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7.89㎡ ー 同棲解消記録 『色恋を持たない多崎ありゅーと、彼の巡礼の年』

明日、ついに引越しの日を迎えます。
区切りの意味での散文です。ほんとに散文です。浮かんだことをあるがままに書き殴っているので、とっちらかり具合がすごい散文です。


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2人暮らしだった家を引き払い、
1人暮らしに立ち戻る。


今の家はとても居心地が良い。
明るく、景色も良好、スカイツリーが望める。
風の通りも申し分ない。間取りも勝手がきく。
呼んだ友人もほぼ100%褒めてくれる。これは地味に嬉しい。

しかし1人で住むには、如何せん、持て余す。
お金の面でも住み続けるのはちょっと苦しい。
そして、2人の暮らしが確かに実存していたこの空間に1人で居続けることはおそらく精神衛生上もよろしくない。

…とか何とかいいつつ、彼女は早々に実家に戻ったため、私がこの持て余した暮らしを営んで、もう3ヶ月弱になる。

すぐにでも出るべきだったこの家であるが、そうも急に事は運ばない。
この空間に1人というのにも、心情の面でそれなりに慣れてしまった。


季節が移るなかで、彼女が知らないこの街の横顔をいくつも拝むことになった。ベランダから、久方ぶりであろうお祭りの神輿が街を巡るのを眺めた。
紫陽花が至るところに咲いた。
ひとつ、またひとつマンションが完成した。

でももう、そういう街の表情を堆積させることも、終わる。


*****

彼女の荷物が引き払われた日のことを今でも覚えている。

その日、私は家を空けていて、その裏で彼女は服やら化粧品やらの荷物を引き上げていった。

2人の生活から、本当に彼女の色が消えた。

帰宅した時、家の要所要所から彼女の色が消えていて、膝から崩れ落ちそうになった。別れる、という事実はとっくに固まっていたものの、有形のものの変化というのはやはり堪えるものがある。

こういう気持ちになることは予期していたので、恥ずかしながら友人に家までついて来てもらったのは今でも正解だったと思うし、とてもとても感謝している。その後の深夜のお酒は、いつにも増して脳を冴えさせ歪ませもした。結局寝てしまってごめんなさい。


一方で、「踏ん切りをつける」という意味で色々と拾い上げると、
この家から望めるはずだった隅田川の花火大会は今年も中止が決まり、
近くになったから通おうと思っていた江戸博は改修のため長期休業となり、
何より彼女との暮らしにもピリオドがうたれ、
もうこの街に用はなくなった、とでも言えば気持ちいいだろうか。

また何年後かに(思い立ったなら、であるが)この街を訪れることがあれば、違った面持ちで街を巡れたらとか思う。思う、ことにする。


*****

さて、着々と準備が進み、
ほとんどの荷物は段ボールに収まった。
引越し前後の、段ボールが積み上がったこの感じは、
居住空間にもかかわらず暮らしという色が全くもって発せられない、稀有で面白さすらある光景である。

かつて2人で解いた荷物たち。
今それは全て再び段ボールに収まり、私は1人それに囲まれ、
暮らしの実存を感じさせない無機質な空間で、最後の夜を迎える。
「断ち切る」という意味では、これも重要な過程なのかもしれない。……。

……しかし何だかどうにもたまらず、
隅田川沿いに逃避し、最後のランニングを敢行した。
ここはとても素敵なランニングコースだったから、今日でお別れなのはとても残念。
そういえばランニングを始めたのも今回のお別れがきっかけ。そういう意味ではこれは彼女が知らない私の側面である。

街だけでない。私も変わっていく。流れていく。


******

7.89㎡。


今の家と引越し先の家、その間取りの差である。

2人の暮らしが終わり、彼女がここから抜き取っていったものは、
この面積に相当するのだろうか。
1人の暮らしに立ち戻る上で失う面積。
あるいは、私の心に浮遊する空白、その面積。


でも、次の家については、その間取り全てが私の思うまま。
1人に戻ることの良さ、気ままさ、的なそこら辺に目を向けて、

今般失うことになるこの7.89㎡分のいろいろを、この後の暮らしで取り返していきたいと思う。


良い街、良い家でした。

ありがとう。さようなら。

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