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「創造の原動力」に立ち戻り〝ソサエティ〟を実装する試み——YAU SALON vol.25「アートと企業コラボレーションの未来形」レポート

2024年5月8日(水)、国際ビル1階のYAU CENTERにて、YAU SALON vol.25「アートと企業コラボレーションの未来形」が開催された。

クリエイティブユーザー向けのペンタブレットの製造開発をメインに事業を展開する株式会社ワコム(以下、ワコム)は、2020年より、オーストリア・リンツ市にあるアルスエレクトロニカ・フューチャーラボとの共同研究プロジェクト「Future Ink(フューチャーインク)」を展開している。「Where is my soul? (魂はどこにあるのか)」という根源的な問いに取り組んだ本プロジェクトを通して、ワコムは企業ビジョンにより磨きをかけたという。

いっぽう、アルスエレクトロニカ・フューチャーラボ共同代表の小川秀明氏がディレクターを務める「札幌国際芸術祭(SIAF)2024」に、ワコムは社会課題に共に向き合い未来思考の解決に取り組む「イニシアティブ・パートナー」として参加し、札幌を舞台に様々なアートプロジェクトを展開した。

小川氏とワコムの継続的なアートのコラボレーションから見えてきたものとは? 小川氏と、株式会社ワコムCEOであり一般社団法人コネクテッド・インク・ビレッジ代表理事の井出信孝氏の対話から、2人が共有しているビジョン、そこから見えてくるアートやテクノロジーを通した未来の姿を探った。

当日の模様を、美術や工芸、地域文化の本の編集や執筆に携わる編集者/ライターの永峰美佳がレポートする。

文=永峰美佳(編集者/ライター)
写真=Tokyo Tender Table


未来への創造戦略として文化やアートを原動力として捉えるリンツ市

二人の出会いは8年ほど前に遡る。小川氏はかねてから、フューチャーラボのコラボレーション企業の候補として、ワコム社に興味を抱いていた。「デジタル変革の一翼を担うツールをつくっており、その先にある人間らしさや、社会に貢献するコンセプトを共有できるのではないかと感じていました」。ワコム社を小川氏が訪問した際、井出氏はマーケティング部長だった。二人は意気投合し、「一緒に何かできたらいいね」という言葉を残して小川氏は去っていった。

左より小川秀明氏、井出信孝氏

小川氏の所属するアルスエレクトロニカ(以下、アルス)は、「アート、テクノロジー、社会」というテーマのもと、1979年に設立されたクリエイティブ機関だ。アルスはリンツ市の100%子会社のパブリック・カンパニーであり、リンツ市の組織図では、水道局の並びに配置されている。「水道局が蛇口を回すと良質な水が出てくるサービスを提供するのであれば、アルスは蛇口をひねると未来が出てくる。未来の教育、リテラシーを人々に提供する、そういう位置付けがなされています」と小川氏は語る。

アルスエレクトロニカの歴史は、1979年、メディアアートのフェスティバルとしてスタートした。ついで87年に立ち上げたメディア・アートのコンペティションは世界最大に成長。その後96年、芸術センターとフューチャーラボがつくられる。芸術センターは、恒常的にアート・テクノロジーの学校として未来のリテラシーを体感できる体験型ミュージアム。フューチャーラボは、アルスのリサーチ&ディベロップ部門で、アーティスト35名で組織されたクリエイター集団。世界の研究・教育機関や企業、行政などと共同開発を行っている。小川氏は17年前、アーティスト・イン・レジデンスの制度のもとアルスに入り、現職に至る。

フェスとコンペ、芸術センターは公的資金で運営されるが、フューチャーラボは自分たちのバジェットで運営しなければならない。年間のトータル事業費約20億円のうち、市が30~40%を負担し、残りの60~70%を企業や自治体とのコラボレーションで賄う。「社会との深い接点を持つフューチャーラボがあるからこそ、アルスが未来を発明する震源地になりえている」と小川氏は説明する。

次なる成長に向けて〝ソサエティ〟を実装したい

さて、小川氏の訪問を受けたのち、井出氏は「素晴らしい団体を見つけたから、絶対にコラボすべきだ」と社長に掛け合ったが、即却下された。当時、ワコムの経営は必ずしも順調とは言い難く、理解が得られないのも当然と言えば当然だった。

名だたるアニメや映画でもワコムの製品は使われている。「アーティストの方々にサービスするというのは〝沼〟です。尽きることなく愛情を注いでしまう。それを〝ワコムのトラップ〟と呼んでいます」と井出氏。そういった表現とのピンポイントの関わりだけでなく、自身もアーティストである小川氏の第一印象は「全方位の表現者」というイメージだったという。

一度は頓挫したアルスとのプロジェクトに再度漕ぎ出した理由を問われると、「僕が社長になったから」と井出氏。初対面の際に小川氏から出てきた「ソサエティ」というコンセプトに教えられるものがあったからだという。「ワコムは次の成長に向けて〝ソサエティ〟という視点を身に付けなければならないと感じていました」。その〝ソサエティ〟の意味について小川氏は「アルスは公的機関であり、フューチャーラボで生み出されたことはすべて、利益を目指さず、社会へ還元するという使命があります。そういった意味での〝ソサエティ〟ではないか」と補足した。

