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街と結ぶパフォーマンス表現にYAUのヒントを探して——YAU SALON vol.6『「東京で、都市/まちで(と)、"演劇"をつくることを話す」レポート

2022年1月18日、YAU STUDIOにて第6回「YAU SALON」が開催された。「東京で、都市/まちで(と)、”演劇”をつくることを話す」をテーマに、演劇とダンス、パフォーミングアーツの領域で活動する4組5名に、街と関わるプロジェクトの展開やオルタナティブな場づくりなどの事例を聞いた。

登壇者は、NPO法人「場所と物語」を運営し、演劇プロジェクトを行う石神夏希(劇作家/場所と物語)、劇団「快快」のメンバーであり、舞台美術家コレクティブ「セノ派」に参加することで演劇プロジェクトも行った佐々木文美(セノグラファー/劇団「快快」)、演劇プロジェクト「円盤に乗る場」を結成し、都内商店街で共同アトリエ「円盤に乗る場」を運営するカゲヤマ気象台(劇作家・演出家/円盤に乗る派)、街での観察を起点にリサーチを経てダンスをつくるユニット「チーム・チープロ」の西本健吾、松本奈々子(チーム・チープロ)と、一言で「まちで(と)の演劇プロジェクト」と言っても、それぞれの特性はかなり異なる。

進行は、舞台芸術プロデューサーで、一般社団法人「ベンチ」の代表理事・武田知也が務めた。ベンチは、舞台芸術の企画制作、マネジメント、プラットフォームをつくるコレクティブ。

YAU STUDIOで武田は、稽古場を設置して、パフォーミングアーツに関わる人々が滞在制作できるプログラムを運営している。2022年5月には、演出家・振付家の倉田翠が、東京の丸の内・大手町・有楽町エリアで働くビジネスパーソンへのインタビューやワークショップをもとに創作したパフォーマンス作品『今ここから、あなたのことが見える/見えない』をプロデュース、上演し、好評を博した。

街と演劇やパーフォマンスとの関係について、さまざまな角度からの意見が飛び交ったイベント当日の模様を、アートや、市民参加型のワークショップの取材も手がけるライターの白坂由里がレポートする。

文=白坂由里(ライター)
写真=Tokyo Tender Table


■パフォーマンスが立ち上げる、トランスナショナルな「場」

武田は冒頭で、「場をつくる」「東京の真ん中にある」「多ジャンルの人々が集まる」といった特徴を持つYAU STUIOではどんな場をつくるとよいかという課題を投げかけ、観客の頭の隅に置いてもらいながら、4組の活動について尋ねていった。

武田知也氏

まず、NPO法人「場所と物語」の代表を務める劇作家・演出家の石神夏希がプレゼンテーションを行った。高校時代に劇団「ペピン結構設計」を結成。横浜を拠点にしていた2000年代半ばから劇場の内側/外側を問わず演劇を展開してきた石神だが、2012年頃からは国内外のさまざまな土地に滞在し、そこに暮らす人たちと演劇をつくるという、劇場の外での活動が中心になっていった。さらに2020年には、依頼を受けた静岡市主催のアートプロジェクトを立ち上げるため、静岡に移住。現在は、静岡を拠点に国内外のプロジェクトに携わっている。

「いろいろな土地に滞在して、そこに住んでいる人々の生活空間や公共空間を舞台に、演劇的なアートプロジェクトやパフォーマンスを作ってきた」と石神。まちづくりの文脈にあるようなプロジェクトを行うこともあるといい、「分散的・同時多発的に起こる移動型の演劇や、鑑賞者がパフォーマンスに参加し、通行人も巻き込んでその場で起こる偶発的な出来事を取り込んでいくような試みをしてきました」と話した。

石神夏希氏

​​2019年に雑司が谷(東京都豊島区)で開催された「Oeshiki Project ツアーパフォーマンス《BEAT》」はその代表作のひとつ。日蓮上人供養のための仏教行事「御会式」と土着の鬼子母神信仰とが融合し、毎年、夜半まで太鼓を叩いて練り歩く伝統行事「鬼子母神御会式 万灯練供養」に新たな視点を取り入れたプログラムだ。

