相談と愚痴の違い

相談も愚痴も自分の抱える問題を相手に告げている点において、変わりはない。
このような相談と愚痴の違いは、端的にいうと、今の自分を変えるつもりがあるか、という点に尽きる。

相談をしているといえるには、自分の問題の解決法を相手に提示してもらい、それに従って自分を変える覚悟がある場合である。
勿論、相談の結果、得られた回答が必ずしも自分に合ったものではない場合もあり得るので、このような場合に、回答のとおりに行動するとは限らない。
それでも、相談の結果によって、自分の進み方を多少なりとも変えることをしていくつもりがないと、相談する意味がない。
更に言えば、自分が変わるつもりもないのに、相談をすること自体、相手の時間を奪うもので失礼である。
"時間は命"であると言われるが、失礼な相談で相手の時間を奪うことは、相手の命を奪うことに等しい。

他方、愚痴は、ただただ自分の問題点を垂れ流すだけである。
愚痴を言わずにいられない人は、聞き手が対処法や解決策を伝えても、そんな対処法等を私に伝えるのは、失礼であるかのように、愚痴を言い続ける。
時間は命であるのだから、徒に人の命を奪う失礼極まりない行為である。
さいとうひとりさんは、愚痴は聞く必要がない、おっしゃっているが、上述の理屈が背景になっているといえる。

私の経験では、相談の形を取った愚痴が言われることが少なくない。
こちらが解決策等を伝えても、結局それを聞き入れるつもりがないことを前提に、自分の問題や不満垂れ流し続けるのだ。
そんな愚痴を言う名人になるより、自分を変える名人になれば良いのに、と思うが、そういう自分自身は大丈夫か?
改めて、自分も反省したい。

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