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アイドルに夢を見る

突如として関ジャニ∞の長寿番組『関ジャニ∞のジャニ勉』が終了するという知らせがあった。

私は「いつかジャニ勉の番協に行きたい」という小さな夢があったが、今回の件でその夢は潰えてしまった。

「ジャニ勉が終わる」という一つの出来事は、それに関する無数の夢や期待(○○がゲストに来て欲しいとか、もう一度リニューアル前のジャニ勉が見たいだとか)も同時に消してしまった。

なぜならそれらの夢は「ジャニ勉が毎週レギュラー放送されている」という儚い前提の元成り立っている物だからだ。

私たちは数年前これでもかというほど当たり前はない、永遠なんかないと思い知ったはずなのに、今回のジャニ勉終了によって、また無意識に儚い前提にすがりついていたことに気づかされた。

私はアイドルに夢を見ている。

この場合の「夢」はアイドルに向けた私の個人的な期待のことを指す。

例えば、「三馬鹿のユニットが見たい」「パッチアッパーズ2が見たい」「二人の花をコンサートで見たい」「フェスに出まくってバンドファンを熱狂させる関ジャニ∞を見たい」「丸山さんのサイコパス役が見たい」…
全て私の秘めたる夢である。

叶ったものも、叶わなかったものもある。

しかし、夢というのはそれがあるだけで、それが現実になる可能性があるだけで、生きる気力を与えてくれるものなのである。

現実世界を生きている中で、漠然と居なくなりたいと思ってしまうときだって、ぼんやり、「来年、もしかしたら二人の花やるかも、」と考えて、結局とりあえず頑張って生きようって思えた。

関ジャニ∞がいてくれるだけで、笑顔で活動してくれているだけで、私は勝手に夢を見て勝手に生きられる。


今回のジャニ勉終了は、関ジャニ∞という大きな木のそこそこ太めの枝が折れてしまったに過ぎない。関ジャニ∞の幹がそこに存在する限り、また何かしらの形で再生できる。

その枝が折れた先には、もしかしたら似たような枝が生えてくるかもしれないし、今まで見たこと無いような枝を見ることができるかもしれない。はたまた、何も生えてこないかもしれない。

私はその様を頬杖ついて、その木が朽ちるまでいつまでも眺めてたい。こんな枝生えてきてくれないかなあとか思いながら。

未来は良くも悪くも誰にも分からない。だから今日も私は自分勝手にアイドルに夢を見る。


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