良い人に傷つけられる優しい人

EMDRで複雑性PTSDの治療を続けるうちに、わかったことがある。


わたしを深く傷つけた人達は、

揃いも揃って「良い人」だった。


それは私にとってじゃなくて、
周りの人達から言われる「良い人」


仕事や人間関係に真面目だったり、
友達が多かったり、
ご近所の評判が良かったり、

私以外の誰からも「良い人」と言われる人達。


ご近所から評判の良い母が私に優しくなくても

幼なじみや友達がたくさんいる父が、家に帰るとムスッとして子どもと会話しなくても

外からは知られることはない。


もちろん1番のトラウマ対象のAも、周りからの評判はすごくよかった。


時々家族のグチを外の人に言おうとしても「あんなに良い人の事を悪くいうなんて」という感じで、最後まで話しを聞いてくれる人はいなかった。

あまりに周りからの評判が良い人達だから、それを感じられない私がおかしいのかも?と、不満やグチを言うのを諦めてしまった。


女こどもが文句を言ってはいけない、そんな土地柄もあったかもしれない。



今思うと、良い人達にはもれなく裏の顔があったし、その裏の顔を見せるのは、立場が弱く、発言力のない女こどもだけだったのかもしれない。

傷つけても気にならないくらい、とるなたらない存在で、

がまん強くて、

おしゃべりじゃなくて、

自分が言われたら嫌なことは言わない、

自分がされて嫌なことはしない、

大声で怒鳴られたらしゅんとしてしまう、

小さくて、弱い存在。


ひどい事をされても

理由はわからないけど自分のせいかな?

と思ってしまう


ある意味、優しい人



治療を繰り返しながら、

だんだん気づいてしまう。


良い人が
優しい人に傷つけられる


その繰り返し。


誰も知らない
社会の隅っこで

繰り返される。


見るからに悪い人だったら、
誰かが気づいてくれたかもしれない。


誰からも嫌われてる人だったら、
最後まで話しを聞いてもらえたかもしれない。


良い人が
優しい人を傷つけて、

誰も気づかず放っておかれる。


そうやってPTSDになっていく。

優しい人は誰にも言えないまま、
たくさんのトラウマを抱えて生きていく。



PTSDの治療を受けながら、
その仕組みの残酷さに気づくことがある。

自身がそんな闇の中にいたなんて、少し前に進んだけれど、

足元の闇の深さに、
現在地を見失いそうになる。


世界は優しい人に頼りすぎだ。

良い人たちは、それに気づく日がくるんだろうか?




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