Vtuberという存在について

 

 初投稿です。Vtuberという存在の奇妙さについて思うことがあったので書こうと思います。既に沢山の人が似たようなことを書いたりしていると思うけど、自分の言葉でまとめておきたかったもので。とても短く拙い文章ですが、読んで頂けると幸いです。 「『アニメキャラ的要素』と『アイドル的要素』の中間地帯」に居るのがVtuberなのではないか。その絶妙な立ち位置故に生じる問題がある。当たり前かもしれませんが、そう思います。


 「アニメキャラ的要素」と「アイドル的要素」

 前者ですが、アニメキャラは声優の人格とは基本的に乖離しています。例えば、水田わさびがドラえもんを演じるからといって本人はどら焼きが好きで、ネズミが大嫌いなのではありません。その上でキャラの設定を演じ、ファンはそのキャラの人格に惹かれるわけです。
 一方で後者。アイドルはキャラクターよりも本人の人格が前面に出ています。本が好きなら本人も読書好きを公言するでしょう。もちろんキャラとかけ離れた趣味は公言しないでおこう、ということはあるかもしれない。しかし、アニメのようにキャラと人格が完全に乖離することは無いでしょう。なぜならばステージに立つのは生身の本人であり、その人がどれだけキャラを演じても、その見た目や行動とは切り離せないからです。


Vtuberという存在

 この2つの間に立つのがVtuberという存在だと思います。人が見るのは吸血鬼だったり、魔法使いだったり、外見はアニメのキャラです。しかし、その性格はその人そのもので、恐怖を感じれば叫ぶし、面白いと笑います。
 そして、この「アイドル的要素」で推すか「アニメキャラ的要素」で推すかによって時々対立が起こったりします。Vtuberをアイドルのようにその人個人に比重を置いて推すのか、それともキャラクターとして推すのか。
 いわゆる「前世」とか「転生」などについての反応とか論争などはこれで説明できるのではないかと思いました。
 あと独特な点としては距離の近さがあります。1人の個人の人生(あくまでそれは電子世界の存在だとしても)を傍で見守ることの出来る体験。アイドルにもこの要素はありますが、配信という既存の文化とアイドル性が融合した故に、より距離は近いように感じるのではないでしょうか。


最後に

 Vtuberは「アイドル」、「アニメキャラ」という二つの要素に加えて「配信」という文化が合わさった、インターネットの中でのみ成立している稀有な存在だと思います。いくつかの要素を孕むゆえに、個々人がどの要素に重きを置いて捉えるかで、大きく価値観が異なっていくのだと考えました。今もいろいろな問題を抱えながら絶えず動いていくコンテンツとして、これからも見ていきたいと思います。

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