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社会とアートをつなぐ「中間人材」の創造性──YAU SALON vol.8「アートの仕事に必要とされる人物像とは」レポート

2023年2月15日、都市とアートをめぐるトークシリーズ「YAU SALON」の第8回が開催された。

今回のテーマは「アートの仕事に必要とされる人物像とは」。アートの世界にはアーティストだけではなく、アートマネージャー、アートプロデューサー、メディエーターなど、さまざまな肩書を背負って働く人々がいる。YAUでは、このようなアートと社会を結ぶために働く人々をアートにおける中間人材と定義し、中間人材の育成を活動の柱のひとつとして掲げている。

アートの現場に求められるのはどのような人物か。その仕事をどのように持続し、次世代につなげていくべきか。こうした問題意識のもと、ゲストに太下義之(同志社大学経済学部教授)が招かれた。太下は文化政策の研究者であり、YAUの実行委員会の一部である一般社団法人大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり協議会が設立した「アート×エリアマネジメント検討会」の座長も務めている。

また、YAUに関わる多様なプレイヤーが対話に参加し、直近の活動内容を紹介した。最新の実践を踏まえて、アートの仕事の未来が話し合われた。

イベント当日の模様を、アートの書籍も数多く手がけるフリーランス編集者の今野綾花がレポートする。

文=今野綾花(フリーランス編集者)
写真=Tokyo Tender Table

■アートの仕事をとりまく問題と可能性

イベントの前半では、YAUに継続的に関わる参加者たちの活動紹介が行なわれた。アーティスト、アートマネージャー、キュレーターなど、さまざまな視点からアートの仕事、そして中間人材の実情が語られた。

はじめにYAUの取り組みとして、2つのチームが人材育成プログラムの事例を紹介した。

最初に一般社団法人ベンチの武田知也から、パフォーミングアーツに関心のある学生や初学者に向けたYAUの短期プログラム「ファーストライン」や、若手のアートマネージャーを対象として1年にわたり行なわれたメンターシッププログラム「バッテリー」が紹介された。いずれも新しい観点から中間人材の抱える悩みに向きあう育成プログラムだ。

武田知也氏

同様に、YAUでアートの悩みを専門職に相談できる「相談所」を手がけるキュレーターの長谷川新と建築家の森純平からは、3月に開催を控えたプログラム「ブルペン」の構想が語られた。メディエーターやアートマネージャーを招き、人数を限定してアートの実践についてより深く相談や対話ができる企画が予定されている。

左より森純平氏、長谷川新氏

続いてYAUにさまざまな形で関わるゲストから、それぞれの携わるコレクティブや中間人材にまつわる活動の紹介があった。

アーティスト・コレクティブ「Nadegata Instant Party」として活動するアーティストの山城大督は、自身の制作活動において、とりわけプロジェクト型の作品を進める際に、メディエーターと呼ばれる人々が非常に重要な役割を果たしていると指摘。また、京都芸術大学アートプロデュース学科で教える立場から、学生には「作家が描くビジョンに共感できる力」「自分のビジョンに作家を近づける力」「プロジェクトが成立するか自分で判断できる力」を身につけるよう指導していると述べ、同時に初学者が経験を積む機会の少なさを問題点として挙げた。

山城大督氏

その後、アートマネージャーの野田智子(Nadegata Instant Party)、制作やコーディネーターとして活動する藤井さゆり(ベンチ、芸術公社)、YAUのプロジェクトマネージャーでもある東海林慎太郎、キュレーターの難波祐子(東京藝術大学キュレーション教育研究センター特任准教授)、アートプロデューサーの高山健太郎(株式会社artness)、写真家の小山泰介(TOKYO PHOTOGRAPHIC RESEARCH)が順にそれぞれの実践について語った。

野田智子氏
藤井さゆり氏

マイクを握った参加者たちは、それぞれの職能の立場からアートをめぐる困難に向き合い、新たな選択肢となるような多様な試みを行なっていた。なかでも異業種で構成されたコレクティブや、人が集まり学ぶ場をつくる取り組みが話題の中心を占めた。

