精一杯 作る・届ける
精一杯作る
工房アルルでの作品製作を行っている場面で、改めて、「作品を届ける」ことの難しさを感じています。
「質の高い作品を制作する」ということは、クリエイターであれば誰しもがまず最初に思い浮かべ、努力を注いでいく部分であることは疑いようがありません。
自分の技術や表現の足らない部分を常に意識しつつ、そこを埋めていくために努力していくことで、毎日の活動を保っています。
その結果、たとえ不十分であったとしても、今現在の精いっぱいの作品を完成させることが出来ます。
制作者の想いとしては、この努力を注いできた思い入れのある作品を、多くの方に共有してもらいたいと感じるはずです。
しかし、製作者と受け取り手(お客さん)では思いの違いがあるのです。
制作者のことなんて興味もなければ思い入れもない
例えとして一言書いておきます。
「大きな橋を渡るときに、それを建てた人の苦労を思いながら渡る人なんているはずはありません。」
・作り手の想いなど感じたいとは思わない
・何かを見たとしてもできれば頭を使いたくない
・自分の得にならないモノを目の前に置かれるのは迷惑
・そんなものを作っている(配っている)人は迷惑
・できれば楽に得したい
これらは一見キツい言葉のように感じるかもしれませんが、ほとんどの方が自然に持っている感情です。
これらの感情を持っていたとしても何も悪いことではありません。
これらを乗り越えて、みなさんの元へ届くように努力するのは作り手の仕事です。
精一杯届ける
今出来る力を出し尽くして作り上げた作品が、たとえそれがまだまだ技術的に未熟なものであったとしても全く構いません。
初めから完全なものを作れる人なんていません。ベテランと言われるようになった人たちでさえ、自分の作品に満足しているわけではありません。
手を抜かず、最後の最後まで作品に向かい合って作り上げたものには十分な価値があります。
そういった想いを込めて作られたものであっても、それを見てくれる人が全くいなければ、作品としての意味が少なくなってしまいます。
それはとても、勿体ないです。
多くの方の目に触れるように作品を届けることを含めて、はじめて作品作りと呼ぶことが出来ます。
自分の作品の自己評価は、低く見積もることが多いです。
「何者でもない自分の作品などを、人に見せるなんて迷惑なのでは?」と思うことがあります。
実際のことを言うと。たしかに迷惑です。
先ほども書きましたが、見る人は製作者のことなんて興味もなければ思い入れもない。自分の得にならないような作品を目の前に置かれることは迷惑です。(大事な時間を奪われるからです。遊ぶ時間が減るから、勉強する時間が減るから)
しかし、そんなこと気にしていては、新たな作家などは出てきません。
作品を生んで育てる。そこに遠慮などをしては親として失格です(なんの話?)
今の時代、寝転がって指先だけを動かしても世の中に向けて発信できるツールは揃っています。
インスタ、ツイッター、Facebook、ブログ、などなど。
動画にしてアップしてもいいですね。
国民総クリエーターと言っても良い時代です。
だれに遠慮することなく自分の発信の場を利用して、行動を起こしていきましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?