雑感 子どもは親の持ち物じゃない

複雑性PTSDの治療を始めて4ヶ月

両親や周りの大人たちの事で、いくつかわかった事がある。


物心ついた頃から、どうやら私は親に大切にされていないと気づいた。

家と食事はあったから、生きていくには困らなかったけど、

私はいつも寂しくて、何かに困っていて、でも誰も気にかけてくれなかった。


両親は古い友人も多く、家はいつも大人達でワイワイしてた。


暇つぶしに私とトランプをする大人もいて、友だちのように感じる人もいたけど、

うっかり家や親のグチを話してしまった時は、急に表情が変わり

「そんなこと言うもんじゃない。お父さんとお母さんは〇〇の為に頑張ってるんだよ!」
と叱られてしまう。


さっきまで楽しくトランプしてたのに、急に怒られてしまい、楽しくてあれこれ話したことを後悔した。



ここに来る人達はみんな親の友達。

私とトランプしてくれるのは、私がこの家の娘だから。


この家の子。
両親の付属品。
親の持ち物。

持ち主の悪口なんて言っちゃダメ。


少し寂しかったけど、
そんな風に自分を納得させて、
トランプだけを楽しんだ。



PTSDの治療を進めていくと、
両親の思考傾向を客観的に見れるようになってきた。

どうやら両親も、
あのおじさんと同じらしい。

子どもは親の持ち物。

子どもは何を考えてるのか?とか、
この子将来どうしたいのかな?とか、
あまり考えない人達。

そう解釈すると、両親の私への無関心は理解できた。


親は子を愛するもの。

親は子どもの変化に敏感で気を配るもの。

親は子どもの将来や夢に興味を持つもの。

コレは私の考え。
思い込み。



両親からは、持ち物としての子ども以上の関心はなかった。

書いてて止まってしまう、、、



持ち物として、意味あるもの。
例えば長男だとかは、大切にされる。
少し昔の田舎だから、長男は子どもの中でも特別。

または愛嬌があって可愛い子。
これもきっと大切にされる。

これは妹。
特に母には必要だった。


先生が言うには、母もPTSDだった。

私が生後6ヶ月で死にかける事故に遭った時、周りからも責められた母にとって、その出来事や私の存在はPTSDになってもおかしくないらしい。



子は親の持ち物、という古い考えがあり、
でも長男という理由や、愛嬌があるという理由で、関心を持たれたり、可愛がられる子はいる。

でも、それらの大切にされる理由がなかったり、
親自身のPTSDのキッカケになった子どもは、持ち物以上の存在にはなれない。

ずっとずっとモヤモヤしてた、、、


求めてた答えじゃないけど、
きっとひとつ前進。




でも、それでも不思議に思うのは、

小さい私は何故か知っていた。


私は大切にされるはずだ、と。


あるはずのものがない。

もらえるはずのものがもらえていない。

兄や妹にはあるけど、わたしにはない。

常にそう感じていた。



誰にも教わらないけど、知っていた。


私は大切にされるべき存在、ということ。

両親は知らないかもしれない。
周りの大人も知らないかもしれない。

でも、誰も知らなくてもわたしは知っていた。


長男じゃなくても
愛嬌がなくても

わたしは大切にされる存在
可愛がられる存在


だから、ずっとずっと腹が立ってる。


両親や周りの大人が知らなくても
わたしは知ってた。

ずっとずっと前から、
ずっとずっと思ってる。


上手く言葉にできなくて怒られた。

訳のわからんことを言うな。
子どもらしくない。
女の子らしくない。
お姉ちゃんでしょう。
あんたの言葉はトゲがある。

持ち物としても、扱いにくい子だったのかもしれない。



家とご飯だけでは子どもは育たない。

その子に関心を持って、
声を聴いてほしい。
1人の大切な人間として接してほしい。


わたしだけじゃない。

すべての子どもだ。



だって子どもは知ってる。

わたしは親の持ち物じゃない。

知らないあなた達が悪い。

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