「御会式では、偶然、太鼓の音を耳にした人にも仏縁が結ばれると考えられています。《BEAT》ではトランスナショナルな(国境を越えた)市民パフォーマー約50人が参加し、池袋駅周辺の街角約50か所で太鼓を持って待っています。参加者は西池袋公園で受け取った地図と写真を頼りにパフォーマーを探し出して太鼓を受け取り、伝統的な打ち方ではなく『もうひとつのOeshiki』のビートを教えてもらう。そして一緒に太鼓を演奏しながら、彼らが普段通っている語学学校、カラオケ屋など、誰かにとっては日常だけれどなかなか足を踏み入れることのない場所へと導かれます。そうやって移動と集合を重ねながらだんだん大きな集団へと成長し、太鼓を打ち鳴らしながら池袋の街をパレードした上で雑司が谷の御会式に合流し、鬼子母神まで歩くというものです」(石神)

このパフォーマンスを構想した背景のひとつは、全国で日本に住む外国人に対する日本人の寛容度を測る意識調査に携わり、「日本人が外国人に守ってほしいこと」の第1位が「集団で大騒ぎしない」、第3位が「夜遅くに大きな音を出さない」であったこと、また地域社会に自分が承認されていないと感じている人ほど寛容度が低い傾向にあるとわかったことだった。「Oeshiki Project」では、太鼓のビートを通じて不寛容な公共空間を問うことを目指した。

「Oeshiki Project ツアーパフォーマンス《BEAT》」より(写真提供=石神夏希)

石神は他に、Taipei Performing Arts Center(台湾)が主催した、世界各国から集まったアーティストたちが台北に1ヶ月滞在しながら共同制作の可能性を探る「Artist Lab」という企画を紹介。自身がキュレーションした、アーティストが公共空間で行うパフォーマンス的な行為を通じて都市のリサーチを行うプログラムなどを紹介した。

もともとは劇場内での作品も多く手がけながら、その活動の中心を、徐々に街中など劇場の外へと移していった石神。武田から、そこでの「演劇観」の変化を問われると、石神は「私はもともと演劇少女で、自然な流れで劇団をつくったんです。いっぽう、私たちが2005〜2006年に拠点にしていた横浜の『北仲BRICK & WHITE』という場所には、建築や音楽、ファッションなどさまざまなジャンルの人が入居していた。そこで活動するなかで、劇場ではない場所で演劇をしたり、劇場とは普段関わりのない人と協働するという選択肢が自然に出てきました。

そうした空気を浴びながら5年ほど活動した頃、東日本大震災があり、劇場という制度のなかに自分の居場所があまりないと感じるようになった。そこで、地方や海外など離れた土地へ行き、演劇とは無関係な人たちの生活空間に入って、演劇を立ち上げることを始めました」と話した。

コロナ禍のさなかに移住した静岡では、毎週土曜日に静岡のさまざまな場所を舞台とした「戯曲」をラジオで放送し、リスナーに上演してもらう「きょうの演劇」というプロジェクトも行っていた。こうした石神の活動からは、「演劇」というものを社会のなかでとらえ、公共空間や生活空間のなかに深く入り込みながら、街の人たちとともにその新しい可能性やポテンシャルを模索してきた様子が感じられた。

◼️ゲリラ的介入ではなく、街との交渉を探るプロジェクト

次に発表したのは、劇団「快快」のメンバーでセノグラファーの佐々木文美。「快快」での活動とは別に、舞台美術家・杉山至を中心とするコレクティブ「セノ派」で行われた、豊島区内商店街との共同プロジェクト「移動祝祭商店街」を紹介した。

「セノ派」とは、「フェスティバルトーキョーF/T 2019」をきっかけに、セノグラフィー(舞台美術)の考え方や技術を街と結びつけて街の概念を変えようと結成された集団。地域商店街に祝祭空間を作り上げる「移動祝祭商店街」プロジェクトが2021年まで開催され、訪れた人が参加できる顔ハメパネルなど、街を舞台としたパフォーマンスが繰り広げられた。

佐々木文美氏

「大塚にはモスクがあり、ムスリム系の方が多く住んでいます。他にも韓国系や中国系の方などさまざまな国の方たちが暮らしているので、それぞれの国の文字で『サンモール大塚商店街』のアーチをつくるプロジェクトを2019年に行いました。なかには、文字の間違いを指摘して来た人が参加者となり、そのバイト代を北アフリカの母国への帰国代にした人もいました」(佐々木)

