静かなお正月 (2024年)
大晦日から元旦にかけて、12 x 8=96歳になる母と家族4人で過ごした。
ここ3年、大晦日の夜からお節料理を囲んで過ごすようになった。お正月早々、娘たちには仕事があって、元旦の午後には「行ってらっしゃい」となるからだ。
ウクライナとロシア、イスラエルとガザ……..世界があまり幸せではないので、クリスマスはささやかな飾り付け以外は何もしなかった。私と娘たちはクリスチャンであるので、本来ならクリスマスイブのミサに行くところなのだが、福岡へ越してきてから教会とのご縁がなく、心の中で祈りを捧げてただ静かに過ごす。もはや遠い昔のように感じる葉山教会、あの凛とした寒さの中の静寂、その心地よさは今も身体に染み込んでいて、その記憶が私の大切なクリスマスなのである。
お正月は母を喜ばせるために、ご馳走ありきでなくてはならないので気張るのだけれど、お節料理、お雑煮をいただいたところで終了。元日の地震と羽田の事故でおめでたい気分はたちまち失せてしまい、親戚の安否確認と久々に耳にした緊急警報のあの音に心が縮んでしまった。なぜか賛美歌第39番が響いてきて、そればかり聴いて過ごしている。
生きることに懸命になっている人たちがたくさんいる中で、私の日々の不満など小さなことだとつくづく思う。そう思いながら母との介護生活を見直してみる。もっと優しくなれないのか、もっと近づくことはできないのか….. 難しい。そうしているうちに体調を崩した。娘たち曰く、お正月の食べ馴れないご馳走がいけなかったのでは? ...… 31日から翌1日までの24時間くらいの非日常…… たったあれだけで? ......やはりそうなのかもしれない…… 。
2024年、母を見守りながら静かに生きていこう。
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