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健康は「考え方」でつくられる

「○○が健康にいい!」
「○○をすればもっと健康になれますよ!」

という感じで、
今日も健康界隈は賑やかです。


今も昔もブームが生まれては、消える。
健康ジャンルはすたれることなく、常に盛り上がりを見せています。

それもすべて、「健康」が大切だからですよね。

そう、みんなの関心事だからです。


自然食品の仕事をしている僕も、
その界隈の真っただ中にいるわけですが、、、


僕の場合は、

その界隈から一歩離れて暮らすような、

そんな感覚で日々を過ごしています。

(何をえらそーに!)


さて、
一歩離れて暮らすようになった、
そのきっかけを書いてみようと思います。

かなり長くなりそう、、、
そんな予感がします(笑)




体と心

僕が健康について考え始めたのは、23歳。
感染症で死にそうになったとき。

でも、そのときは浅かったです。
元気になったら、まるで考えもしませんでしたから。

その後、
25歳で自然食品の仕事についたときは、
健康について考えざるをえない状況になりました。

便秘、冷え性、偏頭痛。
アレルギー。
いつも体が重い。
体重が減っていく。

そんな状態で、
他人に健康を語らねばならなくなりました。
(うちの会社は月に1回以上お客様向けにセミナーを開催します)


まず、
自分自身が健康でなければいけない。

そして、
自分が伝えることに嘘があってはならない。

自分で勝手に作り出したプレッシャー(?)の中でスタートした健康への追及。


まずは実践。

玄米食をはじめました。

サプリメントを飲みはじめました。

野菜や調味料など、食材を安全なものに切り替えました。

ジャンクフードを食べるのを控えました。


すると、
少しずつ体調が良くなっていくのを感じました。


そして、
本格的に「食養」を学びました。

基本の食事を和食に切り替えました。

次第にジャンクフードを欲さなくなりましたね。

数ヶ月して、
体調がだいぶ良くなっていることに気がつきました。

悩んでいた症状はすっきりとなくなりました。


食べもので体が変わることを体感した僕は、
それからさらに、健康に関することに興味を持ちました。

それこそ、色々な本を読みましたね。

健康に関する本だけで300冊以上は読んだと思います。
(数えてないので正確には分かりませんが、一時期、自分の本棚にあったのが300冊くらい)

