見出し画像

私が極悪人である世界線 ー 同棲解消記録 『色恋を持たない多崎ありゅーと、彼の巡礼の年』

海賊狩りと京都大原

いきなり『ワンピース』を持ち込んで恐縮だが、「麦わらの一味」の土方歳三、一味の「両翼」の片方を担う海賊狩りのロロノア・ゾロ。平たくいうと刀加えてる緑の人。彼の技名は、仏教用語に由来するものが多い(あと他にはご飯系。どこかコンビニはそろそろ開き直ってコラボおにぎり出すべき。)。

ワンピのストーリーの割と初期に、若きゾロは世界最強の剣士・鷹の目のミホークとの戦いにおいて「三・千・世・界!!!!」たる奥義大技を放っている。

2022年3月にこの記事の筆者たる亜流は京都に赴いたのだが、この「三千世界」の意味を、京都は大原のにある寺院、「三千院」を訪れた際の音声案内で知ることになる。


三千世界(以下、三千院のHP引用)
三千という言葉の由来は「一念三千(いちねんさんぜん)」という天台宗の教えで、「人の心の動きには、一瞬一瞬に三千の世界(=世界のすべて)が存在する」という意味を持つ。
噛み砕いて表現すると、「私たちは同じ世界に住んでいても、一人一人が世界を異なる形で認識している。そのため一人一人の心の中にはそれぞれに異なる世界が存在する。突き詰めると、世界を認識するのは各個人の心で、その心の動きを細分化して観察していくと、三千に分けることができる」ということになる。


この京都滞在記(1ヶ月くらい居ました)についてはなんらか別の形で纏めようとは思っているのだが、
とりあえずこの「三千世界」が今回の記事のプロローグである。ちなみに「三千世界」はちらと以下の記事にも出ているよ、yonigeのアルバム名になっている。


重ならなかった世界線の末路

さて、大々的に、日本が世界に誇る大冒険漫画『ワンピース』なり、京都の歴史ある寺院「三千院」なりを、前書きにおいてまで言うべきことが今回の記事内容なのか、と言われると、うーーーん、なのだが、

つまるところ言いたいのは「異なる世界線」に対する思い至り、であり、かつ「それぞれに親しい人同士は、それぞれの世界線を、肯定してあげようぜ」って話。

ここから一気にマクロ→ミクロに話が落ち込みます。天台宗関係者としては、いやいやいやいや!!!ってなると思いますごめんなさい。ちなみに我が家は日蓮宗、南無妙法蓮華経。

亜流はここ最近、同棲解消に伴う血みどろの話し合いの渦中にありました。同棲解消となると、単なるカップルの物別れ以上の、色々細々生々しいもの(々を使いすぎている)が付きまとう訳です。この話は多分、別途纏めます。

この過程は、我々のケースでは、残念ながら理想的な円満なモノにはならず
お互い擦り減って傷ついて、目も当てられない消耗戦になりました。ただ、今はなんだかんだ解決しています。

血みどろの話し合いの中では、お互いがお互いを「なんだこいつぅぅーーー!!」とジョイマンのナナナナーの人として認識している状態に陥ってしまっている訳です、もちろんテフロン。

そして私は、この血みどろのやり取りの中での「なんだこいつぅぅーーー!!」な事案を、親しい人に相談しています。そして、相談を持ちかけたみんながみんな、「なんだこいつぅぅーーー!!」ってなりました。ちなみにジョイマンの77している人じゃない方、の名前は池谷さんだそうですが、私の周りで池谷大量発生チュウ!な訳でした。

一方、こんな相談をばら撒いておきながら恐縮なんだけど、私は結構「一歩引いてモノを見ようとする」特性もある人間であり、当事者でありながらちょっと「天」的なポジションをとってしまうこともあるところ、

あれ、これって、多分相手から見れば私が77側なんだろうな、

と思ってしまった。

すなわち、私の世界線では彼女がジョイマン高木として77〜77〜77軟骨〜している一方、相手にとっt


……うんすみません。ジョイマンの描写やめます。わかりづらい。


ええ、えっと、すなわち、

私の世界線では彼女が私に理不尽を突きつけている悪人になっていて、かつそのような文脈で私は私の親しい人々に相談を持ちかけ、私の親しい人々の世界線としても彼女はきっと悪人になっている。
一方で、
彼女が彼女の親しい人にこの件を持ちかけているだろう現場では、私ってきっと極悪人として認識されているのだろうな、
ということに思い至ってしまった、というわけです。


