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【論考】漫画でなぜ悪い~漫画っぽいイラストレーションのこれから~

「漫画っぽいイラストレーション」が流行している。

企業のコラボ企画で使われていれば「ああ、この作家のファンにもこのコンテンツを広げたいんだろうな」とか、数学や英語のドリルの表紙に使われていれば「勉強が苦手な子らがこの挿絵ならやる気を出してくれるかも」とか、透けて見える狙いのバリエーションは色々だ。企業、メディアからすれば特にファッション性が感じられる作風だと起用しやすいんだろうな……とか。地方で細々と編集者やディレクターをやってる身からすると、そんな空気を感じる。

一方、近年ではそういったイラストレーションを起用することで倫理・公共性を問いただされるシーンや、短絡的に消費されてしまうような傾向も見られる。「漫画っぽいイラストレーション」は果たして、悪い絵なのだろうか。「漫画っぽいイラストレーション」を描いている・これから描きたいと思っている人たちの未来は?

今回はイラストレーション史やアニメ・漫画社会の動きなど、時代背景を踏まえてクリエイションを見つめ直していく必要性を考えていく。もちろん、何かしらご意見があれば考えはアップデートしていきたい。

*ここで言うイラストレーションは書籍の装画、挿絵、広告等、一般公共寄りでリリースされるものと定義する。今回に限っては「っぽい」イラストレーションの話をするため、「萌え系」公共進出の話題はいったん触れないでおくこと、ご理解いただきたい。

ざっくりとした歴史

1960年代〜1970年代
<イラストレーション>
・1964年頃、和田誠氏、宇野亜喜良氏、横尾忠則氏などが東京イラストレーターズクラブを結成

<アニメ、コミック>
・同年頃、林誠一等を輩出した漫画雑誌『ガロ』創刊。
・それ以降、またジャンルは別ながら1978年『アニメージュ』、1981年には『アニメディア』が創刊。

1980年代〜2000年代
<イラストレーション>

・1980年以降、漫画雑誌『ガロ』等に強く影響を受けていたり、自身が漫画家のキャリアを持つイラストレーターが活躍する。

<アニメ、漫画>
・日本ではまだ「おたく」が日陰のもので、隠さなくてはいけない、もしくは「電車男(2005年頃)」のようにイロモノカルチャーとして消費されやすい存在であった(と認識している)
・エヴァンゲリオンと上島珈琲のコラボなど当時としては新鮮な取り組みがあったものの、小規模で終了。商業進出はしにくい時代[1]

2010年〜現代(令和以降)
<イラストレーション>

・作家性を用いたマーケティング的戦略が数多く見られるように(元々作家についているファン層までターゲットが拡大する)。いわゆる漫画表現の流行。

<アニメ、漫画>
・企業とアニメ、漫画作品のコラボレーションが当たり前になり、「推し活」などのポジティブそうなワードも瞬く間に広がったことでアニメ、漫画カルチャーが市民権を得た(と表面的に思われる)

漫画っぽいことそのものが悪ではない

昔から漫画家とイラストレーターを兼業していた作家は数多く存在していて、70年代創刊の『イラストレーション(簡単に言うとイラストレーションのあれこれ、作品等を紹介する雑誌)』では『ガロ』出身の漫画家も評価されていた。漫画タッチがイラストレーションとして成立しないというわけでもなかった。むしろ、「漫画かどうか」が論点ではなく、新しさが求められているようであった[2]。

60~70代くらいのベテラン目線に今の流行を語らせると「同じような表現が氾濫しているのがおもんない」「最近の漫画くさい」という。70〜80年代をリアルに見てきた世代からすれば、とにかくその時代で新しいイラストレーションを生もうとか、見つけてやろうという編集者的スピリットを持ち続けるのは当たり前だ。きっと全面否定しているわけではないのだろうとは思う、流行の「っぽい」が焼き直しのループに見えるだけで。

近年のポリティカル・コレクトネス激化と漫画表現

また、こういった流れを汲み、現代ではアニメ、漫画カルチャーが見慣れた表現として公共性を帯びてきた。「商業デザインと結びついてもいいかな〜ターゲットも明確にできたり、広がりもありそうだし、キャッチーだしね」という戦略もビジネス的にアリ!になってきたということだ。

イラストレーター側としても江口寿史氏、中村佑介氏など漫画の流れを汲んできた巨匠たちをなぞり、言うなれば「エグチキッズ」「ナカムラキッズ」的存在が生まれている。そして、彼らとまた違う時代を見てきたキッズは別のキッズを生む。近現代を担う新しいイラストレーターや作家に憧れた数多のキッズたち。そこが需要とマッチし、漫画表現の強いイラストレーションが流行しているのではないかと思われる。

ところがどっこい、受け手たちはどうだろうか。近年ではポリティカル・コレクトネスの激化による炎上やクレームが各所で散見されることも増えた。セクシーな女の子、漫画をバックボーンとした記号的な表現などキャッチーなイラストレーションは「そも公共性とは何か?」を強く問いただされる恰好の的となった。ポリティカル・コレクトネス(以下・ポリコレ)という言葉や動きは80年代頃からあったものの、近年その傾向が顕著である。

漫画がこれまで伝えてきた記号的な表現というのは絵柄やモチーフだけではない。「きゃ〜、⚪︎⚪︎くんのエッチ!」とヒロインが男主人公を殴るみたいな因果応報の図式そのものが「もう令和だよ?」なのだ。

このような価値観がめまぐるしくアップデートされている時代の中で、届けたいターゲットのみを純粋に重んじる企業やメディアはどれほどあるだろう。常に公共がつきまとう。

何かをつくるとき、0から生み出すということは難しい。都心の再開発のように、何かをもとに修復し、構築しなおしていくものだ。そこでいま求められる「21世紀の絵」とは何か、漫画表現の氾濫から何を修復し、構築するのか。先述の「エグチキッズ」「ナカムラキッズ」という造語を見てピンと来てしまった商業イラストレーターはこれからたっぷり時間をかけて向き合わなくてはいけないのかもしれない。

参考
[1]……アニメキャラを活用したコラボ戦略について~ヒット企画の定理とアニメ活用における効果~(稻津 誠人 高知工科大 マネジメント学部)
[2]……イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談 第12回前編 メディアと結びつく、流行を捉える https://i.fileweb.jp/news/series/6016/

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