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【随筆】みかんを剥いてくれた祖母の手に

お正月ということで、ふと思い出したのが

私が幼稚園か小学校低学年くらいの頃だったかな?

家族で親戚の家に遊びに行ったんですよ。

そのとき、今はもう亡くなっている祖母がまだ元気で、みんなでこたつを囲んでいました。

こたつの上には、籠いっぱいのみかんが置いてあった。

祖母はそのみかんを剥いていたのですが、何を思ったかそれを自分で食べるのではなく、向かい側にいた私に

「ほら剥いてやったよ、お食べ」と差し出したのです。

ビックリしました。

まず自分の家では、親がみかんを剥いてくれるなどという習慣がなかった。

また私は口に入るものに関しては潔癖だったので、せっかく皮に包まれていた実に親しくもない人の手が触れたこともイヤだった。遠方に住んでいる方の祖母で、めったに会うこともなかったし、とっつきにくい人だったし。

第三に、私はみかんが大好きで、その「好き」には皮をむき白い繊維を指でつまんで取り除いたりする、その過程の楽しさも含まれていたから。

下世話な例えで申し訳ないが、大好きな彼女と二人きりで、これから彼女の服を脱がせようという楽しい時間に

他の男が割り込んできて彼女の服をサッサと脱がせて「おまえの手間を省いてやったぞ。ほれ」とやったらビックリすると思いますが

おミカン様をこよなく愛していた私もそのくらいドン引きしました。

かといって素直に「イヤ」と言えるほど親しくもないから、子どもなりに気を使って

「ありがとう」と、皮をむかれたみかんを受け取ったのですが

その様子を見ていた叔母の一人が、私の迷惑そうな表情に気付いたのか

「やだ、皮なんて剥かなくていいのよォ!私だって子どもの頃イヤだったわよ、おばあちゃんのシワシワの手で皮なんて剥かれるの!」

と、明るく大声で言い

彼女が嫁の一人ではなく実の娘だったこともあってか?祖母もあっさり

「あら、ごめんねぇ。じゃあこっちを食べなさい」

と、皮つきのみかんを渡してくれたのでした。


非常にどうでもいい些細な出来事だし、なぜこんなに鮮明に憶えているかもわからないのですが、時々思い出してしまいます。

その叔母は、後に精神を病んで、長期入院することになります。上司の顔色でもうかがうならまだしも、子どもの微妙な表情までしっかり見ているだけあって人一倍敏感なところがあったのかもしれません。

祖母の心中も、今なら少しわかる。

親や他の親戚から聞いていることを繋ぎ合わせても、総じて不器用で孤独な人だった。

子どもと接するのも上手い人ではなかったですが、久しぶりに会った孫と何か関わりを持ちたい、世話を焼きたい衝動にかられたのだろうな、と。

だからって、自ら台所に立って子どもの好きそうな料理や菓子を作るとか、卓上ゲームを用意したりとかいう、本気でエネルギーの要る動きはしないんですよ。べつに当時病気だったとかではなく、本当にもともと身体を動かすことをしない人で、それが許されるくらいの経済的ゆとりがあった。

で、まあ省エネモードのままで手っ取り早くできるのが、「とりあえずみかんの皮でも剥いてあげる」だったのだろうけど

そんな頭も体も休止状態で考え出した親切って、往々にしてありがた迷惑になってしまうわけで。

こういうズレって、親戚じゃなくて他の関係でもあるし、仕事の人間関係でもあるかもしれない。

自分がしてあげたいこと=その人がしてほしいこと

というふうに上手くかみ合うなら素敵だけど、そうじゃないこともたくさんある。

もしかして「相手が本当にしてほしいこと」「本当に嬉しい事」というのは、自分としてはやりたくないことだったりするのかもしれない。

そこをどれだけ歩み寄っていけるか

踏み込めるか

それが 愛なのかも。


愛されるのってそういう、頭と心をしっかり使って いくつになっても人のために行動しエネルギーを使うことを厭わない むしろ喜んでやるような人たちだから、すごいな、といつも思う。

でもそれは損なんかじゃなくてきっと

エネルギーはちゃんと廻っているんだよね°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°


















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