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誕生

母からよく言われていた事。
「あんたなんか産むんじゃなかった」
「おまえのせいで、私の人生めちゃくちゃだ」
「あんたのパパのせいで、私はこうなった」
物心ついた頃から言われ、物心ついた頃から思っていた。
「生まれたくなかったんですけど」
後に私を産んだ理由がわかるが、それは後に書きます。

父は極道のお偉いさん、母はホステスで
母のお店で知り合ったそうです。
まだ成人式も終えたばかりの母は、親の歳に近い父に惚れ込むと…大人の男に見えたんでしょうね。父は、靴下すら自分で履きません。
そんな若い母も、父の事務所に行けば「姐さん」と呼ばれるのです。
私も父の事務所の人には可愛がられました。
母の一番下の弟は私と歳が近いので、一人っ子の私はお兄ちゃんだと思い付いて回るのですが、七五三の時に私を押して怪我をさせてしまった為、当時中学生だった叔父は殺されると思ったそうです。実際は怒りもせず、泣いてる私をなだめていたそうです。
父がいた頃でもイラストのような家族ではなく、父からの愛情は注がれていたように思います。保育園の送りも毎日ではないですが、父がしてくれ、迎えに来てくれた帰りには近所の喫茶店で、私はバナナジュース、父はアイスティーを飲みながら、私の話を聞いてくれました。
夜になると父と母は毎日喧嘩し、毎日警察が来る。父と母と3人で寝たことは一度もないです。止めに入る私は母に突き飛ばされ、泣きながら震えてました。
父が出ていきおさまるのですが、その時の母は私を抱きしめて泣くのです。
「私がいないとダメなんだ」
小さいながらにそう思った記憶は残ってます。

きっとまだこの頃の母は、私を子供として見ていてくれていたのかもしれません。もしくは、まだ若い母も知らなくて良い世界に戸惑い、遊びたい盛りで普通の幸せを望んでいた、普通の女性だったのだと思います。画像のような普通の家庭に憧れて結婚したのにどうしてこうなってしまったのだろう…そんな気持ちはあったと思います。もう二人ともこの世にはいないので、真実はわかりませんが。

ある日を境に、父は消えました。
理由を誰にも聞かず、保育園から帰ると祖母の店兼家に預けられるのですが、店の外のガードレールに座り父をずっと待ってました。
「暗いから中に入りな」
そう言われるまで何時間も待ちました。
毎日毎日待ちました。
理由も教えてはくれませんでしたが、何日か経った時にもう父は帰らないんだと諦めました。

こうして母と2人の地獄の生活が始まります。

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