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全知全能の大人は誰一人として

これは自分でもわからない感覚なのだけれど。

子供の頃、大人はなんでも知っていると思っていた。なんとなく生き方のコツのようなものを掴んでいて、過去の経験を元にして未来のことを想像していた。例えば、学校から帰ってくると「今日体操服洗うよ!」と言われる。着ていたのは私で、学校に行っていたのも私なのに、学校に行っておらず着てもいない母親の方が体操服を洗わないといけないことを知っている。これは、母親が時間割をチェックしていたことや、朝体操服を持たせたことに由来しているのだろう。

しかし、私が疲れて体操服すら出す気が起きないと、すぐさま目くじらを立てて、「体操服にカビ生えるよ!」と言ってくる。そこで私は「体操服を出さないと体操服にカビが生える」ことを知る。それもきっと過去の経験からの忠告なのだろう。母親は体操服を洗濯に出さずにカビを生やしたことがあるのだろうか。それとも授業か何かで、湿った洋服をそのまま放置するとカビが生えることを教わったのだろうか。わからないが、そうなることは知識として知っている。

今、私は子供ではない(と思う)。大人でもないとは思うが成人しているので仕方なく大人ということにする。

私は大人なので、先に書いたような生き方のコツを知っているはずだ。もし自分に子供ができたとして、きっと体操服を持たせたことはわかるし体操服を洗わないといけないこともカビが生えることもなんとなくわかる。しかし、大人になった今でも「歳上」の人は多くいて、その人たちの前では「相対的に子供」になる。

「相対的に子供」になっている時、私は「彼らよりも知らないことが多いのだろうな」と思う。そして同時に「彼らはなんでも知っているのだろう」とも思う。

ある日テレビを観ていると、「石油があと○年で枯渇する」とスーツ姿の男が神妙な面持ちで言っていた。何年か前にも同じようなことを言っていたなとおもい調べると、枯渇するまでの年月は年々延びているらしい。

「なんでも知っているはずの大人」の計算や予測は違っていたんだなと思う。そうか。「なんでも知っているはずの大人」は未来に行ったことはもちろんない。石油が後何年で枯渇するという情報も、計算上の数字であり、実際にその年でなくなるとは決まっていない。未来のことは誰も知らない。

石油がなくなった未来を誰も知らないし、石油がなくなってから何を燃料にしてそれがいつ無くなるのか本当のことは誰も知らない。子供の頃に「なんでも知っている」と思っていた大人は未来のことなんて誰も知らない。なんでも知っていますみたいなしかめっ面してる政治家も未来に行ったことはない。それに気付いた時とてつもなく怖くなった。その不安や恐怖はみんな持ってるんだろうか。私も今、石油由来のものバンバン使ってるけど。

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