見出し画像

生き様

ご家族と緊急事態宣言があけたからと一泊旅行を楽しまれ、2年近くぶりにお孫さん達にも会えた5日後に自宅で亡くなられた。そして亡くなる日に訪問診療からケアマネに電話。

先月末にちょうど介護保険の更新で要支援認定になったばかり。ガンの痛みは出ていたけど、電動車椅子を使って近所の公園へ散歩に行かれたり妻との穏やかな時間をとても楽しく過ごされてた。食欲は夏頃から徐々に落ちてはいたけど、ここまでの急激な低下は訪問診療の先生も予測してなかった。

前日にやっとの思いで病院の診察(がんの定期的な診察)、あまりの低下に入院を勧められたけど、本人は「入院はしない」「家で過ごしたい」と。

ここから、本人と妻でよく話をしたらしい。決意は固かった。

元々訪問診療で入っていた先生に連絡し、家で看取って欲しいと。そして、私に先生から連絡。今から行くからアルパカ🦙も来てと。本人の状態確認して本人や家族の意向確認しようって。これが昼の1時ね。

訪問。

先月末にお会いした時は矍鑠として、お気に入りの椅子に座り、関西出身同士だったから関西弁混じりでおはなしをし、しんどくなったらどうしたい?って話もしてた。

来月やっと息子や孫達に会える。ガンの痛みはなんとか麻薬をだしてもらって耐えられるようになったよ。アルパカ🦙さん、家でずっと過ごしたいんだ。窓から見える景色が最高で妻と過ごしたいと思ってると。

もうね、彼の言葉通り。

訪問時にはベッド上で動けない状態。声かけに対しても「おう」と返事。先生のこと、アルパカ🦙のことは分かってくれている様子で先生からここで良いんだよね?って確認には「お願いします」って。

部屋を変え、妻に状態の説明をされた。酸素療法もずっとしてるけど、酸素の取り込みも悪く、吐き出しも厳しいから二酸化炭素がかなり全身に回っててかなり意識が混濁してる。本人は痛みも麻薬でコントロールできているから苦しかったり痛かったりはそれほどない。今晩亡くなることもあり得ると。

妻は驚かれた様子ではあるも、このままで良いって。その顔には決心もついてた。

寝たきり状態やからすぐ区変かけて、介護に備えようってなった。

こっからはアルパカの腕の見せどころ。

元々訪問診療でアルパカ呼ばれた時点でうちの併設の訪問看護に声をかけて、同席はしてもろてた。

そして、日単位でとはいえ、介護が必要になることを見越して行く前に福祉用具に連絡。ベッド等の手配。区変を出しにいって、ガン末で日単位で動かなきゃいけない。金曜日の午後2時。なんと役所その日の4時には認定調査入ってくれると。何がついても使えるように先生からの特殊寝台や床ずれ予防マットの必要性を確認しつつ、認定調査終わったと同時に搬入。さらに妻は介護経験ないから手技の説明と確認を一緒に行い、ヘルパーさんの手配。

待ってる間は妻の話をとことん聴いた。

妻は本人が朝話ができた時に「後は頼むな」「家族葬で良いからな」って言われた。今日何が起こっても本人がここで死にたいっていうたから覚悟を決めたんだって。

本人も妻も強い覚悟があった。

ここまでをして、明日また来るからねと本人に伝えた。

実際は橈骨での脈もかなり弱くなってたし、パルスオキシメーターでも数字が取れなくなっており、下顎呼吸になってきてた。

ただ、私の言葉はわかってくれたのか、眼をグッとつぶってくれた(ように感じた)

夜9時半妻と連絡。8時前に息子さん達もなんとか間に合い、本当に静かに眠るように息を引き取ったと。

先生に死亡診断をしてもらって看護師にも来てもらい一緒に清拭をしたりエンゼルケアを行ったと。

もうね、出来過ぎなくらいこの方は生き様を家族にみせてくれた。

妻と良くどう生きたい、どう死にたいかを話していたらしい。

ACPってやつね。これをはっきりさせてくれていたから家族も迷わなかったって。

カッコ良すぎです!!

そして関わらせていただき本当にありがとうございました!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?