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ある人からの手紙

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年末に亡くなられた40代のガン患者さんの書き置き。

お母さまが介護者で部屋を片付けていたらノートが見つかり、開けたら1ページ目に私あてのメッセージが書いてあったと。次のページには訪問看護師さん、リハビリさん、ヘルパーさん、用具さんって関わった人一人一人にメッセージをかいてくれてた。お母さまに断りをいれ、私宛のメッセージをあげさせていただくことにしました。彼女からの最初で最期のプレゼント。

さすがにね。これはきちゃいました。

この方と、訪問看護師さんとはメールで散々やり取りをしました。

たわいもないこと、通院のヘルパーさんの調整の業務的な連絡。そして気持ちの揺れ。

40代でガン。ガンが見つかるまでは働いてた。彼女の目標は元の職場でバイトでも良いから働くことやった。これを最初は目標にしていたけど、ガン治療の中で起きた脳出血からの麻痺や空間無視もあり、歩行も不安定な状態で地下鉄やバスに1人で乗ることは難しかった。スモールステップで行こうと説明し、近所のコンビニやスーパーにヘルパーさんに付き添ってもらい買い物にいき、そして看護師さんやリハさんに入浴のサポートやリハビリ、そして点滴や注射の管理をサポートしてもらってた。リハビリにも意欲的で若い事もあり近所には杖でいけるようになったし、電動アシスト付きの車椅子の操作も上手くなった。抗がん剤治療も先生にいろいろ相談し、副作用にも耐えながらギリギリまで受けていた。私は状態が落ち着いている時は定期的なモニタリング訪問だけやったけど10月の後半からは1.2週に一回は本人宅に行きいっぱい話を聞いた。

抗がん剤治療の効きが悪くなり、副作用が強くなったり、腫瘍熱や嘔吐、痛みが出てきたのが10月ごろ。数値も悪くなり思うように治療が進まない。体調がすぐれない日が多くなってきたのが11月。先生からも抗がん剤治療は難しいって言われたって泣きながら電話で連絡が来た。そして緩和ケアって言われて頭が真っ白になったって。もう、私は死ぬの?って聞かれた。

電話だと顔が見えないから訪問させてとお願いし、そして訪問した途端に泣かれた。感情を出してくれたのが初めてだった。いっぱい話を聞いた。

そして、家族もしんどくなってきてるからお母さん、お姉さん、そして本人が1番信頼している訪問看護師さんとで話をした。

本人、ポツリポツリと話してくれた。闘病のしんどさ、仕事が出来ないことの不安。親に委ねなきゃいけないつらさ。そしてこれからどうなるのという不安。お母さんやお姉さんも不安で仕方なかった。この場面はほんま傾聴に終始した。しっかり話を聴き、感情を受け止めたことで本人や家族が少し前を向けたところで看護師さんと緩和ケアについて話をした。訪問診療も説明し、両方に繋がって、ギリギリのところで診察も受けられ、入院し1週間くらいで病院で亡くなられた。入院する前の1週間うちは傾聴、そして入院の確認のために本人といっぱい話をし、聞いた。

彼女はなるべく家にいたかった。だけど介護者が80を過ぎたお母さん。介護力としてはかなり厳しい。そして本人もお母さんの負担にはなりたく無いと。

若い人だからこそ、緩和ケアは早い段階でガン治療と同時進行で説明を受けておくべき。そして利用したら良いとおもう。

この方も緩和ケア=もう治療が無くて死ぬのを待つ。って強く思い込んでいた。そして大病院に通院しているとどうしてもオピオイドとかの医療麻薬の調整が難しい。痛かったりしんどかったりした時つぎの受診まで耐えないといけないこともある。いざ病院に行ってもしんどい中待たないといけないし、先生にゆっくり話を聞いてもらうってことはやっぱり難しい。電話してすぐに先生につないでくれるってことは無いから病状の不安が強くなる。これがね、訪問診療やったり緩和ケアの入院になるとここに焦点をあててくれる。現に彼女も訪問診療が入り、先生がオピオイドの使い方やしんどさの取り方を適切にアドバイスしてくれ、看護師さんにも細かな指示を出してくれてた。入院する前の1週間、上手く痛みやしんどさがコントロール出来てた。多分、書き置きはその時に書いてくれてたのかなって思う。

入院することを決めたのは彼女。食欲が落ちてて、身体を動かすのが難しくなった。母の介護は受けられないって。訪問診療の先生に連絡が入り、うちは入院前に最後の訪問。本人ね。しんどいのにいっぱい話をしてくれた。そして、ハグをして、絶対退院するからね!って笑顔で話してくれた。私と言葉をかわしたのはそれが最期。入院してすぐ痛みが強くなり、オピオイドも点滴で持続になり、数日は鎮静を使ってそのまま眠るように亡くなられたって。彼女は気づいていたと思う。そしてあの文書を私宛に残してくれていた。

ほんまにこちらこそありがとう。

あなたから生き方を学びました。いっぱい生きるって事を話しましたね。強い人でした。


 



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