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甘酒のことは「飲む点滴」じゃなくて「スーパードリンク」と呼べばいいんじゃないか。

甘酒のことを「飲む点滴」と喩えることに違和感を覚える。という話です。

道の駅や地域の特産市みたいなところでポップに書かれているのを見るたびに、どうも惹かれないなぁと心の中で思っています。
米麹から作られる甘酒にはブドウ糖をはじめとして様々な栄養素が豊富に含まれており、それが点滴液に類似しているためこう言われているようです。理屈はなんとなくわかりますが、飲みたくなる表現とは思えないのです。

今回はこの違和感の正体についてもうちょっと考えてみたいと思います。
僕は自分のことをめんどくさくて扱いづらい性格だと思っていますが、このめんどくさーい感情の源泉を知れば少しは自分で自分を扱いやすくなるかもしれないからです。
ちなみに、別にこの表現をどうにかしようという意図はありません。表現方法は自由であるべきだからです。あと、甘酒も好きです。
ただ、甘酒の素晴らしさを訴求する目的で「飲む点滴」を使っているのであれば、僕のような受け止め方をする人が存在することを気に留めておくのはちょっとは有用かもしれません。多分!

点滴に対する僕のイメージ

僕は割と虚弱な方ですが、それでも点滴にそこまで馴染みはありません。小学生の時は風邪をひくと点滴を打っていた記憶がありますが、それ以降ではつい2か月ほど前に胃腸炎で嘔吐が止まらない時に点滴のお世話になったことが一度あるくらいです。点滴=身体にいいというよりは、あくまで脱水等による不足分を取り戻すイメージです。
そのため、点滴と聞くと、しんどい時に針を刺されて横になっている状態を思い浮かべます。

イメージを分解して原因を探す

僕のイメージを端折らずに言葉にしてみると、以下のようになりました。
「点滴は、水分補給ができない症状に対して行う診療行為である。」
これを分解すると。。。
点滴は、
水分補給ができない…①
症状に対して行う診療…②
行為である…③
となり、違和感ポイントが見えてきました。
①については、飲めない時の点滴を「飲む」という矛盾に違和感があります。
②については、身体の不調を元通りにするイメージはあるけど、体調を増進させるイメージが湧かないことが原因のようです。
③飲むという動詞に行為の名前が接続されていることに違和感の原因がありそうです。

では甘酒をなんと呼ぶか。

あえて別のものに喩えなくてもシンプルに伝えられるのでは?というのが僕の考えです。
ここまで書いといて結論がしょぼいですが、許してください🙇‍♂️
僕は違和感の正体がわかってスッキリした気持ちです。

今回の内容は大半の人には全く刺さらないものになってそうですが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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