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きっかけ

日常の小さな楽しみ
に、
ほんのひとさじのnote

そんな気分だ。

連休だからこうして、
特段意味もない文章に時間を費やしていられる。
あぁ、お休みも あとわずか。
そんな寂しさを味わっている。

ここには、ちいさな発見を注いでいきたいと
長らく考えていた。
生活のなかの、
気に留めなければすぐ忘れてしまうほどの、
些細な発見。
「特段意味のない」という形容がぴったりな、
そのくらいのできごと。
それらを地道にコツコツ書きためていきたいと、
なんだか強く思う。

生きた証とでもいったところか。

いや、
さすがに大袈裟。


この差って何だろう

発見その一。

「っぱなし」に
趣を感じてしまった話。

このちいさな発見がきっかけで、
私はずっと、noteに寄稿したい思いに追いかけ回されていた。
ほんと、ここ2週間くらい、ずっと。
ある意味ありがたい発見だ。
こうしてnoteへの投稿を、実行に移せている。

つまるところ
その発見とは何か。
それは

「っぱなし」って、なんとも魅力的な状態ではないだろうか
という提唱だ。

短い言葉を当てるとすれば、
昨日からの手紙。
過ぎたる日々の余韻と、動作の残り香。


っぱなし
なんて、
怒られてしまう悪習にすぎないのだが
こんな美化の仕方も、悪くはないと思ってしまった。

あ、
心の中のもったいないばあさんが、こちらを見ている。

人の生活の、体温が感じられる。
脱ぎっぱなしのコート、
かけっぱなしの音楽、
つけっぱなしの電気。

私を待っていたかのような感覚。
物物に、お出迎えをくらったかのような幸福。

決して褒められる状態ではないのだけれど、
一瞬 心が痛くなる、もったいなかったと悔やむ苦みを
ほっと和らげる、やさしい視点。

気配を残して去っていった、素敵な人物を思いながら。


p.s.

ある清々しい朝に見つけた発見だ。
なにがこの発見をそそのかしたのか、まったく思い出せないが…

CDをかけていた。
そしてふと、どこか行く当てもなくふらりと、
出かけたくなった

家族の中で 一番乗りに起きた朝。
次に起きてくる誰かのために、

音を残したまま
出掛けてしまおうか

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