自分のHSS型HSPの人生とは?

特にこれといった狙いやオチ、ましては要点もなく、思いつくまま書き綴ってゆく。自分は30代後半の男性。令和の時代に言うならば「昭和の残党」とでも言われそうな年代だ。今でこそHSSやHSPという言葉があるものの、当然ながらあの当時はそのような概念すらなく、ましてや戦後まもなく生まれの両親からは「男らしく毅然と、堂々としなさい」とか「くよくよするな」と、只ひたすら鈍感であるべきとの教育を受けて育ってきた。

ただ、気質というものはそのような他愛ない言葉を超越するもので、やはり自分が居心地がいいのは1人で籠って空想にふけっていることに尽きる。それは当然教育現場でも遺憾なく発揮され、幼稚園の頃から徒党を組んで遊ぶことの白々しさや、皆と同じことをして、同じタイミングで悦ぶことの寒さを感じながら、どのグループ(派閥?)にも属さず、それは結局のところ学生生活すべてを通じて同じような状態だった。

そして、寒い上っ面なだけの人間関係と、時たま見える利害の衝突を垣間見る(そして外野にも関わらずセンシティブに傷つく)くらいなら、傍観者でいたほうがよっぽど楽だ。(但し、HSS型の気質もあるので、大勢の中で1人で居る時が幸せなケースもあるのは、自分としてはとても面倒だ。いっそのことHSPだけのほうが幸せかもしれない)

いまは結婚しているが、妻はHSS型HSPというのは到底理解できないらしく、暗い部屋で閉じこもっている自分などを奇妙に眺めており、別離は時間の問題と思われる。 - が、本人は特段気にしていない。死ぬ時は誰もが1人であることを考えると、どのタイミングで1人になってしまうかというのは自分にとって些末な問題にしか感じていないし、どこかでのたれ死ぬのであれば、それはそれで1人になれて幸せなのかもしれない。


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