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トランスヴェスタイト/クロスドレッサー

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1.

 すべての用意が調い、完成した花嫁の姿に歓声があがった。裾を長めにとった細身の燕尾服の胸元には、野茨(ノイバラ)お手製の、アンティークレースの付け襟と孔雀の羽根をあしらった黒薔薇のコサージュ。オールバックに流した髪も、目蓋を黒く塗った退廃的な化粧も、一分の隙もなく完璧で、茉莉花(マリカ)はいつも以上に鏡に見とれた。
「マツリカさん、美しすぎるよ!」とカメラ係のダリアが叫ぶと、髪のセットとメイクを仕上げた張本人の黒椿も「でしょう?! こんなマツリカさんが人のものになるなんて嫌だ、柊には勿体なさすぎる!」とうわずった声を張りあげる。
「そうだ、シュ、……柊(ヒイラギ)は? 先に支度出来てるんだよね?」柊二(シュウジ)、と本名を口にしかけてさりげなく茉莉花は言い直した。敏感にそれを察した様子の黒椿は、しかしそこにはふれず、「真っ白のふわっふわだよ。これでもかっていうくらい可愛くしといた。だって、こんな男前なマツリカさんに嫁がすんだもん」と笑った。ネイルアートを学ぶために美容学校に通う黒椿は、新郎新婦のヘアメイクをひとりで引き受けていた。
「ありがとう、椿」
 ひざ丈のフリルをパニエでふくらませ、サテンのリボンとレースをふんだんに使ったワンピースに、黒薔薇とパールのヘッドドレスをつけて全身ふわふわと黒い黒椿を、茉莉花はぎゅっと抱きしめた。二卵性双生児で体格もさほど違わない黒椿と柊は、黒椿が黒、柊が白のロリータファッションでいることが多く、白黒色違いのふたごロリータ、と仲間うちで認識されていた。けれどこうして抱きしめると、ああ黒椿は女の子だ、と思う。無意識のうちに比べていた。会うたび無邪気に茉莉花にじゃれていた黒椿が、このときは一瞬身構えた。すぐに、「大好き、マツリカさん」と言いながら抱きかえしてきたけれど。ごめんね、と呟きそうになり、茉莉花はぐっと言葉をのみ込んだ。
「どう、そっちは準備できた」
 軽快なノックに続いて入ってきた蓮(レン)に、再び華やいだ声があがる。神父役を務める蓮は、修道士風の詰め襟のコートに大ぶりのロザリオをつけ、ゆったりしたワイドパンツを穿いている。きれいに長さを揃えてカットされた黒髪は本当はあごに届かない長さなのだが、エクステンションでロングにして、後ろでひとつに束ねて背中に垂らしていた。背が高く細身の蓮は、物語に登場する聖職者が現実に抜け出てきたようだった。
 蓮の背中から、ヴェールを被り、レースの姫袖、子どもを匿えそうにたっぷりしたふわふわのスカートの、純白のドレスの柊がひょこっと顔をのぞかせた。腰まである銀髪のウィッグと黒椿の渾身の化粧も手伝って、とても男には見えなかった。かわいらしい仕草で手を振る柊に鷹揚に手をあげてみせながら、これから永遠の絆を誓う相手以上に茉莉花は蓮に釘付けになっていた。今日の自分は今まででいちばんの、最高の出来栄えだけれど、やっぱり蓮には敵わない。ずっと憧れていた蓮。蓮ははしゃぐダリアや向日葵と談笑していたが、茉莉花の視線に気づくとまっすぐに茉莉花を見つめかえして、微笑んだ。
「おめでとう、マツリカ」
「……」
 胸が詰まった。言葉を舌に乗せたら一緒に涙がこぼれてしまいそうで、茉莉花は深く頭を下げてそのまま俯いた。今泣いたらメイクが流れる、ときつく唇を引き結ぶ。
「新郎新婦、スタンバイOKですか? ……わっ」
 開け放したドアから慌ただしく中を覗き込んだ蘭蘭が、茉莉花、柊、そして蓮を見て思わず両手で口を押さえた。後から付いてきた、本日の会場のこの店――〈十三階〉――のオーナーもおお、と感嘆の声を漏らした。
「すっごーーい!! きれい! どうしよう、素敵すぎて熱出そう」
「頑張ったなあ、黒椿ちゃん。勿論素材もいいんだろうけど」
「今からテンション上がりすぎて大変だよ」
 興奮気味にダリアとお喋りになだれこもうとする蘭蘭を制して、蓮がきびきびした口調で訊ねた。
「こっちは大丈夫。フロアの方は? 様子どう?」
「ああ、そうでした。我を忘れてしまった」
 蘭蘭はボルドーのジャケットのポケットからやや芝居がかった手つきで鎖つきの懐中時計を取り出した。司会進行を務める彼女の今日のコンセプトは「時計兎」で、ミニシルクハットの脇から長い耳をはやしている。
「皆さんほぼ着席しましたので、そろそろ始めようかと思うのですが……」
 蓮が茉莉花を見る。茉莉花は柊と顔を見合わせて、頷いた。
「お願いします」
「じゃ、もう照明落としますので、よろしくお願いします!」
 跳ねるようにお辞儀をして、蘭蘭はオーナーと共にばたばたと戻った。ほどなく、既にパーティー会場としてセッティングされている店のメインフロアが暗くなった。
 蘭蘭の声がマイク越しにフロアに響く。
「ウェルカム・トゥ・ハロウィンパーティー2004! 悪意と悲劇のウエディングへ、ようこそ!」
 舞台の幕が上がる直前、客電が落ちた瞬間と同じ緊張があたりを包む。その空気を割って「LOVELESS」のイントロが鳴り出した。

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