2021年「移動祝祭商店街 歩く庭」では、東池袋中央公園で「庭」をテーマに豊島区をリサーチし、ポッドキャスト「聴く庭ラジオ」を放送した。「これは、公園の人口密度、天気、温度、庭についてなどをゲストと語り合う番組。公園には、地ネコ(地域ネコ)がたくさんいて、ホームレスもオフィスで働く人も、階層や生活スタイルに関わらず、みんなで猫を可愛がる様子が見られました」。

「バーバーマエ」の前の写真パネル(写真提供=佐々木文美)

また、毎年、南大塚にある老舗の床屋「バーバーマエ」の前で集合写真を撮るなかで、参加者が卒業アルバムの欠席者のように顔ハメをして写真が撮れる作品も生まれた。「集合写真は撮られる人の方が多いので、撮る人、撮られる人の権力関係が逆転したり、観光客と地域の住人の力関係がなくなったりと、面白い発見がありました」。

なお、佐々木が属する「快快」の活動では、舞台解体後の廃材を銭湯に利用してもらうなど、ゴミの捨て方も意識した制作をしている。「そこでも街との関わりが生じる」という。佐々木の活動は、演劇において脇役になりがちな舞台美術を一つのジャンルとしてその可能性を広げている。私たちの生活のシーンが演劇のようにも見えてきて、興味を惹かれた。

武田からは「寺山修司の市街劇に代表されるような、俳優を街中に忍び込ませてゲリラ的に演劇を行う時代から、交渉自体を作品づくりの可能性に変換する時代へと変化していること」が指摘された。

■都市生活者のリアリティのなかから演劇をつくる

続いて、劇作家・演出家のカゲヤマ気象台が発表した。2018年、複数の作家・表現者が一緒にフラットにいられるための時間、あるべきところにいられるような場所を作るプロジェクトとして、「円盤に乗る派」を結成。2019年〜2020年にかけて、俳優2人と、観客との間を媒介する「ウォッチャー」という役割のメンバーも加わった。

2021年には、彼らを含む15組ほどのアーティストが集まり、創作する共同アトリエ「円盤に乗る場」を東京・尾久エリアの商店街の一角に設けた。「演劇を中心に、どう人が集まってくるのか」というコンセプトを掲げて、さまざまな人が参加できるプログラムを行っている。

カゲヤマ気象台氏

「円盤に乗る派」という名は、「演劇を見に行く体験は何かの役に立つことはなく、例えばお金が儲かる、見た目が変わることもないが、その体験で何かが違ってくる。それをUFOにさらわれて帰ってきた人の体験になぞらえ、演劇を見に行くことは円盤に乗ることに等しい」ということを示すという。「円盤に乗る場」は、その体験ができる「場」となる。

「今は大都市に限らず、かなりの地域に『都市』的なものが入り込んでいて、その感覚と向き合いながら作品をつくってきました。都市における存在、自分の存在を規定する強いアイデンティティーが持てない、孤独や不安を纏った状態を感じている人は多いと思います。そうした孤独な人たちがたまたま集まって演劇を見て、それぞれの場所に帰るという一連のプロセスを演劇と捉え、ただ作品を見るだけでなく、自分が都市のなかで生活していることが考えられるようなしつらえで演劇を上演しようと考えながら活動しています」(カゲヤマ)

上演だけなくパフォーマンス、シンポジウム、雑誌編集など、観客の生活のなかに自然と「公演」が位置付けられるように多媒体で企画。また、カゲヤマは「円盤に乗る派」の少し前から、出身地・浜松市と東京の二拠点で活動し、1年に1本ずつくらい作品を上演してきている。

2020年に始まった《ウォーターフォールを追いかけて》は、コロナ禍のさなかに、オンラインで完結する作品を作ろうとしたプロジェクトだ。はじめに、インターネット上でワークショップを開き、その参加者と一緒に原案を制作、それをもとにカゲヤマが戯曲を執筆した。その後、特設サイトを開設し、そこである期間、閲覧者が「録音」ボタンを押すと画面に戯曲の一部が現れ、それを読み上げる声を録音できるようにした。こうしてサーバ上にストックされたたくさんの声をつなげ、映像や音楽と組み合わせたうえで、オンライン上演を実施した。

