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マタイによる福音書『後の者が先になる、、』カトリック信者なんです 9

今回は聖書のお一節。
マタイによる福音20章1〜16。

『後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。』

どういったことなのか?最初聞いた時はなんのことか分からなかった。
あと?さき?

天国(信仰)を例える時の話し。

ぶどう園の主人が労働者を雇うのですが、早朝の5時、9時、12時、3時、5時とそれぞれの時間で雇った。
最後に来た者から順に賃金を払っていくと、朝5時に来た者が”暑い中辛抱して働いたのに他のものと同じ扱いは納得いかない”と。

そこで主人は”最初の約束通りの日当は払った。
他の者にも同じ様にしてやりたいのだ”。でその後に『後にいる者が、、、』につながる。

ここで言う、「後の者」とは信仰に至った時間や期間が短い者の事と解釈してます。先の者はユダヤ教徒ともいえるかも。
信仰に後も先もないということ。

私自身も洗礼を受けたのは1歳。
成人してから洗礼を受けた人より、偉くも無いし、神から多くの恵みが得られるとは思っても無い。

が、長く多く接していることで偉そうになっていることもあるかも知れません。
そんな戒めにもなる話し。

早く知ったから、偉いとかは無い。
遅かったから、劣っているとも言い切れない。
そうイエスは言いたかったのだろう。

現代社会でも、先輩、年功序列みたいなのが若干これに当たったりするのかも知れません。
自分の身の回りであてはめて考えてみるのもいいかも知れませんね。

さらに言うと、
私は主人の”他のものと同じ様にしてやりたいのだ”のセリフが好き。



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