※「食と健康に関する本が知りたい」という人のために、僕のおすすめ本をピックアップしました↓


それから、
あちこちセミナーに行きました。

講演会にも行きました。


学んでは実践。
直感的に良いと思ったことはやってみる。


ありがたいことに、
環境は整っていました。

食品だけでなく、
調理器具や洗剤、
寝具にいたるまで、
自然食品店で紹介しているものに囲まれて生活しています。


そうして、自信をもって「健康」といえるようになってからは、
友人・知人から健康について相談されるようにもなりました。


小さい頃から病弱といわれ、
両親に心配をかけてきた少年は、
30歳になる頃には、自分史上、もっとも健康的な状態になれました。


ほんとう、「おかげさまで」です。


ですが、
その後も健康への知識欲は収まることなく、
色々な健康法にアンテナをはる日々。


そんなとき、
知り合いの女性で突然病気になり、寝込んでしまった人がいました。

彼女は、
僕と同じように、いや僕以上に食事から何から気をつけていた人で、
病気になったことをとても悔しく言っていました。

「あれだけ気をつけていたのに、、、」


そんなことがあって、
ふと、思ってみたのです。

自分は本当に健康なんだろうか。


体調を崩していたときとは比べものにならないくらい健康な体。

でも、
「もっと健康になりたい」
「もっと体にいいものを手に入れたい」

そんなことばかり考えている自分。

果たして、
本当に健康な人間なんだろうか、と。


なにかを「欲しい」と思う心は、
満たされていない、ということ。

不足しているということ。

確かに体は元気になりました。
病弱だったころの自分とはまったく違う。

でも、
もしかしたら、
心は満たされていないのかも。

心は健康なのだろうか。

そう自分に投げかけました。


答えが出ないまま、、、

ということは、
そうではないと思いました。

これではダメだと思いました。

このままでは、
永遠に「欲しい」を繰り返す。

今でもじゅうぶん健康なのに、
さらに健康にいいものを追い求める。

そんな日々が続くと、
いつかきっと疲れて倒れてしまう。

「心身一如」
と言うように、

やはり「心」が健康でなければならない。
そう思ったわけです。


「考え方」に辿り着く

健康法を説いた数々の偉人たちが、
まるでスピリチュアルな人のように感じるのは、
「心」、これがもっとも大切であるとしているからではないかと思います。

食養の祖・石塚左玄は、
食養とは「食養生」という意味と、
もうひとつ、「食修養」という意味がある、と言いました。


食を通して生き方を学ぶ

食は大切なものだけど、
ほんとうに大切なのは「生き方」である。


禅問答のように、
本当の健康とはなにかを考えていたとき、
自然療法の東城百合子氏の言葉が現れてきました。

それはまるで、僕の頭をトンカチでたたくように。

自然食が良いとなれば何でも自然食と、信者のようになってしまう人がいます。それは大きな誤りです。
どんな場合でも、ものより心が先です。頭で受けとめて理屈で食べていては、物質であるモノを食べることになり、食べ物に宿っている自然のいのち、自然の恵みであるいのちを忘れてしまうことになるのです。


この言葉に衝撃を受けました。

まさにこれ。
この通りだと思いました。

僕は「もの」が先になっていました。

そして、心が置き去りにされていた。


大切なのは心。

理屈では、本当の健康にはなれない。


なぜ、自分は体調を崩したのか。

ジャンクフードばかり食べていたから?
運動をしていなかったから?
夜更かししていたから?
体調を崩しても、薬を飲めばいいとしていたから?

たぶん間違ってはいないです。
でも、正解ではなかった。

改善しなければならなかったのは、
食事の内容だけでなく、
僕の「考え方」にあった。

そう気づかされました。


何を食べるにしても、
何をするにしても。

その根底にある自分の考え方はどうなのか。

この考え方がしっかりとしていないと、
「これがいい」「あれがいい」に揺らされる。

だから、
世の中に次々と生まれるブームに踊らされてしまいます。


食養を実践して、5年以上たって、
はじめてそこに気づきました。


そこに「寛容」はあるか

そのときの自分の健康に対する考え方というものは、簡単に言うとこうなります。

農薬や添加物を使っているものを食べると不健康になる。
安全な食品を食べれば健康になる。

いやいや、なかなかシンプルでいいですね(笑)