さらに2021年には、同戯曲を実際の劇場で上演することに。この際も、オンライン上にインタビューや、制作プロセスを紹介する音声コンテンツなどをあわせて公開。また、早稲田小劇場どらま館の協力のもと、学生と一緒に別ヴァージョンの上演を行うなど、さまざまな媒体や人たちが総合的に絡み合うプロジェクトとなった。

《ウォーターフォールを追いかけて オンライン上演》(2020)映像=江口智之
《ウォーターフォールを追いかけて》(2021)会場=STスポット(神奈川・横浜)撮影=濱田晋

また、2022年には、1980年代の小劇場ブームを牽引した劇作家・演出家である如月小春の戯曲《MORAL》を、演劇経験を問わずに公募で集まった人々と戯曲を精読するワークショップを経て上演。参加者が戯曲をどう読んだかを投げかけるものとした。カゲヤマは「如月小春が、都市に対して、ただこれが今ある世界だと冷静にありのままに描く態度に共感しました。私も批判的に振る舞うというよりも、自分たちのいる世界はこうなのだという意識で演劇を制作し、上演しています」と語る。

共同アトリエの「円盤に乗る場」では、作品を作るだけでなく、言葉を読んだり、聞いたりする「言葉に乗る会」などのイベントを開催。「自分たちだけで作品を作っていると断絶や孤独に陥りがち。地域やほかのメンバーとどうしても関係性が生まれてしまう環境が創作にとってもいい影響がある。劇場までの道のりとか劇場の構造は容易に変えられないし、映像のようにいきなり俳優の身体が消えることはできないし、ものはどかさないと消えない。そうした “どうしても”無視できないものと付き合い続けるのが演劇だと考えています」(カゲヤマ)

武田からは「美術作家の作品が主に後世まで残るものであるのに対し、さきほどの佐々木さんの手掛ける舞台美術は壊しやすいようにつくりますね。それと同様にカゲヤマさんの話は、形には残らない演劇が何をもたらすのかということにも繋がってくる」という感想があった。

◼️都市が規定する「身体」からダンスを考える

最後に、西本健吾と松本奈々子の共同主催で、二人でダンスを制作し、松本が出演するユニット「チーム・チープロ」が発表した。

チーム・チープロ(左より西本健吾氏、松本奈々子氏)

「男女のチームというと、明言していないのに男性がコンセプトをつくり、女性に出演させていると思われることが多い。それはなぜなのか」と語り出す西本。「人前でわざわざ踊っている姿を見せて、観客は固定された状況で見るという状態は何なのか。そして一度バレエを辞めた松本がまた踊ることに関心がある」と言う。

二人が行うのが、「ステップリサーチプロジェクト」と呼ばれるプロジェクトだ。人は、生まれ持った身体や、慣習的に規定された身体から完全に自由になることはない。ある程度定められたその身体と戯れながら、それを崩したり、強調したり、茶化したりして踊りをつくるのが二人の方法論だ。

「たとえば、日常の身振り、ダンスの歴史で継承されてきたステップや型からひとつを抽出し、その型や身振りがどういう経緯で形成され、それが社会でどういう意味を持っているのか、歴史などをとことん調べて、崩していきます。さらに、それがどういう場所で見えたら面白いか、場所を探す。崩れた型が今までと違うどんな風景やコンテキストを引き寄せるのか。場所からステップを考えることもあります」(西本)

2022年春にYAUで上演した『皇居ランニングマン』は、ダンスの「ランニングマン」のステップと皇居前広場でランニングする人たちをリサーチして制作した。

「“国民公園”と呼ばれているのに公園内では走るのが禁止のエリアもあり、厳かな雰囲気になってしまうのはなぜか。関東大震災では避難キャンプになったことやメーデー事件など、調べてから再び皇居を訪れると、厳かに規定されている身体に別の視点や違和感が働いてきます。さらに、軍事パレードが行われていた歴史を想起すると、走るという身振りが軍事パレードにも見えてきて、ランニングマンのステップが崩れてくる。そうしたプロセスでダンス作品を作っています」と西本は語る。

