多様性のせいで生きづらい?

前回、多様性(とくにジェンダー)について考えてあれこれ夢を膨らませた記事を書いた。何ヶ月か前の下書きに加筆修正を加え、やっと投稿したものだ。
多様性について、前回からの考えは概ね変わらないが、多様性のせいで生きづらさというか面倒臭さを感じている。今日はその事について記事を書いていく。

多様性のせいでなぜ生きづらさを感じているのか。性別を始め、さまざまな個性が認められ受け入れられていく中で、自分の中にあった本当の自分が表に出やすくなったり、苦しむ必要が無くなった人は多いかもしれない。
私はというと、個性って何?めんどくさい…状態になってしまった。
私は普段から、自分の性格・性質のせいで生きづらさを感じている。そのせいにしてはいけないのかもしれないし、正しいかどうかも何も分からない。が、社会に対して求められているような人になれていないし、なれないと感じてばかりいる。無力感に苛まれ、考えることも頑張ることもめんどくさくなってしまっている。
infpでhspで精神疾患かもと思ったり気分性障害かもと思ったりして、色々な解決策をネットで探してきた。そういう人たちの生き方だったり改善方法をたくさん調べてみた。めんどくさいというか合わないというかで一つもやらなかった。

女の幸せは結婚だ、とか家庭に入るとか、事務職がモテるよとか、髪は長い方がいいとか、この前までそういうのにうんざりしてたはずなのに、あなたらしく生きなさい、と言われた途端、どこに向かえばいいのかが分からなくなってしまった。ゴールを見失った。こういう個性や特性はあるけど、それを受け入れ生活する勇気がないのかもしれない。変わりたいと思っても変わる努力すらめんどくさい。(私のめんどくさいの根本にはどうせ無理でしょがほとんどある)

今まで提示されてきたステレオタイプなゴールがいきなりなくなったら、どこに向かえばいいのだろうか。多様性を認めろ!と声を上げ、それがなくなったところで困るのは自分だった。考える力がなく他人の力で敷かれたレールを走っていた列車は、レールと指示と目的地がなくなり脱線するのだ。

つまり、目指すべきゴールがなくなり、あなたは自由ですよ!と急に言われても思考力対応力がないため途方にくれる。誰か助けて状態になってしまった。ああいえばこういう私は生きづらいという話である。人のせいにしすぎだ。

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