[ Human ] Wheel of Fortune : 運命と自由意志
はじめに
本件は「運命」と「自由意志」についてのお話です。この相反する二つの考えについて誰もが頭をひねった事でしょう。なぜなら、運命があるとするならば人の一生は決められたものであり、自由意志は無いと言えます。逆に、自由意志があるならば、決められた運命というものが無いと言えます。両立しない二つの考え。ゆえに人を悩ませます。
しかしながら、一見矛盾する「運命」と「自由」は、一つの車輪として回転しております。この運命の車輪を紐解く鍵は、わたくしがいつも言う「やりたい事ではなく、やらなければならない事でもなく、やるべき事を」にあります。また、以前の記事『月に意思があったなら』も鍵の一つです。
この世はあらゆるものがあべこべの世界。自由だと思っていることが、実は自由にさせない足枷であり、不自由だと思っていることが、実は真の自由だったりと。
運命の車輪
この回転する車輪に「人の人生」を重ね読み解いてゆきます。まずスケールから。"車輪の一回転"と"人の一生"がイコールです。運命の歯車はそうクルクルと回りはしません。ゆっくりと、しかし確実に、生を受けた瞬間から死へと向かい回転します。この世に生まれ落ちた瞬間から何人たりとも死から逃れることは出来ません。
故に、時間とは"余りあるもの"ではなく、限りあるものです。あなたは明日死んだとして後悔はありませんか?メメント・モリを忘れるべからず。
「Memento mori」
「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」
「死を忘ることなかれ」
運命と自由意志の車輪
限りある時間の中で回る「運命の車輪=人の一生」は「運命の輪」と「自由意志の輪」の二重の輪で構成され、「自由意志の輪」は「運命の輪」に内包されています。この運命の輪は現世に生まれ落ちた時に決定しております。つまり「やるべきこと」は「運命」と置き換えることができ、生まれた時に決まっているのです。
その運命の車輪の中にあるのが自由意志の輪。多くの人々がこの輪を「運命の輪」と勘違いし必死に回しています。この二つの輪の間にはベアリングがあると思って下さい。
いくら自由意志の輪を回そうとも「運命の輪」に力は伝わらないのです。そして、運命の輪に気付かぬまま空回りの一生を終えてしまいます。
自由は隷従なり
自分は自由だと思いますか?何者にも囚われておりませんか?ハムスターのように空回りしておりませんか?では以下の小話を読んで下さい。
上記に類するものが「やりたい事」と「やらなければならない事」と「それらに囚われた人の末路」です。
欲求からくる"やりたい事"
常識からくる"やらなければならない事"
このような、決められたシナリオの中で一喜一憂することを自由と言うならば自由ですが、わたくしのきつい言葉では「隷従の中の自由」と言います。もう少しはっきり言いましょうか。「箱庭の中の自由」です。狭い箱を大きな世界と勘違いさせられ、その中だけの自由を「真の自由」と勘違いし飼われております。その箱の中で自由に振る舞い欲求を満たせる事が自由だと思っていると言うこと。そして、こう言うことに気付かぬよう、一定の知恵をつけた年齢に達すると”⇩これ”が解放され、IQは制限され、何も考えられぬまま一生を終えます。
何のため、何をしに生まれてきたのでしょう?
本来の自由
本来の自由とは「考えられる自由」です。好き勝手に自由に考えられること。刷り込まれた常識の上に成り立つ「自由」ではなく、本来の喜びを感じられる自由。
3S政策に類される娯楽はどれも娯楽ではありません。ベアリングが付いた輪をひたすら空回りさせるためだけの娯楽です。一つだけ例を挙げるとすれば野球。ベースボールとか何とかカッコいい名前と、選手の年俸で「素晴らしいもの」と刷り込まれておりますが、魔女の言葉で申し上げますと「大の大人が玉っころを棒切れで引っ叩いて一喜一憂する遊び」です。いつも言いますが”それ”が何であるかきちんと認識して下さい。「球技」と言うものは「玉っころ遊び」であり、やるべきこととはかけ離れております。そして娯楽全般がこう言うものです。ここに囚われている間は一歩たりとも前に進めません。
では、最も高貴な本来の娯楽とは?それは理解する喜びです。では何を理解しろと言うのか?
理解とは、「理を解く」と書いて「理解」です。
よくこう聞かれます。「カバラを学んでどう実生活に活かせば良いか?」「カバラを学んでどうするの?」と。そもそも、まずその発想自体が間違っているのです。カバラは運命の輪に属する学びです。それを自由意志の輪に持ってこようとすること自体が間違いです。「個」のための知識ではありません。
運命の輪は言わば「全」であり、自由意志の輪は「個」。「全」の知恵を「個」である自分のために利用しようとすることはできませんし、そもそも、そう考えているうちは運命の輪を回せておりません。
男女・年齢・思想・国・ステータスなど、「個」を形成するただの記号・情報に囚われているうちは、全体が見えないのは当然のこと。「私が私が」の個の精神で、人類全体を考えた古き賢者の言葉が理解できると思いますか?