調べた歴史の話、調べていく過程で考えた散文的あるいは詩のような文章、松本の個人的な歴史、それらをテキストにして肉声や機械音声で読んだり、流したりするなかで、同じステップを続ける。流れる言葉によって身体が違って見えたり、身体と言葉が矛盾するような状況が生まれたりする。

『皇居ランニングマン』写真=加藤甫

また、松本がコロナ禍で、ここにいない想像上の誰かと踊るという試みから始まった『京都イマジナリーワルツ』(2021)では、ワルツというペアダンスの型を習得して、誰かと踊っているようなひとり用のワルツを制作。京都の街を歩きながら、一緒に踊ってくれそうな人を探した。「その結果、鴨川の水の流れ、松本さんが出会った狸、戦前に存在したダンス芸妓を踊り相手に、“接触”が避けられていたなかでどんな踊りが可能かを考えて制作しました」(西本)。

習慣化された身体を崩して踊るために、社会においてイメージが固められている型や身振りを借りて踊る。そのために歴史を調べたり、散歩したりしてダンスをつくる。路上観察をベースとした「考現学」からのダンス表現ともいえそうだ。武田は「都市を映すという視点から、個人の身体が、どういう場所でどういう体にならざるを得ないのかに自覚的になる作品」だと評した。

■変化する演劇の位置付け。「作品」という括りについて

後半は、全員が参加してディスカッションが行われた。議論は、武田による、演劇やパフォーミングアーツが劇場を離れて社会へと出ていく時代背景の説明から始まった。

演劇やパフォーミングアーツが「都市の芸術」と言われるのは、観客が集まって初めて作品が成立するという背景による。1980〜90年代には、小劇場から大きなホールへと進出し、俳優がテレビに出演し、劇団が有名になっていく、俗に「小劇場すごろく」と呼ばれた成功モデルがあった。

「しかし、舞台と客席が分かれ、メインストリームの劇場から発信されるものを観客が受容するというスタイルに窮屈さを感じる世代が現れ、2000年代後半から日本における演劇のあり方が多様化していったと思います」と武田は語る。

「集客する場や劇場をつくるのではない、都市における演劇の萌芽。YAUという場でも、どうしたら演劇が社会の中で機能し、楽しく使えるかを考えていきたいと思っています。演劇の要素を別のものと組み合わせたり、街の中にインストールしたりすることはその方法のひとつです」(武田)

現代の都市と演劇はどのように変化してきたのだろうか。石神は、「かつて演劇は、都市を相対化する存在としてインパクトを持っていた。武田さんが挙げた寺山修司などと対比して、確かに現在は、カウンターや批判ではない返し方、都市に近づいていく触れ方が違ってきていると感じます。どのように都市と共存しながら、あるいは隙間を探していくかが重要になってきている」と話す。

石神がそのように考えるようになった原点は、大学1年のときに参加した「アートキャンプ白州」だという。仲間たちと山梨県白州に移り住み、農業を営む世界的舞踏家・田中泯の呼びかけで、農村を舞台に舞踏・芝居・美術などジャンルを越えて繰り広げられたアートフェスティバルだ。

それ以降、「作品が生まれてくる環境をどうつくるか、上演作品の前後も含めて演劇じゃないのか?と考えるようになった」と石神。

「そのような視点に立つとき、“作品”という切り取り方がどこまで有効なのか?という疑問が湧きます。たとえば福祉の現場でも、“作品”というアウトプット形式ではないために、芸術として評価されていないこともたくさんあり、その課題がYAUともつながってくるのではないかと思います」(石神)

それを受けて武田は、街の中に舞台美術を展開する佐々木に、「街や都市との出会いかたで考えることはありますか?」と尋ねた。佐々木は「自分を街にインストールするという意識で、ずっと大塚にいた」という。

「あの人、何しているんだろうと思われるような街の異物として存在することで、会話ができたんですね。時間と慣れによって、お互いにわかってくる。街の人に、アーティストも生活者であることを知ってもらうことで、少しずつ関係性ができていったと思います(佐々木)

武田は「佐々木さんのそうした振る舞いには、街の許容度を測り、なぜ制約があるのかを探りながら、寛容度を拡張する役割があったのではないか」と指摘。続いて、作品が「作品」だけにとどまらないようにしているカゲヤマに「円盤に乗る場」をどんな場として考えられているのかと尋ねた。

