No hero,but dream② 母と担任

僕は、少しずついじめられるようになっていた。

体は学年で一番小さく、教室で脱糞を2度もしてしまうような子どもだ。
いじめの標的にはなりやすかっただろう。

また、この頃は学校から帰宅しても、母が家にいないことが多かった。
母はこの頃、「草木の会」の中で地元地域の既婚女性の会員を取りまとめる責任者の役職に就いており、信仰活動で連日走り回っていた。

母の不在は、児童が先生に提出する「日記」にも書いた事があった。
「ぼくのお母さんは草木の会の活動で家にいないことが多い」

1980年代、この頃は日本もまだ景気が良い時代で、夫婦共働きの家は少なく専業主婦が多かった時代だった。

後に三者面談の時に、母には「この子、そんな事書いたのか…」とでも言いたげな顔をされたが、帰宅してからは「吉川先生と対話ができたわ!」とむしろちょっと喜んでいた。
吉川先生とは、この時の担任の先生である。
対話とは、宗教活動の一環で「草木の会」の活動内容等を非会員に伝えることを指す。

母は、少しだけ、家にいる時間が多くはなってくれたような気がする。

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