これ、
当時の僕がそうだったわけですが、
けっこう陥りやすいです。

そう、「寛容」です。

この感覚が僕には欠けていました。


なにも農薬や添加物まみれのものを推奨しているわけではありません。

でも、無添加でなければ絶対にいけない。
この考え方がいけないと気づきました。

そこに寛容さが必要なんですね。


免疫について勉強をしたことがあれば聞いたことがある人もいると思いますが、
「免疫寛容」という表現があります。

人間の身体は不思議なもので、
例えばウイルスが体内に入ってきたとしても、
完全に排除しているわけではないんですね。

身体にとって有害なものは一切合切を外に出す、というのではないらしいのです。

いてもいいんです。
あってもいい。

そこに「寛容さ」があるというのです。


身体には、善と悪が共有しているんです。

そもそも人間が勝手に悪としているだけで、
本当は悪ではないかもしれない。

現に、悪玉コレステロールや腸内細菌の悪玉菌は必要不可欠な存在ですよね。

それが身体なんです。
それが自然な姿なんです。


おそらく、健康について1番理解しているのは身体そのもの。
細胞。

自分の身体のはたらき、
その在り方から、
本当の健康について学ぶのであれば、
「寛容」が必要だと思うのです。


だからといって、
身体に悪いと分かっているものを無理やり食べてもいいのか、
という議論をするつもりはありません。

「無添加じゃなければ絶対にいけない!」
という凝り固まった考え方が、
心を不健康にしてしまうと思うんです。


でも、これは、
きっと食に気をつけたから辿り着くところでもあると思うんですよね。

はじめから、
「添加物とか気にしなくてもいいんだよ〜」
という人の感覚とはまた違う。

気をつけたから、
意識したから、
取り組んだから分かる場所だと思います。

現代社会には、本当に身体にとって有害なものが多くあります。
それをはじめから無視して、
「寛容が必要だよ~」
となんでも食べるのは違うかな、と。


「考え方」は簡単に変えれない

しかし、
自分の考え方というものはなかなか変えられませんよね。

そもそもそんなに簡単に変えられるなら、
苦労しません。

育った環境とか、
幼少期に抱いた感情など、
何年もかけてつくられた「考え方」はそう簡単に崩れるものではないです。

あ、そもそも変える必要がない、
という人もいますよね。


じゃあ、一体どうしろっていうんだよ、
という人のために。


そのために「食」を変えるんです。

はぁ!?

と思いますよね。

さっき、食より大切なのは心だって言ったじゃないか!
と自分で書いてても思います(笑)


あべこべのようですが、
そうなんです。


食を変えれば、体は変わる。
そして心も変わります。


まず、食を整える。

すると、腸が整います。

お腹が整うと、
思考が整います。

すると、
不思議と自分の「考え方」のベースというものが分かるようになります。

自分を知る、
自分の声を聴く、
そんなような感じです。


これは感覚的なことなので、
ちょっと言語化が難しいです。

でも、
食を節すると本当に思考が整います。

これは、江戸時代の観相学者・水野南北も言っていますね。

※水野南北のことがよく分かる本↓


まず、食を整える。
そして、思考を整える。
考え方を見直す。
自分の生き方を決める。

この順序ではないかと。


「食を整える」おすすめの方法は少食にすることです。
一汁一菜で生活してみてください。

僕が言っていることが分かると思います。


健康の探求

まず、食を整える。
そして、思考を整える。
考え方を見直す。
自分の生き方を決める。

こうして整理してみると、
自分はまだ第1ステージだったことに気づく。

深い。
奥が深いなぁ。

もはや悟りですね。

でも、
おそらく、健康を説いた先人たちはそこに辿り着いたのでしょうね。


別に自分がそうなりたいわけではありませんが(笑)

でも、
僕と同じように暮らしていた人が病気になって、
それを目の当たりにして、
本当に大切なのは「生き方考え方」だと気づいたんです。


世の中にある健康法はすべて意味のあるものでしょう。
自分が選んでないからといって、否定するものではない。

根底にある考え方が、その健康法を成り立たせているのだから、
それに沿った生き方をしたい人はそれでいいと思う。

だから、
具体的な健康法を知る以上に、
その根底にある考え方を知る、学ぶ。
それが1番大切なんだと思いますね。


「○○を食べたら健康になれる!」
というものに揺さぶられてしまう人は、

また別の「○○をすると健康になる!」
に心を奪われてしまいます。

その行ったり来たりを繰り返した先に、
本当の健康はあるのかな。

健康に対する考え方をしっかり持っていると、
自分の生き方が決まる。


そして、
自分で選んだ「考え方」は変化することも、
はじめに受け入れておく必要があります。

10代の悩みと20代の悩み、30代の悩み、
違いますよね?

それは、その年代で変化したからです。
考え方が。

人間は基本、成長を続けます。

色々なことを知り、
色々なことを学び、
考え方が変化してゆきます。

1周回って、また戻ってくる、ということもあります。

とにかく変化します。

それを受け入れなくちゃ。

そうでないと、成長が止まってしまいます。

もし、その考え方で健康を害したとき、
切り替えがうまくいきません。

彼女はきっと、
病気になった経験を通して、
また1段、ステージを登るんじゃないかなと思うんです。


さてさて、
そろそろ筆を止めます。

やっぱり長くなりましたね(笑)



あるとむ


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