墓と坂道、糞漏らしの平穏④ 幼稚園

姉は家から近所の私立の幼稚園に通っていたのだが、私は徒歩10分程歩いたところにある公立の幼稚園に通う事となった。

後になって知った事だが、父がその頃に会社を辞め独立をし、収入が不安定になった為らしい。

日蔭幼稚園。
近所の大きな墓地の先にある幼稚園だった。

幼稚園の頃の友達を覚えている人が、一体どれだけいるのだろうか。
だが私は覚えている。
人生に少なからずの影響を与えた出会いが、早くもあったからだ。
「草木の会」のメンバーの家の子で、名前を金本清(かねもときよし)と言った。
5人兄弟の長男で、いわゆる「いらずらっ子」だった。
清の母…金本陽子と私の母は「草木の会」の同志というか、いわゆる先輩後輩で、母の稲子は先輩にあたる。
母稲子は女子部時代に草木の会ではそこそこの幹部だったようで、清のお母さんは私の母の事を尊敬していたようだった。
「たかちゃん(私のこと)、あなたのお母さんは凄い人なのよ」
よく、そんな事を言っていた。

その一方、私は私の母からは逆に「たかちゃん、清くんは凄いのよ」とよく言われていた。
何がすごいのか。信心がすごいというのだ。
「清君は、信心が凄いのよ。清君は将来、総本山のお坊様になるのよ」

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