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砂漠の街と青の都 韓国・ウズベキスタン旅行2019その4

2019.04.29
4日目 タシケント-ブハラ

 朝ごはんはホテルの中庭で食べた。簡単なパンなど。
 着いたときは暗くてよくわからなかったけれど、あらためて見まわすといかにもアラビアン・ナイトに出てきそうな、ベッドのようなベンチのような低い台(これを書くにあたってあらためて検索してみたところ、「小上がり」と呼んでいるひとが多いっぽい。ちゃんとした呼び名はあるのだろうか……)があったりして、ウズベキスタンに来たぞ……という実感が湧いてくる。

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 タシケント駅はぼんやりイメージしていた「共産圏」そのものだった。時間が早かったせいもあって、人が少ない。
 特急アフラシャブ号には幾つか席のグレードがあるのだが、なんとVIP席に乗ることができた。大皿に盛り付けたパン、チーズ、お菓子など、食べきれないほど運ばれてくる。駅で買ったドライフルーツとナッツの詰め合わせも添えて、豪華な朝食になった。

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 ブハラ駅にもホテルから出迎えのタクシーが来ているはずが、うまく出会えず。しかたなく自分たちでタクシーを呼び、ホテルが見つからず迷ったりしながらも、なんとかたどり着く。ホテル側と少々行き違いがあったようだった。
 そのかわり、というのでもないのだろうが、もしホテルで夕食をとるなら、伝統料理のプロフ(中央アジアの炊き込みごはん)の調理を見学・体験させてくれる、という提案をされた。面白そうなので、ありがたく受けた。

 それまで街を観光することにして、まずはお昼を食べようとレストランに入った。
 ほかに客がまったくおらず、不安になりつつも無事ランチにありつく。牛肉の串がダイナミックだった。
 店員のお兄さんは親切だった。ウズベキスタンではウズベク語とロシア語が使われていて、英語はそれほど通じず、正直、意思の疎通はむずかしい場面も多かったのだが、人々はおおむね愛想がよい。

 ブハラは徒歩で見てまわることができる。
 有名なモスクやメドレセを幾つも巡って、どれにも目を奪われたけれど、中央アジア最古のイスラム建築だというイスマイール・サーマーニ廟から戻る途中の、朽ちかけたメドレセ(神学校)にいちばん心惹かれた。その場では名前もわからず、あとでガイドブックを調べた。おそらくアブドゥーラ・ハン・メドレセだと思う。

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 アルク城の城門の前にはラクダがいた。

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 あちこちに建設中の工事現場があって、現在進行系で開発中なのだなと感じた。
 歩くたびに砂埃がたって、ああ、「砂の街」というのはこういうところだったのか、と思った。Zabadakの「砂煙りのまち」、L’Arc~en~Cielの「DUNE」など、十代のころ繰り返し聴いていた「砂の街」の歌と、その歌から思い描いた景色をなつかしく思い返した。

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 バザールでさんざん目移りしたあげく、伝統柄だというザクロのポーチを買った。安いし、と思って衝動買いしたのだけれど、あとでよく見たら下書きの線だけがあって刺繍されていない部分があった……

 ホテルに戻り、厨房に入れてもらって料理を見学しつつ、ところどころちょっと手伝わせてもらう。家族経営のようで、小さい子どももいて微笑ましかった。
 大きな鍋に豪快に油を注いでできあがったプロフはとてもおいしかった! メニューはほかに、トマトときゅうりとコリアンダーのサラダと、甘いお菓子と、中国茶に似たお茶など。
 食事はやはり中庭で、絨毯敷きの小上がり席に座って食卓を囲む。くつろげるし、気分が出て楽しい。

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 食後、ホテルの近くを散歩した。夜の方が街中に人がいるような気がする。レストランで食事をしている人もたくさんいる。
 ラビハウズに入ってみると、内部はみやげ物屋とフードコートで、日本人らしき観光客が大量にいた。同じツアーで来ている団体のお客さんっぽかった。

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 池のほとりでコーヒーを飲んだ。私は軽いカフェイン中毒の気があって一日に一杯はコーヒーを飲みたくなるのだが、どうやらウズベキスタンではお茶が主流で、コーヒーは少し値段が高い。とくに「ネスカフェ」が高いのが面白かった。

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