墓と坂道、糞漏らしの平穏⑮ 祖父母

二世帯住宅で階下に住んでいた、祖父母のことについて。
母方の祖父母で、祖父は佐々木四郎、祖母は佐々木はると言った。
この事は、以前触れた。(司馬遼太郎の小説によく出てくる言い回し)

祖父は、少し変わり者だったようだ。
この家は、祖父の四郎が半ば人に騙されて買ってしまったものらしい。
戦争の話になると感極まって大きな声で泣いてしまう、感情の強い人だったように思う。

祖母は、逆に泣いているところは見た事がない。
祖母はよく「御本尊様は何も仰って下さらない。だから怖い」と孫の僕らにも言っていた。
それは本来の「草木の会」の信仰感ではないのだが、この時代はこういう感覚の人が少なくはなかった。

祖父がどうな仕事をしていたか詳しくは聞く機会が無かったが、おそらくは何かしら商売をしていたように思う。
祖父に怒られた記憶は殆ど無いが、祖母には怒られた記憶はある。
幼い私をお風呂に入れるのは祖母の担当だったのだが、私が誤って風呂釜で火傷をしてしまった事があった。
私は泣いたが、祖母は私に「男の子が泣くんじゃない!熱くない!」と𠮟りつけ、そのまま手当をせずに入浴を続け、結果左手の甲に火傷痕が残ってしまった事があった。
その件で祖母は私の入浴の担当から外され、流石に申し訳なさそうにしていた。

ふたりがどうして「草木の会」の信仰に出会い、ふたりの子…稲子と星一とともに入会に至ったのか、それはわからない。
しかしその入信が無かったら、私の母の稲子は私の父の浅田義行と結婚をしておらず、私は誕生しなかったのだろう。

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