生きづらさを感じる日々に

「あれ、なんか生きづらい」
そう感じることが歳を重ねるごとに増えてきたので、経験を綴りながら自分なりに緩く分析していこうと思う。甘ちゃんやなこいつという気持ちで読んでみてね。

20代前半、世間的に見ればまだ若い方なのだけれど、自分より歳下の子や出来る子を見て焦る。他の子と比べて私の人生薄…私って思ったより何も出来ない人間なのか?とこの歳で気づいてしまったのだ。

[ 生きづらい、と感じてしまう主な原因 ]
1. 固定観念が強すぎる
 まず、自分自身、固定観念が大嫌いである。この歳ならこうなっていなければいけない、こうゆう生き方をしなければならないという意見、反吐が出るほど大嫌いなのだが、それゆえに気にしすぎてしまう癖が出来た。気が付くと
「あれ?私、世間のこうであるべき像からかけ離れすぎていて社会から逃げているだけなのでは…?」
という強い恐怖に襲われ唐突に死にたくなってしまうのだ。ウケる。

2. 理想が高すぎる
 これは上記にあげた原因と似ているのだが、私は自分に対する理想があまりにも高すぎるが故、己の能力の低さとのギャップに絶望してしまうのである。
私は昔から何者かになりたくてなりたくてたまらないけれど、何をすれば良いか分からず結局行動に移せない人種であった。とりあえず、地元を出て知らない土地で暮らせば何か掴めるかもしれない!というありがちな妄想を抱き、20歳で県外のデザイン系の専門学校に通うことになった。昔から絵を描くことは好きだし、デザインというよくわからない分野について知りたかったからである。
結果として、私は本当にこの選択をして良かったと心から思うし、両親の力もそれはそれは大きかったがまずは、” 自分で見知らぬ土地へ行く判断が出来たこと " にとても拍手を送りたい。
今になって思うが、無謀すぎて笑ってしまうし、なぜ知り合いもいない土地、何も知らないものを学びに行けたのかその情熱がすごいと思うので、今これを読んでいる若い人、思ったら行動に移すのは早い方が良い。周りに何を言われても行動して得るものはでかい。プラスな面もマイナスの面も。考えている今が一番若いから動け。
今まで出会ったことのない考え方の人たちや、同世代でこんなに能力の高い人間たちに囲まれて生活できたこと、友人になれたこと、得たものは大きく、素晴らしかった。しかし、私自身は何者にもなれなかったのである。
この現実を受け止めること、相当しんどい。周りが凄すぎてすっかり自信をなくしてしまった私はインプットはできてもアウトプットが出来なかった。
大きな焦りと虚無を抱えてしまったのだ。

3. 行動に移す前、必ずネガティブな状況を考える
 これは本当によくない自分の癖なのだが、何をするにしてもまず、最悪な結果しか考えられないのである。
私は専門学校を卒業後、就職をすることができた。すっかり自信もやる気もなくし、就活に疲弊していた頃、地元の友人がwebのデザイン会社に勤務していると教えてくれた。デザイン業はもう辞めておこうと思っていたが、やはり学ばせて貰った両親への恩や責任は大きく感じていたため、地元に帰り、面接を受けさせてもらい、デザイナーとして新卒入社をすることができた。しかし私は内定を頂いてからかなりの不安と自信のなさから、いじめられたらどうしよう…使えない奴と思われたらどうしよう…という思いしかなかったのである。もう最悪な新卒ですわ…わからない、皆思うんですかね??
そんなネガティブなことばっかり考えていた私の予感はありえないほどに的中してしまった。学生時代に癖になってしまった他人との比較、デザイン業だと可視化されやすいため、そのストレスは日に日に増す一方。出来ない…向いてない…と情けない感情ばかりが募っていった。その上、男性が多い会社だったため、中学生男子のようなノリが一人っ子の私にはかなりこたえた。キャバクラに行った話を業務中に平然と大きな声で喋る上司と同僚、それに率先して加わっていじる先輩…怒号が飛び交う部署…社会とはこんなものなのか…という絶望の日々。社内の同世代に相談するものの、「やばいよね分かる」というだけで、私までのストレスは感じていない印象であった。
その上、謎の親睦イベントが多いこと多いこと。いい大人が好きでもない人間達と何故スポーツやパーティをしなければならないのか、私は子供なのでそんな感情しか湧かなかった。そんなある日、同僚から驚くべき発言をされた。「親睦会とか見てて思いましたけど、〇〇さんって真面目かと思ってたけど意外とクソなんですね😃」あまりにも驚きすぎて唖然としてしまった。
人は驚くと固まるって本当だなと実感した。あぁ、やっぱり私の不安は的中するんだなとこの一連により確定してしまったことによる絶望。
私はついに適応障害と診断され、1年未満で退職することになった。

生きづらさの最大の原因としては
「自分は人にどう思われているのだろう」
と、考えてしまうことなのだろうか。
私はあの人にとってどんな立ち位置でどうゆう印象なんだろう、何番目に気にしてもらえるのだろうと考えてしまうのが劣等感や息苦しさを生むのかもしれない。

私の現状としては人生に詰んでいる。何をどう動けば現状打破できるのかが分からない。週2で心療内科に行き、見えない出口を探して薬を飲み続ける毎日。やりたいこともやれることもなく、ただ毎日が過ぎていく。
人間に期待したいのに、不信になって動けない。一度味わった絶望は消えないのである。恐怖を知りながら立ち向かうのが勇気なのだ。

ゆ、勇気と強さ、欲し〜〜〜〜〜

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