ではこの二つの車輪を分けるものは何か?つまりベアリングを取っ払い、二つの車輪を動かす為には何が必要なのでしょうか?
不死鳥の象徴
それは「個」を捨てた状態、すなわち「自己犠牲」の精神に他なりません。
例えるなら、「〇〇太郎(30)〇〇大卒・会社員・既婚・収入000万円・持ち家有り」と言う「個」を捨て、「自然の一部の人間」と言う「全」の視点に気付きますと、個はどうでも良くなります。何も飾る必要などなく、誰と比べる必要もなく、ただ生きて運命をまっとうできれば良いのです。自分にしか出来ないやるべきことを。
『黙示録』の記事の最後にもありましたでしょ?
不死鳥は磔にされる救世主の象徴でもあります。磔にされる事が分かりながらもアダムとイヴの罪を贖うために生まれ落ちる。自己犠牲の象徴です。そして、「全」のために何ができるか?との自己犠牲の精神が宿ると、二つの輪が連結し動き始めます。ここからが運命のスタートなのです。
歯車とシンクロニティ
そうして自分の運命の輪が回り始めると気付くのが、運命の輪は「歯車」でもあると言うこと。己が気付き、己の運命の輪が回り始めると、同じように運命の輪を回している者と噛み合います。いわゆるシンクロニティだとわたくしは考えております。これは海外にいようが国内にいようが、男だろうが女だろうがお構いなく、異常な確率でシンクロするためすぐに分かります。わからない事があった時、とりあえず運命の歯車を回している魔術師仲間に投げれば、容易に答えが見つかります。大抵の場合、同じような運命を歩いているため恐ろしいほどシンクロしますし引き合います。ただ、こんな場合もあります。イメージとしては以下のような歯車。
運命にうっすら気付きながらも、「隷従の中の自由」に囚われ、運命の歯車を回しきれぬ人。わたくしの元へ集まってくる方は、この状態の場合の人が大多数。頭では気づいていても行動へ移せない人。
ではどうすれば良いのか?
わたくしは扉までの案内人。扉の向こう側を、運命の輪を、チラッとお見せする現代の魔女。隷従の中の自由を気付かせ、真の自由を伝える魔女。それを知った上でどうするか?
それはあなた次第なの。
隷従の中の自由は居心地が良いわ。嫌な事を先送りするのも結構。でもね、この世は等価交換の世界だってことを忘れないで。偽りの自由に身を浸したなら浸したなりに、嫌な事を先送りしたなら先送りしたなりに、必ず後で対価を支払うことになります。歳を取れば取るほどに、変換期の自業自得が酷くなり支払いがキツくなります。
そして忘れないで。業を溜めるのはいつも「個」を優先する「自由意志の輪」の世界。その世界に囚われている間は、まるで自分の尾を飲み込むウロボロスの様であり、必ず何処かで業を貯めます。よく考えて。「自分さえ良ければ良い」と言う「個」が強い人間の周りには同じ様な人間が集まります。そんなコミュニティがいざって時に助け合いができると思いますか?
逆に、運命の輪では「全」が全て。個を捨てた者は自業自得の輪廻から外れます。
そして本件で最も大切なことは、自業自得の輪廻から外れた者は、わざわざ自由意志の輪に手を突っ込んで引き上げようとはしないと言うこと。これは薄情だからではありません。「己の意志」でしか「隷従の中の自由」から出られないことを知っているからです。それにね、、、
卵の殻を外から割ったら中身は死んでしまいます。
卵の殻は内側から割らなければならないのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?運命の車輪を構成する二重の輪をご理解頂けましたでしょうか?
「自由意志の輪」は、その中にいるうちは「自由」であると勘違いしております。しかしながらそれは「隷従の中の自由」であり、真の自由とは程遠いもの。真の自由は「支配者によって設定された隷従の中の自由」から脱却し、人として何ができるのか?人として生まれ何をやるべきなのか?に己の意思で答えを出せた時、初めて手に入れられるものです。
忘れないで。
人間は己の意思次第でいくらでも高く飛べると言うことを。
人間の可能性は無限であると言うことを。
可能性に蓋をしているのは他でもない自分であると言うことを。
欲求からくる"やりたいこと"ではなく
常識からくる"やらなければならないこと"でもなく
定められた運命を背負いし人間としてこの世に生まれ落ち
何をやるべきなのか?
ではでは本件はこれにて締めとさせていただきます。あなた様の心にわたくしの慈愛が届きましたなら引き続きお付き合いをお願い致します。
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