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エネルギーに敏感なわたしと絵本制作の話

子供の頃からエネルギーや人の感情の動きに敏感な私は、ずっとここはおかしな世界だな・・・と感じながら生きてきました。

私が感じていることは、ほとんどの人が感じていることとは違うのかもしれない・・・きっと私は変なのだろう・・・

そう思いながら子供時代を過ごし、なんとなくその感覚を活かせそうなデザインの道に進もうと、直感でデザイン学校に入りました。

確かに個性的な人たちの集まるデザイン学校は、とても楽しく、刺激もありましたが、私の中にある、存在の土台となっているような感覚は、やはりあまり共有できないのだと、気づきました。

誰と話しても、その感覚を共有できる喜びを感じられない寂しさがあり、その言葉にならない感覚をこの世界にアウトプットするには、絵を描いたり、言葉を書いたりするしかないと感じていたように思います。。

とは言え、なかなかそれも理解されないので、作品が世に出るのにものすごく時間がかかりました。

出版になかなか結びつかないので、個展を毎年青山で開催していた時期もあります。

絵を買ってくださる方は多く、出版社を回るより、私の絵や言葉が好きだと言ってくださる方たちと直接話せて、絵を購入していただく方が自分も幸せだと感じ始めました。

そのまま絵を売るという方向で進み始めたところで、至光社という子供の本の出版社の編集者(以前絵を見ていただいたことがある方です)から「絵本も諦めないでね」という言葉をかけられ、もう一度絵本の方に意識を向けて1999年に初めての絵本「ちいさなほしのかけら」が出版されました。

至光社は、戦後から絵本を作り続けて、福音館と共に日本の絵本業界を引っ張ってきた老舗出版社です。

書くと簡単なように聞こえますが、私がその最初の絵本を出すことになったのは、専門学校を卒業し、出版社への売り込みを始めてから10年以上経ってからのことでした。

とても大変な時期だった・・・と今振り返っても思います。


そして、一番作りたかった大人向けの絵本が出版できたのは、専門学校卒業から30年以上経ってからでした。

その本は着想から20年近く経ってから出版できたのですが、きっと、読者に受け入れられるタイミングが今だったと言えばそうなのかもしれません。

真鶴にある小さな出版社から出版されました。


私がデザインの専門学校に通っていた頃は、絵本を描きたいなら、子供と乗り物と動物が描けないとだめだと言われたり、妖精や小人などの絵を描くと、受け入れてもらえませんでした。

明るくてわかりやすくて売れるもの

そう言った出版社に好まれるものは自分が描きたいものではなかったので、すごく葛藤を抱えながら売り込みをしていた記憶があります。

今の時代は
出版社を通さなくても自分で割と簡単に本が出せるので、この何年かで本当に時代は変わったのだと感じます。

もちろんいい点も良くない点もあるとは思いますが、好きなことを自由にできる時代の方が私はいいと思っています。
あまり時間がかかりすぎるのは、そんなによくありません。


この先、この混沌とした時代が少しずつ変化してきたら、一人一人がもっと好きなことをして自由に生きられるようになるとわたしは信じています。

好きなことをして生きている時、その人は幸せですし、そこから生み出されるエネルギーは、必ずこの世界全体のためにポジティブな影響を与えると思います。

そして、誰かのために役に立つという結果がついてくることが多いと思います。

わたしが今後やりたいと思っていることは、若い世代の人たち、特にエネルギーに敏感で、どう生きたらいいのかわからなくて迷い、この世界に疲弊しているような人たちの心を癒し、軽やかにしていけるような作品を作ることです。

そして、そういう人たちと、小さな規模でもいいので話をしていくことができたらと思っています。

なぜかわかりませんが、そう感じています。

あとは旅をしながら仕事をしたい。
海外でも本が出せたらいいなと思っています。


風が生まれるところ もぜひ読んでみてください↓

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シャンティ

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