EMDR治療#8 カサブタの下にはカサブタがある 父の記憶
親戚付き合いはほぼしないけど、
あまり関わりのない父とは、盆正月くらい顔を合わせる。
根深いトラウマ記憶の対象の母は他界しているし、帰省しても父とはほぼ話さない。
それでも、フラッシュバックの蓋が開いてからは、前より帰省が不安になった。
この夏はお盆の他にも父に会う機会がある為、思い出したくないのに、いくつかの場面がフラッシュバックする。
今回は、おそらく予定にはなかった父の記憶と向き合った。
複雑性PTSDは、小さい頃理不尽に傷ついてしまい、その傷を誰も手当てしないまま、また次の傷ができて、いくつもの放置された傷が重なったまま大人になってしまう。
EMDR治療の最初の方で、先生が言っていた。
ひとつ治療が進むと、その下に隠れてたトラウマ記憶を思い出すこともあって、それをひとつひとつEMDRで治療していくんだと。
ノーマークだった父の記憶が表面化したと言うことは、前向きに捉えたら少しは、少しは治療が前進したということかな?
ただ、無自覚だっただけに、記憶が整理されておらず、治療中の言語化が難しかった。
フラッシュバックを繰り返してきたトラウマ記憶は、その度に感情のジェットコースターと、頭の中でたくさんの言葉が嵐のようにぐるぐるしていたから、辛いけど言葉にはしやすかった。
反面、父とのトラウマ記憶は、その時どう感じてた?どう思ってた?がすごくフワフワしてて、すごく混乱してしまった。
そして、その時思ったことの中に、母に繰り返し言われていた言葉もあって、そんなところにも母の影響はあったのか、、、とも思った。
フラッシュバックが辛すぎて、覚悟を決めて始めた治療だけど
複雑性PTSDの治療は、やっぱり辛い。
子どもの頃も今も、どこかで両親に愛されていたと信じたいわたしがいる。
みんながするように、親に感謝する毎日を送ってみたい。
子育てしたら親の大変さがわかった、とか言ってみたい。
トラウマ記憶と向き合って見えたものは、両親の視界に私がいないこと。
どれだけ待っても、何をしても、彼らの優先順位の上位に私は上がらない。
トラウマ治療とは、そういう環境で育ったことを、正しく受け入れながら、大人の私がすべての瞬間の私をしっかり癒していく。
とても腹が立つし、とても悲しいけど、それすらも受け入れながら、人生をかけてわたしを取り戻す。
今はその途中。
たくさん奪われたけど、しっかり取り戻す。
今はまだその途中。
EMDRは魔法みたいに表現されることもあるけど、ちゃんと痛みはあるから魔法ではないと思うよ。
ちゃんと覚悟して、
信頼できるプロじゃないとムリ。
魔法じゃなくて、
PTSDの治療方法のひとつ。
本人が必要と思う場合に限る。
と私は思う。
まだまだ途中。
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