難波祐子氏
高山健太郎氏

■中間人材は「支える」人ではない

活動紹介のなかで中間人材をめぐる共通の課題として挙げられたのは、フリーランスという働き方で仕事を継続していく厳しさだ。アート業界は個人事業主が多く、組織に所属するケースは少ない。ときには何十人もの関係者の間に立つ責任の重い立場でありながら、収入や環境が不安定なまま働き続けるしかなく、同僚や仲間がいないことで孤独を抱えがちであるという。同時に未経験者にとってはキャリアの入口が限られ、スキルを継承する機会が少ないことも指摘された。

さらに、領域によって肩書や業務の内実が大きく異なる現状にも言及があった。たとえば、美術では「アートマネージャー」と呼ばれる職種が、舞台芸術では「制作」と呼ばれるように、肩書も仕事の範囲も分野に応じてガラリと変化する。こうした状況が整理されていないことも、中間人材の立場をより難しいものにしている。

このような論点を踏まえて、前半の最後には、山城と小山という2人のアーティストから、中間人材に求められる人物像について印象深い意見が交わされた。

山城は多くの人と協働してきた自身の経験を踏まえて、誤解されがちな「アーティストがつくり、中間人材が支える」というイメージはふさわしくないと述べた。実際にコレクティブの制作においてはコーディネーターやアートマネージャーのクリエイティビティが発揮されるプロジェクトほどうまくいっているという。その意味でも「メディエーター」という言葉は中間人材を横断的に表しうるものの、「間に立つ」という性質だけが強調されることは望ましくないと懸念を示した。

小山泰介氏

この山城の言葉に、小山も「本当にその通り」とうなずいた。中間人材にもその人ならではの気づきを生み出す力が求められており、アーティストと相互にフィードバックしながらプロジェクトが進むのが健全なあり方だ、と話した。

■アートにおける組織体のあり方

イベント前半の活動紹介を踏まえて、後半ではホストの太下義之からコメントがあり、参加者からもさまざまな応答が展開された。

まず、太下は参加者の話からアートの仕事がフリーランスを前提とした不安定な環境にあることをあらためて感じたと述べ、企業に勤務する会社員との比較によって問題を整理した。

太下義之氏

日本の企業の一般的な特徴には「終身雇用・定年制」「年功型賃金」があり、定年まで安定した地位が約束されている。いっぽうでフリーランスには定年がなく、好きなときに働けるメリットがあるものの、裏を返せば収入が欲しいときに働けないリスクも負っている。

加えて、日本の企業は教育機関の役割も果たしており、OJTを通じて役職や年齢を問わず学び続けることができるが、フリーランスを中心とするアート業界には長期的な教育の場がない。太下はこうしたフリーランスの抱える限界について、現在は個の力で跳ね返すしかないと述べた。

アートにおける会社という組織体の是非にも言及があった。大きな契約のために法人格があると都合のよい場合はあるものの、アート業界において「会社という形が本当によいのかはわからない」と疑問を呈した。

アートと法人の関係について、武田はベンチを事例として実践者の視点から応答した。ベンチの設立から2年ほどが経ち、現在では従業員を雇える程度の余裕も生まれているが、メンバーの共通認識として、単純に事業を拡大することは考えていないという。ベンチでは働く人がなるべくフラットな関係であることを重視しているが、労使関係を前提とする雇用は、そうした理念を損なうおそれがあるからだ。

前半で山城が述べたように、アーティストと中間人材が主従関係にならず、異なる目線を保って関わるほうが、アートのあり方においても組織のあり方においてもより自然であると武田は言う。アートにあった集い方は法人化以外にもあり、YAUはその最たる事例になるのではないかと希望を示した。