確かに存在する、私が極悪人である世界線

かつては2人で1つの共通世界を生きることを夢見ていた我々が、今や全然違う世界線を見ている(見ている、というか、何ならそれぞれがそれぞれの「もっていき方」で、違う世界線を構築している)という現実は、なかなかこたえるものがあります。

一歩引くことにより「当事者としての流血」を回避しようとしたにも関わらず、この「世界線の差異」に思い至って激しく血が流れているわけです。乞う献血。

三千世界、そのうちのたった2世界からはじまって、互いがそれそれ親しい人の世界線までおそらく巻き込んで、悲しい対立をしているわけです。

この世には「私が極悪人になっている世界線」がきっと確かに存在していて、

一方、私が私の行ったばら撒きにより、「彼女が極悪人としてうつる世界線」を構築してしまっているわけです、きっと。


で、何が言いたいのだロロノア・アリュー

でも突き詰めると、恋愛、何なら人間関係全般、この「世界線」が重なるか相違してしまうか、で色々と片付いてしまう気もする。私の見ている世界と、貴方が見ている世界は究極は別物なのだと。

まさに今の、分断の進む世界情勢にも重なるところはあるが云々を言い出すとちょっと話がとっ散らかりすぎるのでミクロな話に絞りますが、

こんな時に大事なことは、「親しい人の世界線に寄り添うこと」なのだろうなと。

きっと私が語っている世界は私の眼で見た世界でしかない、対立する相手には全然違う世界が走っている。恋愛に関してはこの「世界線の相違」がじゃんじゃん起きる。

そんな中で、結局、世界を客観視できる全知全能の神なんていないし、私たち無力な個はそんな立場を取りようもないのだから、

大事なのは「親しい人の語る世界線に極力寄り添う」こと、なのだろうなと。

平たくいうと、親しい人が恋愛絡みで傷ついた時に、変に天の声的な、客観視の上で裁判下す的なアプローチをするのではなく、その人に(その人の世界線に)寄り添うってとても大事なのだろうなということ。

これは励まされる側たる私がその立場において主張するのはとても烏滸がましい話なのですが、こんな立場に置かれて色々と巡って得た気づきなのであえて発信したいです。


絶対解も全知全能もない中で

今回の巡礼を通して私が終始、人との関わりで救われていると感じられるのは、皆様が私のみる「世界線」に寄り添ってくれているからだと(誤解を恐れず言うと、それが「客観的に」正しい解かというのはおいておく。というか正しいかどうかは、繰り返しになるが私のものの伝え方のバイアス等も絡むであろうため、究極は闇の中。)思う。

逆の「世界線」がきちっと存在することを今回身をもって思い至ってしまった以上、何が「絶対解」か、なんてものが空虚であると思い至ってしまった以上、少なくとも親しい人の世界線には寄り添う、これってとても大事なことなのだろうなぁ。

もちろん、その世界線が道徳とか人道のレベルで著しく誤っているなら正すべきだと思うしそれができるのも親しい間柄故だということもあるが、実情としては「絶対的に間違った世界線を生きようとする人」なんてほとんどいなくて、答えのない中での世界線の分離で、どういう世界線にいるか、というのが多い気がする。

うーん……セカイセカイうるさいなぁこのnote。セカイを連呼するとなぜかRADWIMPS感でるよなぁ。

恋破れた2人は、多分それぞれがそれぞれのリソースでもって、自身を肯定する「世界線」を構築していく必要がある。それは時に、相手を悪人に据えるやり方であっても。

なんだか、自身が極悪人という世界線がどこかで確かに走っていることを意識すると、恋愛において意図せず人は被害者になり加害者になるという言葉の深みが増した気がする。


せめて、彼女には、必要とあらば私を極悪人と据えてでも、その「世界線」をしっかり幸せに生きてほしいと思う(うんちょっとこれはカッコつけてる感あるね、この記載は)し、私もおんなじようなことを経た回復の試み、その最中にある。


悟りのひとつも開けそうなものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?