木登りで思う

先日、小学校が休みで
朝から来ていた子どもと
公園で木登りをしていた時の話




そもそも

去年の夏休み
同じ公園に遊びに行ったときには、

私が登っているのを見ても
だーれも登ろうとしなかった子どもたち







それから
2学期、3学期とあって春休み


何人かの子どもが自分たちから
「登りたい!」と言ってきたので一緒に登ってみた。



なかには

そんなお上品な格好で登って、
お洋服のほうは大丈夫でしょうか…

という子も





そして先日、

また同じ公園に遊びに行って
木登りをしてきた。






最初の枝が子どもの身長より
ちょっとだけ高い位置から横にのびる


こんなかんじの木



「ちょっと走ってきて、
 蹴って、枝掴んだら登れるんじゃない?」と、私


「ちょっとやってみて」と、子ども


「こんなかんじ」と、実演する私


「わかった、やってみる」と、挑戦する子ども






道を示して、歩き方を伝える


木登りの場合だと

木を登るルートを示して、
足をかける場所、手をかける場所を伝える

となるが、
そこまでは、大人の役割。



ただ、
そこから実際に木を登るのは
子どもの仕事である。






・「登ってみよう!」と挑戦する

・「え…、ムリ……」と挑戦しない


どちらを選ぶにせよ
最終的に決定するのは子どもの仕事である。





そこに

「やってみなよ!」
「なんでやらないの?」

大人からの やらされ感 はあってはならない。





あっていいのは、


「こんなカンジでやると登れるよ」と

子どもの目の前に
出来る限りの歩きやすい道を用意すること


「どうする?やってみる?」と

選択肢を提案すること



ではないだろうか。






目の前にいくら大人が

子どもが自分の足でも歩けるであろう道を用意し、
歩くか、歩かないの選択肢を提案したとしても、




最後は
大人からの やらされ感 ではなく、

「うん、歩く!」
「うーん、歩かない…」
子ども自ら決定を下さなければならない。






そこでもし子どもが


「うん、歩く!」を
選択するのであれば、

子どものチャレンジ精神を褒めてあげる。



「うーん、歩かない…」を
選択するのであれば、

大人が
・用意した道は、子どもにとって無理のないものか?
・伝えた歩き方は、今のその子の能力に適したものか?
省みる。

それだけである。







省みた結果、

枝が子どもにとって高い場所にあって
挑戦を渋っていると判明すれば、

こんなかんじで

大人が踏み台となったりして

子どもが自力で登れる道を
もう一度用意しなおす。



それだけである。







なーんてことを

木登りしている子どもを見て
思うのが

私が一番大切にしている仕事である。

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