2人が心掛けたのは、対等な目線のパートナー関係。「フューチャーラボは、ロードマップを作成し、着実にプロジェクトを執行する優れたビジネス集団だと感じました。ワクワク感と同時に、技術会社として絶対負けねえっていう思いがありました(笑)」と井出氏。 「すごいバチバチを感じましたね」と小川氏。井出氏はこの衝突を〝クリエイティブ・コリージョン(創造的衝突)〟と名付けている。「楽なのはクライアントの立場で楽しむことですが、それは絶対しないと心に決めていました」。

「未来のインク」をテーマにした、3つの研究

そして2020年のパンデミックの最中、未来のインクを構想する共同研究「Future Ink」プロジェクトが立ち上がる。そこに通底するテーマは「where is my soul?」。「クリエイターの作品は、なぜ人の心を震わせるのか? この根本的な問いに挑みたかった」と井出氏。集中的にワークショップを行い、例えば言霊に着目し、「なぜ言葉は人の心を動かすのか?」といった問いを考えるなかで、「where is my soul?」というテーマが引き出された。

1年目の研究対象は「スペースインク」。どんな場所にでも絵は描ける、という課題だった。ペンで軌跡を描くと、それに沿ってドローンが飛んで絵や字を描く。光の軌跡で空中にも描くことができる。ドローンを飛ばして実際にテストを重ねた。

空中に「where is my soul?」の文字を描く Photo by Jochen Manz

2年目は「バイオインク」。シャーレに微生物を泳がせて、ワコムのペンを使って文字を描く。その後、筆跡の変化を観察した。「2週間後に現れた世界は、おどろおどろしい極彩色の地獄絵図だった(笑)」と井出氏。「〝生きているインク〟それは明らかにノイズでした」と小川氏。ノイズをどれだけ制御して、ペンから出る信号を際立たせるかがワコムの技術の見せ所。しかし「単に信号を際立たせていけば、人の心は震えるのだろうか。ノイズと信号が逆転する世界を一度つくってみなければ、答えが出ないと感じた」と井出氏は回想する。

〝生きているインク〟で描かれた文字 Photo by Yoko Shimizu

3年目は「ライフインク」。1、2年目に使用したデジタルペンを封印し、脳の波動、心臓の鼓動、発汗作用、血流などの生体情報自体がインクにならないかという課題に挑んだ。最終的にアルス内の「ディープスペース」という巨大な映像環境で、ピアニスト・滑川真希氏がピアノを弾き、彼女の在り方をインクに変換して、ライブパフォーマンスとして披露した。

ピアニスト・滑川真希氏のパフォーマンスの様子 Photo by Jochen Manz

徹底して利益を追求しない、営業的に利用しない 

 井出氏はこの共同研究の最中の2021年、一般社団法人コネクテット・インクビレッジという機関を立ち上げた。井出氏は言う。「小川さんとプロジェクトを進めるなかで、ビジネス視点でアートと向かい合うことの限界を感じ、ノン・プロフィットの団体と両立させたいと思いました。ビジネスとノンビジネスを相対させながら、お互いが合わせ鏡のように機能しつつ、アートと対峙するというやり方に一歩踏み出しました」。

ただ、こういった取り組みへの内外の反応は複雑で、ときに無関心、無理解を招いた。「アルスとの共同開発を営業的に利用する方法もあったのですが、それはしたくなかった。成果を見せるのではなく、本気の旅路に意味があるのだから、わかりにくくて当然」と井出氏。「もちろん営業的に利用していいのですが、井出さんはあまりにもそうじゃなかった。そのことが札幌国際芸術祭へとつながっていきました」と小川氏は追想する。

その後、ワコム周辺の状況は少しずつ変化し、その兆候として、コネクテット・インクビレッジによる年一回の「クリエイティブ・カオス」というコミュニティアートイベントに、投資家、株主の人たちが足を運び、発見や交流が生まれているという。「それに僕は正直、社員に変わってもらおうとは全然思っていません。人事は究極まで『個』に寄り添うことを指標にしています」と言う井出氏だが、会場に居合わせた社員からは「ちょっと足を止めて考えたりするようなことはみんな少しずつするようになっているのかな、と思います」というコメントも寄せられた。

札幌国際芸術祭(SIAF)2024、異なる3つのプロジェクト

2024年、小川氏は札幌国際芸術祭のディレクターに就任した。パンデミックを挟んで6年半ぶり3度目、初めて冬に行われる37日間の芸術祭に、「LAST SNOW(ラスト・スノー)始まりの雪」というテーマを設定した。「当たり前に降っている雪に着目し、新しいことを始める未来志向の場にしたかった」と小川氏。目標として掲げたのが、①芸術祭自体をアルスのような文化インフラにすること。②従来型の芸術際には見られなかった企業や行政の人たちが参画できる未来の実験区(創造エンジン)をつくること。そして③ボランティアを超えた、多くの新しい市民参加を目指すことだった。