カゲヤマは、「寺山が、これは“寺山の世界だ”とやるように作家性を背負ってやれる感じが自分にはありません。自分ひとりで演劇を背負うのは重いと考えているんです」と語る。

「かつては作家に対する神話や幻想が強くあったが、現代ではそれが弱くなっているのではないか。“これが僕の作品だ”と提示するより、この場をみんなにとっていかにいい場にするかに比重を置きがちなのだと思います」(カゲヤマ)。

◼️「作品」とプロセスで得た「営み」のどちらにも価値がある

ここで、武田からYAUメンバーの深井厚志に、アートプロジェクトと演劇プロジェクトの共通点や違いについて質問が投げかけられた。

深井は、「さきほど“作品”という単位についての話題がありましたが、アートプロジェクトでは、個人制作から集団制作への変化、または完成形だけでなく制作プロセスに美術の面白さを見出す視点のなかで、自分たちの活動を”作品”という括りとして捉えていいのかどうかという議論も生まれています」と解説。

そこでYAUでは、「作品」と、表に出ない「営み」のどちらにも価値が見出す方法はないかと探っているという。例えば、人が集まる場所=美術館やギャラリーで見せることを「ハレ」とするならば、「ケ」の場所を作るのがYAUの役割なのかもしれないと考えている。

それを受けて、YAUでレジデンス中でもある「チーム チープロ」の西本は「従来の美術館や劇場の外に出る、あるいは近代的制度と違うことをするのは魅力的なこと。そういう点でもYAUは面白い場所」だと語った。劇場という場所は、武田が語る通り、限界を抱えているとも言える。しかし西本は「劇場は、フィクションを観客と共有するには非常によくできた装置でもある」と別の見方を示す。

「深井さんの言う“ケ”で考えてきたことのプロセスを、フィクションを交えながらもう一度立ち上げて観客と共有する場所としての可能性があり、その機能としてやはり使いやすくできている。“ケ”のなかに豊かな時間があることは間違いないですが、ただ開けば共有できるわけではないし、たまにしかそこに行けなかったりする。いろんな反応をしたり考えたりしたことを、フィクションの力を借りて圧縮したり引き伸ばしたり、言い方を変えたりして、観客と共有したうえで一緒に面白いものを見ることができる場が劇場ではないかと思います」(西本)

最後に、西本からカゲヤマに「『円盤に乗る場』という“場”をやりながら、やはり“派”として上演するという形式を採用するのはなぜですか? 」と問うた。

カゲヤマは、近代的な「作品」をただ見せていくという現行の制度に限界があるという問題意識を抱えながらやっていると語る。それに対してどう振る舞うのか、自分の能力や興味、あるいは社会的な意味や活動の効果にとっても、やはり「劇場」という制度のなかで、上演作品を発表することを完全に手放したいとは思えないというのだ。

「これは自分の闘い方なんですが、形を保ちつつ、その本質的な実態がまた違うものなのだと示すことに意味があるのはないか。提示の仕方を変えることで、従来の価値観を変えることに興味があるんですね。見た目は同じようでも本質が違うものをつくる、あるいはずらすことが批評性を持つと思っています。これは演劇に限らず、普段の生活のなかでもある気がします」(カゲヤマ)。

こうした考えに西本は「批評的に出会わなければならないものともっとも接近しながら微妙に違うものをつくる」という言葉で共感を示した。惜しくもここで時間切れとなったが、閉会後も話は尽きないようだった。

小劇場ブームを鑑賞者として体験し、現在はアートプロジェクトを取材する筆者は、深井と同様に「劇場」を「美術館」と置き換えながら聞いた。街へ出て行った表現者たちが、その経験を携えて再び、劇場や美術館、ギャラリーあるいはオルタナティブなスペースに帰ってくる。また、その間を行き来する表現者も現れている。

YAUという場所を「劇場」や「美術館」とまったく違う別の場所とするのではなく、「劇場」および「美術館」が得意とする役割を少しずらしながら再度インストールすることで、何か新しい演劇・アートプロジェクトが生まれる、そんなヒントや予感が感じられた。




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