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コロナと同棲解消 ー 同棲解消記録 『色恋を持たない多崎ありゅーと、彼の巡礼の年』

第7波まっただ中。
猛威。

これまでは飲みの約束等が
自治体の出す自粛要請なり世の空気を憚ってなりで
ちょっと今はやめておこうか、と流れることはあった、が、

第7波の下では
そもそも一緒に行く予定だった方がコロナ陽性になっちゃった、濃厚接触者になっちゃった、という理由で物理的に流れることが重なっていて
もうほんとに身近に迫っていることを肌で感じる。


コロナに絡めて記録を書こうとして、トピックで浮かんだのは2つ。すなわち、

①コロナ禍で同棲解消するしんどさ(に、思いを馳せる)

②コロナ禍の過ごし方で浮き彫りになる価値観の差

でございます。


①コロナ禍で同棲解消するしんどさ(に、思いを馳せる)

今回いろんな人に会いに行くということができているのは
コロナが一定程度落ち着いて
飲みに繰り出すということがある程度許容された世の空気に後押しされている面もある。
私だけでなく、やっぱりみんな、ちゃんと会って飲みたいんだよね。サントリーのCM、ほんとその通り。

そういうタイミングでの同棲解消だったのはある意味不幸中の幸いとでもいうのだろうか、
人と会うことで治癒されている実感がある身としては
もしこれがコロナ真っ只中、それこそ街から完全に人が消えたあの頃だったらと思うとゾッとする、ゾッとするでは足りない、ゾゾゾゾぐらいする。

同棲解消というのは、人といるのが当たり前という暮らしが一変して
特に私のような元々が一人暮らし上がりの人間からすると、まさに1人への回帰である。


孤独の重みは凄まじい。


物理的に家から出るなというご時世においては、この1人への回帰は本当にとんでもない孤独をくらうことになるのだろうなというのは想像に難くない。
きっとオンライン飲みで繋ぎ止めようとしても、回線が切れた瞬間につむじ風のように孤独が襲ってくるのだろうなと想像する。ゾゾゾゾゾゾ。


一方で、コロナによる暮らしの制約は、同棲生活においてプラスにもマイナスにも、とにかく大きな影響あったのだろうなぁと。

コロナ禍×同棲 によって、あぁやっぱりこの人なんだとなって結婚に駒を進めたり、逆にあぁやっぱりこの人じゃないやが決定的になって別れになったり。私の周りにも、そのどちらのケースもありました。

コロナによってそれまでの関係性の「リズム」というか「呼吸感」が否応なしに変わってしまう事象。それまで円満だったところ、ニューノーマルを強いられてチューニングが微妙にずれてしまう、という感じ。なんかやるせないですよねそれって。

ニューノーマルのいい側面をとらまえて前向きにこの困難な時世をすべりたいというのは誰もが思うであろうが、コロナがなかったら私たち続いていたのかな、なんてもう切なすぎ。


②コロナ禍の過ごし方で浮き彫りになる価値観の差

こういう緊急時、非常時における振る舞い方が同じか違うか、それは関係性を続ける上で結構クリティカルだよね、というのは言われ古された議論ながら当事者としては大いに納得。

きっと誰もが経験したであろう行動制限下での振る舞い方の迷い。
各々が、不安定な中でいろいろと考えなければいけないご時世。


明らかになる毒性!形骸化する緊急事態宣言!無駄に出社させようとする上司!覚醒する初号機!自粛に喘ぐ飲食店!なんだかんだ営業を続けるシャビーなエリア!巻きおこるサードインパクト!地方を襲う医療逼迫!とめどない旅行欲!自粛化での家族サービスサービスぅ!は?


簡単な例でいくと、
私は割と政府・自治体の指針とか自粛要請とかしっかり従いたいタイプで、
一方で元同棲相手は、自粛化であっても遊びに飲みに出ている人は一定数いるのだから、自分達が我慢してもしょうがない、正直ものがバカを見るのだ的なタイプで。
毒性とか陽性の締め付け度合い的に、出ちゃって良くない?って考えの人がそれなりの数いたタイミングなのでこの考え自体もすごく良くわかるのだが、
この考えの違いって結構根本的だなと今振り返ると思うわけです。

バスタオルやシーツを毎日洗う派か、とか
お金をどういうモノコトに重点的に振り分けるか、とか
そういう一緒に暮らす上で大事な価値観の「合う合わない」のチェック項目として
コロナ禍での振る舞い方ってかなりクリティカルなものだよなと。

あぁ、この頃からもしかすると根本違ったのかなぁ、とか思った次第です。
埋められるものと、埋められないものがあるものね。


私もまたひとつ大人になりました、シンジくん。

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