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精神と時の部屋①《ネガティブ思考からの脱出》

近年、鬱病をはじめ、ありとあらゆる精神の悩みに名前が付けられ、
もはや経験してない人の方が少ないのではと思うほどです。

例に漏れずわたしも経験者です。

1度目は、2016年から1年間程。
あの時はなす術が分からず随分苦しみましたが、
アーユルヴェーダの勉強と瞑想を始めたことが大きなきっかけとなり、
徐々に快方へ向かいました。

もう2度とないだろうと思っていたにも関わらず、
なんと2度目が訪れました。

2020年8月3日。
足の指を骨折した事をきっかけに、あれよあれよと転がり落ちて、
気付いたらそこにいました。

7月半ばくらいから、予兆はあったんですけどね。。
それでも気を張り詰めたまま、休もうとせず(もはや休み方も分からなくなっていた)進もうとしたから、
骨折をきっかけに強制終了させられた感じでした。

今回は、10日で脱出しました。
1度経験してると強いですね〜
瞑想を続けていたことも大きかったです。

自分の思考を客観的に見ることと
始まった思考を即座に断ち切ることを
すこしだけれどできるようになっていたのです。


人は鬱状態の時に、普段とは違う意識の層にいるような気がします。
そして実は、自分の意思だけでいくつもの層を自由に行き来できる。

そこに行くと 決めるだけでいい

その感覚が掴めたことが、今回の鬱経験で1番の収穫だったかもしれません。
今後深めていきたいところです。


鬱の層に関して言えば、
結構な確率で、人は鬱の意識の層に「ハマり」ます。
気持ちよくなってきて、居心地が良くなっちゃうんですね。
だってそこから出たら、現実と向き合わねばならない。
始めなければならない。
それが怖かったり面倒だったりするから、
「自分の意思」で、そこから出ない。

そういう時は、飽きるまでその層にいるしかない。
いつか絶対飽きます。

飽きたら出ればいい。

(その間頑張ってくれているのは体です。寝なかろうが食べなかろうが、体が踏ん張ってくれていることを脳裏に置けたら最高です)

出た後もしばらくは、二つの層を行ったり来たりします。
出れたと思っても、また戻ったり。

それもやっぱり、戻ろうという自分の意思が働いています。
戻りたいという気持ちが完全に0になったら、戻らなくなります。

0にするのもまた、自分の意思です。


それから、もう一つの考察。

2度の鬱に共通していたことは、
歩むべき道から逸れ始めていたこと。

自分が犯している間違いに気付けず
いくつも重なり出すと警鐘としての現象がおこる。


私は今回、大切な人を3人も傷つけてしまって、
でもそのことに重きを置いておらず、合わなくなったからしょうがなかった、で片付けようとしていたことが一番の過ちでした。

あとは、経営のこと。
高すぎる理想を掲げ、社会的に成功しなければならないと
いつの間にか思い込んでいたのです。


何のために東京を出てここまで来たのか、
なぜセラピストになったのか、
自分の店で何がしたいのか、

すっかり忘れていたのです。

恥ずかしさと自己嫌悪と罪悪感で
消えて無くなりたかったですが、

軌道修正して進むほかない。

鬱やってる間に33歳になりました。
まだ大丈夫だと信じている。
むしろやっとスタート地点だ。


いま確かにひかりが見える。

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