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配信じゃないライブについて考える話

じゃない方のライブとなってしまった普通のライブ。ホールと違ってライブハウスで用意される椅子がどの位のペナペナなのか想像が付くが、じゃない方ライブに行った友人の話を聞くと、やはり1~2時間もじっと座っているのは辛いよなあと思う。私の場合立ってるだけでも結構辛いけど、ライブで踊っているのはしんどさを紛らわすためでもあって、10代の頃、当時の友人と行った座席指定のライブで「踊りすぎ……」と窘められてからというものライブでは首振り地蔵スタイルを20年以上貫いて来たが、近年は同じ体勢が辛い上に、踊ったほうが可愛いよ、とYONCEも言うのでなるべく踊るという今のスタイルに落ち着いていた。そう言えば以前からなぜか私の後ろの人だけがその列から半歩前に出てる状況がちょいちょいあり、ただならぬ気配を感じて振り向くと、肩越しに即顔面があったりという事が何回もあった。私の存在感が相当薄いのか、そういう呪いなのか……ただでさえそんなんだったのでペナペナの椅子に座ったら何が起きるかわからない。(隣の人がくしゃみする時こっちを向くとか……)もともと私は神経質なのを自覚しているが、相手に通知が行くのにTwitterでネガティブなことをわざわざ引用RTしない位の理性は残っているものの、会社で他人の話し声が気になって耳栓を購入する位、この状況下でますます酷くなってしまった気がする。(確実に赤の他人から確認されるのでそもそもプラスの内容であっても引用RTはしないけども)そもそも、昼食時にはサラリーマンで混雑する定食屋からも、あんなに唾が飛ぶMCバトルからも、ウェイウェイしたクラブイベントからも感染者が出たという話を聞かない。マジでただの風邪なんじゃなかろうか……アイアムレジェンドになるつもりだったけどもしかして私が行き着く先は横井庄一じゃないのか……

昨年末からそろそろ企画ライブvol.3をやりたいなと思ってお金を貯め出していて、この調子で行けば秋にはやれるんじゃないかと思っていた。人脈の類いが皆無な人間は現金がないと何もできないのが世の真実だが、大体25万円弱あればお客さんが例えゼロでも私がやろうとしている規模のものは不安なくできるので、3月位の段階で大体の目処は立っていた。行けなかったライブも、「行けないなら、自分で呼べば良いじゃない」とブルジョアジー思考フルスロットルでプラスに転換していた部分もある。6月位になったらライブ行くのも再開できるよね〜と暢気に考えていたのだ……

配信しようとすると、従来のライブ開催にかかっていた費用に加え、いくらかかるのかを考えてみた。イープラスが行っているサービスを例にあげると、配信機材/スタッフ/配信できる環境などセルフでやれる場合はチケット購入時にチケット代以外に購入者が負担する配信手数料みたいなもので基本的にはまかなえるらしい。配信じゃないライブのチケットに関しても、チケット料金の数パーセントで販売を行ってくれるのでありがたい存在だった。その辺の感覚はあまり変わらないように思える。スタッフ派遣や機材レンタルが必要な場合の金額は応相談となっているが、スタッフ一人派遣して数万円、ハンディカムでもレンタル1万円前後、もちろんスキルやスペックで金額は違う。いまいちピンとこないが、リアルタイム配信となると現場でスイッチングした映像を配信サーバーにアップロードしていくらしい。そんな負荷に私のMacBook Airが耐えられるわけがないので、この時点でMacBook Proを購入しないといけない。カメラも3台はほしい。据置1台で、1台は私が持つとしても撮影スタッフはもう一人必要。カメラマンの知り合いはいるがスチールメインだし、私も普通のデジタル一眼とGo Proしか持っていないので、ビデオカメラは3台ともレンタルしないといけない。スイッチャーも用意して信頼できてセンスあるスイッチングできる人を探すか、自分が操作を覚えて納得できるスイッチングをやった方が他人への要求が少なくて良いかもしれない。これで25万円以内で収まる気配が全くしない。怖すぎる。しかも失敗したら返金祭りじゃないか……私の精神が持つ気がしない。多分プレイガイド通さずに独自の配信システムでやっているところだったらハコの設備を使ってもっと費用を抑えられると思う。が、何の繋がりも持たない人間が他人を集めて配信やろうというのはどう考えても現実的ではないな。観た配信ライブに対して、スイッチングのグダグダやセンスのない絵がどうのと不満を言ってしまって正直申し訳ないという気持ちすら出て来ている。利益度外視で配信してくれるだけでありがたいし、スタッフ集めて配信してくれるだけでありがたかったのだ……細部のクオリティを求めるならば、配信で5000円位しても文句は言ってはいけないのだ……(完パケデータを後日アップロードも受け付けているとサイトに記載があったし、結構な金額するならリアタイじゃなくて後日でも良いという感はやはり否めないが)

話を、観る方の配信ライブに戻す。あくまでも私の場合、という前提なのだが一時よりも「現場に行けない分観なければ……!」という使命感が薄れて来てしまった。これはそう悪い話ではないと思うが、有観客のライブが増え、半分のキャパとはいえ100枚位チケットが売れているので自分の使命感そのものが意味を持たなくなって来てしまったのだ。

まだnoteをやっていなかった頃、あくまでも日常生活の報告の一環という名目でライブの感想などをInstagramに書いていた。Twitterは顔が見える感想を書くのに向かないプラットフォームなので、タグでも付けない限り検索しにくいInstagramの方が気が楽だった。感想や褒めや動画を喜んでシェアしてくれるような推しのことならせっせと呟いたけど、気持ち悪い自意識の片鱗を見せないように言葉を選んでも、反応が皆無どころか痛々しいファンがいて迷惑がってるんじゃなかろうかという疑惑が自分の中で持ち上がったりと、どこにも誤解を与えないように140文字では伝えられないことばっかりだった。

程度の差こそあれ、ライブなどの現場がない事でメンタルが弱ったアーティストの話を聞いた。表現の場が奪われた事はもちろん、配信での壁打ち感が空しいというのもあるのだろう。わかるよその壁打ち感……先日のアルティメットパーティのアーカイブはまだ全部観ていないんだけど(使命感の薄さ)、パーカッションに特化した感想を頑張って書こうかと思う(熱い使命感)。

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