生きる意味を探すために生きているのだ」と答えたことがあるという。

「生きていくことが答えになるような問いを抱えて生きていこうね」

木下龍也『あなたのための短歌集』

ふと、木下龍也の短歌が頭をよぎる。
問いを抱えて生きること。
そのことを忘れないようにするならば、「しあわせになりたい」と言って泣く夜のひとつも問いを抱えた美しい日々に変えることができるのかもしれない。

少し更新に期間が空いてしまいましたが、書きたいことがまだまだあるのでまた。
秋の空気が漂う季節になってきましたが、健やかな夜をお過ごしくださいね。




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