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世界一詳しい東海道歩き方ガイド3 蒲田~生麦編

スマートフォンで確認しながら、東京日本橋から京都三条大橋までの江戸時代の東海道を歩けることを目的に作りました。緊急事態宣言も多くのところでは解除されました。6月19日には県をまたいでの移動自粛も緩和されます。自由に外を歩けるようになったら、是非この記事を見ながら東海道を歩いてください。

注意:歩きながらスマートフォンを注視するのは危険ですのでおやめください

東海道を歩くことからは学ぶところがたくさんあります。きっと皆さんのお仕事や人生に影響を及ぼすはずです。京都までは50回以上、すべての公開にはだいたい2~3年はかかると思います。しかし東海道を歩く人たちを応援するために、がんばって続きを作成します。

この記事は有料記事です。全文購読には250円かかります。日本橋から戸塚宿までは5本の記事で構成されますが、マガジンで5本を一括購読ならば1000円となります。未作成の記事は順次追加しますが、マガジンを購入された場合は追加料金はかかりません。

歩き始める前に

出発地 京急蒲田駅(京急本線)
終了場所 生麦駅(京急本線)
距離数 約9.7km(旧東海道に沿って歩いた距離。東海道から離れた場所へ立ち寄れば、実際に歩く距離はこれより多くなる)

コースの特徴
 はじめての県境を越えて、東京都から神奈川県に入る。2番目の宿場最初の宿場川崎をへて、生麦事件の現場であり、多くの伝説に彩られた生麦までの道を歩く。

進み方 京急蒲田駅前から出発 → 六郷橋を渡る → 橋の歩道を渡り終えたら右前方の道へ → 八丁畷駅前の踏切を渡る → 鶴見川を渡る → 京急鶴見駅の下をくぐり、高架沿いにつづく道へ → 国道15号(第一京浜)を渡り直進 → 原神明宮まで歩き、ここで終了し生麦駅へ。

凡例

地図は国土地理院webサイトのものを、浮世絵などは国立国会図書館デジタルコレクションのものを規約に従って使用。


謎の狛犬

03-01蒲田~六郷01

1 妙安寺
 戦国時代である永禄年間(1558から69)に創建された日蓮宗寺院。行方義安の妻妙安尼が建立した寺。墓地の中に妙安尼の墓がある。行方一族は戦国時代に蒲田周辺を支配し、小田原の北条氏に仕えていた豪族。永禄12年(1569)の武田信玄による小田原攻めの際に、行方弾正と称する人物が六郷橋を焼き落とし、武田軍の進軍を阻止したことが伝わっているが、行方一族に関してはこの「弾正」が何者なのかも含めて不明な点が多い。

2 蒲田八幡神社
 慶長年間(1596~1615)に薭田神社から勧請を受けて建てられた神社。かつては境内に古墳時代の円墳と思われるものが複数あった。

3 蒲田踏切跡
 毎年正月に行われる箱根駅伝において「運命を分ける踏切」と呼ばれていた蒲田踏切だったが、平成24年に京急線の高架化工事終了によって姿を消した。箱根駅伝は旧東海道をところどころ通っており、折り返し点も旧東海道の箱根宿にある。

4 志ら井
 蒲田立場の茶屋だった和菓子店。幕末の嘉永元年(1848)から営業。自家製粉の上新粉を使った団子が有名だが、お薦めは創作和菓子のバター饅頭。

03-01蒲田~六郷02

1 雑色
 昭和12年まで残っていた古い地名。雑色とは律令制のもとで朝廷の雑用係を務めていた役職で、その雑色の者たちが与えられた土地であることが地名の由来とする説などがある。現在は京浜急行本線の駅名として残っている。

2 六郷神社
 創建年不明。源頼義・義家親子が白旗を掲げて前九年の役(1051~1063)の戦勝祈願を行い、その後の凱旋時に石清水八幡宮の分霊を祀って建立されたと伝わる神社。そのため祭神は八幡神(応神天皇、神功皇后、比売大神)のはずだが、江戸時代中期以降に応神天皇だけになったと伝えられている。また、八幡神が祀られる前は菊理媛が祀られていたともいわれている。菊理媛は「日本書紀」に1回だけ登場する女神で、黄泉の国と現世との境目に現れる。上記の源義家の伝えもあることから、源頼朝も文治5年(1189)の奥州遠征のときにここに立ち寄り、戦勝を祈願したといわれる。境内に、頼朝が奉納したと伝わる手水鉢や頼朝の側近梶原景時が寄進したとされる石橋があるのは、そのためだとされる。そのほかにも、享保4年(1719)築の本殿、江戸幕府で道中奉行を務めた旗本高木守養の奉納した手水鉢や、木製の六郷橋の親柱、貞享2年(1685)に奉納された大田区最古の狛犬などがある。とくにこの狛犬の表情は独特であり必見。

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