パンデミック後に初めて日本に戻った小川氏が、最初に声をかけたのが井出氏だった。「企業や関係者の実験場として、芸術祭が持っている力以上のことを実現する仕掛けを考えていました」。8社がイニシアティブ・パートナーとして参加。最新研究や調査、物資や資金、人材も含めて提供し、ときにはアーティストとコラボレーションを行い、新しい実験や発明を行った。

具体的に、札幌国際芸術祭でワコムは、三つのプロジェクトを担った。それは、①新しい教育ワークショップをつくる、②芸術祭のなかに企業のミーティングポイントとしての芸術祭「ワイアフ(WIAF/ワコム国際芸術祭)」を開催する、③「未来劇場」という中核施設に、未来のアクションを起こす人たちを触発する場を創出する、というものだった。

①教育ワークショップについては、事前にワコムのある東京・新宿でプロトタイプを考案した。ものをつくる喜びとは何か、それを体験しようと、子どもたちと3時間のワークショップを行った。床のキャンバスに好きなだけ絵を描き、粘土でモンスターをつくる。それをスキャンして3Dモデリングを行い、色を塗り、最後にアニメーションを制作する。一緒に製作したのは、日本を代表するフィギュア会社・海洋堂の造形師、古田悟郎氏。このワークショップは札幌国際芸術祭に組み込まれ、会期中3回ほど開かれたのち、札幌市の教育ツールとして日常の学びの場に生かされることになった。 

札幌国際芸術祭で行われた「自分だけのモンスターをつくってみよう」ワークショップのポスター
「自分だけのモンスターをつくってみよう」ワークショップの様子
「自分だけのモンスターをつくってみよう」ワークショップの様子

②フェスティバルインフェスティバルの「ワコム国際芸術祭」は、小川氏との約束でもあった芸術祭と企業が交差する接点の実現でもあった。アートの求心力で一日限りの非日常的な空間を実現し、ビジネス・テクノロジーパートナーが集い、共に未来や今後のビジネスのあり方を議論する体験の場を創出した。

札幌国際芸術祭にイニシアティブパートナーとして参加したワコムの参加テーマ「Last Ink」。漫画家・Bunta氏が手掛ける同名の「Last Ink」というマンガのネームをもとに、コネクテッド・インク・ビレッジのアーティストが勢ぞろいし、ダンス、歌、音楽、ギター、ドローイングの総合芸術を創り上げた

③「未来劇場」は、東1丁目劇場(旧北海道四季劇場)を、芸術祭の拠点に仕立てた施設。観客は16組のアーティストによる作品空間に入り込み、最後に「演者(アクター)」として未来に向けて行動する。この最後の参加型プログラム「未来ラボ」を、ワコムは2組のアーティストと担った。「観客という受身の立場から、つくり出す側にみずから変わる、という仕掛けをつくりたかった」と小川氏。自分の顔写真を撮り、見ず知らずの他の参加者の顔写真を1点選び、その人の似顔絵を描いて飾るというアナログなプログラムを考案した。「『デジタルで描けるって面白いでしょ』という文脈を出したくなかった」と井出氏。会期中は家族連れで賑わい、「小川さんの言っていた市民にとっての芸術祭のインターフェースの意味に気づかされました」。

見ず知らずの他者の似顔絵を描き、飾るプロジェクト「未来ラボ」の様子
「未来ラボ」の様子

 

〝ワクワクしたい事をやる〟という勇気と覚悟

この日会場からは多くの質問が寄せられた。「投資したからには会社として回収するのが常ですが、どこで、あるいは何で回収するのでしょうか?」という質問に対して井出氏は「ワコムの液タブ2万台の注文書を手にするためにプロジェクトに参加したら、誰もワクワクしない。子どもたちには見透かされ、伝説の造形師・古田さんは話に乗ってくれない。札幌市役所の人たちだってうんざりするでしょう。純生むき出しの〝ワクワクしたいことをやる〟という勇気と覚悟でしかできないことがある」と回答した。そして並行するビジネスで金銭的に支え、一粒種を蒔くという体験に対する投資を〝meaningful growth(意味深い成長)〟というコンセプトで回収し続けることを今は考えていると、胸の内を明かした。

小川氏は、井出氏のようなスピリットを持っている人たちが少しずつ増えているのを感じているという。「製品やサービスの提供、AI化の道筋をあまりにも早急に組んでしまい、今後の経営ビジョン、世の中にどんな製品やサービスを展開すべきかについての議論ができていない。そこにアート的な思考が求められているのを感じます」と付け加えた。「問われるのは〝コンパスの強度〟。その強度は、経済的な数値ではない。人の豊かさ、心の豊かさ、社会の豊かさにどう寄与できるかという方向に、指標を移していかなければいけない」と小川氏は解いた。

アートやテクノロジーを通して、企業活動の根源にある「創造の原動力」を徹底的に考察することで、今後の企業や社会のあり方の手がかりを掴もうとしている姿は、新しい未来への一つの羅針盤のように感じられた。








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