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実母と絶縁した私が実母に殺された友人の墓参りに行った話

彼女とは専門学校で学年とクラスが一緒だった。
運動会や文化祭で一緒にご飯を食べたのをきっかけに
オタク友達として仲を深めた。

八方塞がりで、物心ついた頃から山積みになっている問題を
どこから片づけたら良いかわからないような、途方に暮れる人生と
日々に追われながら、漠然と「お互い生きづらいね」と言い合っていた。

しばらくして、カラオケや飲み会に行く程度の仲になった。
そんな中、出先で毎回頻繁に親から来る怒涛の鬼電と、
長文メールを小まめに確認しては難しい表情を浮かべていた。
「どうしたん?大丈夫?」といつもの調子で聞くと、
「統合失調症を患っている母の看病をしている」という話を
遠慮がちに私に打ち明けてくれた。

当時は自分も専門知識が乏しく右も左も分からない中、
医療費を出し渋るアンチ医療の母に頭を下げ、
どうにかして医療に繋がり、合わない薬をあれこれ試し、
フラフラになりながら福祉関係者と信頼関係を構築している最中だった。

卒業し、しばらくして無理やり心身壊しながら続けていた
ブラックバイトで使い潰され、辞めたばかりの満身創痍状態で、
布団の上で「いつどうすれば死ねるか」思案に暮れて他の事に
気が回らないくらい寝たきりだった私に、共通の友人から
TwitterのDM経由でその子の訃報と送別会のお知らせが届いた。

彼女はいつも優しく、明るく振舞うのが上手で、
その裏で深刻な問題を抱え込んでしまう傾向にあった。
「自分だけで何とかしなければならない」という
強迫観念に駆られて生きているようだった。
医療に繋がってはいたものの、希死念慮や自殺企図については、
医者に伝えてられていたのか、今となっては分からない。

亡くなるよりはるか前のとある日に、
複数人の共通の友人達とファミレスで世間話していた席で
唐突にポロリと発露し、泣き出した事があったきりだった。
そこまで追い詰められていた事を
微塵も感じさせていなかった彼女の口から
「死にたいなぁって…」という言葉が出た衝撃と、
それを聞いて自分にできる事があるかどうか、
刹那的に脳内の少ない引き出しを全開放して知識を巡らせ、
重苦しい雰囲気にどう声をかければ適切か逡巡し、
言葉に詰まり、そんな己の無力さや頼りなさで
不覚にももらい泣きをしてしまったのを覚えている。

自分もその子ほどじゃないにしても死にたさはあったし、
その気持ちそのものを長く長く押し殺していたから、
記憶の奥底の蓋をこじ開けられたようだった。
「なんでアンタまで泣いてるんだよ!」ってその場の一人に
私がツッコまれて、ようやく凍り付いていた場の雰囲気が
多少軽くなった事がせめてもの救いだったかもしれない。

もっと日を改めて掘り下げて話を聞いたら、
せめて問題解決の糸口を探す手助けができていれば、
長生きは難しいにしても、延命の余地はあったのではないか、
などと、この期に及んで考えてしまう。

本人の意思を尊重してこの世を去る選択を粛々と受け止めるのと、
本人の意向を無視してまで福祉に繋がるまで苦しむ時間を延ばすのと、
どちらが残酷なのだろうか。例え福祉に繋がっても、
生きるハードルが下がっても、必ず幸せになれるとは限らない。

現に福祉に繋がりはした私も、未だに苦しいといえば苦しい。
人生の大半をかけて懇切丁寧に実親に負わされた致命傷を、
これからも抱えて生きていかねばならないのだから、
そう簡単に楽にはなれない。承知の上で生き延びる選択をした。

他人に人生を食い潰されて不本意に死を選ばずに済むなら、
誰であれその方がいいに決まっている。

ましてやこんなにも絵と動画作りの才能に長けていて、
アニメや漫画、ゲームや音楽への知識も広く、
誰にも分け隔てなく優しかった彼女が犠牲になる必要なんてなかった。
死んだら何も残らない。ネット上での活動もいずれ更新が途絶えた
いちアカウントとして忘れ去られていく。
周囲の人間にとって大きい損失に他ならない。

彼女にとって広く広く交流していた
オタク友達の一人に過ぎなかったであろう私にとっても
とても大きな損失だった。共に生き延びたかった。
沢山の楽しい事で人生のつまらなさを塗りつぶしていきたかった。

共通の友人から当時の状況を聞くに、母との口論の末に
彼女が衝動に任せて自室のドアノブにぶら下がってしまったとの事だった。
毎年、連日のように交流していた鍵アカウントの呟きが途絶えた
この日を、勝手ながら仮に彼女の命日として偲んでいる。

自死に追い込まれ命を絶った人を自殺というのはいつも釈然としない。
明らかに殺人だし、マシに言い換えても過失致死だ。
それでも追い込んだ本人は罪には問われない。
いじめの問題を彷彿とさせる。加害者が何食わぬ顔で
送別会や葬式に参列するのと、白々しく悲劇として消費される辺り。

そして危うく自分もそうなる所だった。
人格障害や不安障害のような病的なヒステリーに当てられ、
生贄役を当てがわれた。
不眠とPTSDの後遺症で苦しむ程度に陰湿な暴力と
恐怖政治で飼い殺されていた。

彼女が亡くなり、私もこのままだとそうなると、
間接的であれ教えてもらった。だから逃げた。
多くの下の弟妹を、狂ったままの実家に置いて。

彼岸か来年にも、またお参りにいければいいなと思う。


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