当日、モデレーターを務めたYAUメンバーの深井厚志氏

■オフィスの源流に学ぶクリエイティビティ

大航海時代、世界で最初の株式会社である東インド会社が設立された。では、会社が生まれる前の仕事はどのようなものだったのか。「それはアートプロジェクトと同じです」と太下は言う。プロジェクト単位で取引が発生し、投資家、航海士、商人、通訳といった専門家がその都度参加するのが、会社以前からの仕事のあり方だったからだ。

続いて太下は、元オフィスというYAUの特性に着目し、「オフィスって、いつからあると思いますか?」と問いを投げかけた。「会社が業務専用の建物を所有して従業員が働く形態」という定義においてオフィスが生まれたのは1729年だが、仕事をする場としてのオフィスビルの前身はそれ以前からあり、2種類に大別されるという。ひとつの源流は、ビジネスの出資者である貴族や資産家が所有する建物を提供して仕事をさせたこと。そして、もうひとつのオフィスの前身が「コーヒーハウス」だ。

大航海時代の末期、17世紀なかばにイギリスで爆発的に流行したコーヒーハウスは、あらゆる情報が集積するクリエイティブな場だった。人々が集まり、日々活発な議論や情報交換が行われ、新たなビジネスが生み出された。コーヒーハウスで集めた情報によって雑誌や新聞がつくられ、その読者はもっぱら店の客たちであった。文学への影響も大きく、『ロビンソン・クルーソー』や『ガリバー旅行記』のような架空の旅行記が登場した。

コロナ禍でオフィスを解約する企業が続出した事実は、今日のオフィスが定例的な仕事の場でしかなく、コーヒーハウスの創造性を失っていることを示していると太下は指摘する。オフィススペースを舞台とするYAUの原点には、現代のオフィスが失ったクリエイティビティが息づいていると述べた。

コーヒーハウスと創造性の話を受けて、森からは大航海時代のナレッジシェアにまつわる逸話が紹介された。大航海時代の初期にはポルトガルやスペインが先んじて領土を獲得したが、その後両国は没落し、かわりにオランダやイギリスが貿易市場を握ったことが知られている。発展の理由となったのは情報共有だ。オランダやイギリスには組合に入ることで航海日誌をシェアできる仕組みがあり、地図や経験を共有することで貿易の拡大に成功したのだという。このことをヒントとして、YAUでも航海日誌をシェアするように先端的な実験や失敗を含めてナレッジを共有できれば、会社とは異なる新しいユニオンが実現するのではないかと展望を語った。

■YAUと中間人材が目指す未来

最後に、職能に対する社会的な認識の変化についても太下から意見が提示された。

プロデューサー、キュレーター、メディエーターといった肩書は新しい印象だが、たとえば小説家や漫画家にとっての編集者のように、異なる業界では作り手に寄り添う仕事は社会的に確立している。さらに太下は亀倉雄策のデザインがもたらした社会の変化を挙げた。1964年の東京オリンピックで亀倉によるインパクトのあるポスターが日本中に貼り出されたことは、かつて「図案屋さん」と呼ばれ、印刷業者の下請けと認識されていたデザイナーという職能が社会に認知され、地位が大きく向上する契機となった。同様に現在名前がついていない肩書や取り組みについても「あと10年も経てば名前が定着するはず」と期待を寄せた。

これまでの論点を引き受ける形で、東海林と長谷川からYAUの目指すゴールについて議論があった。

東海林慎太郎氏

東海林はYAUの活動体制に関する意識の変化について語った。YAUが二期目を迎えた現在、東海林はチームであることの重要性を強く意識するようになったという。YAUのプロジェクトチームには東海林も含めて5人が参加しており、普段の活動領域や職種、性格も異なる人物が集まっている。YAUの一期と二期の初めには個の力によって押し通すような側面があったというが、チームでひとつのビジョンを目指すときには「個でありすぎてもどこかアンバランスさが出てくる」と東海林は言う。それぞれがさらにクリエイティビティを発揮することで「YAUはもっと面白くなる」と抱負を掲げた。

YAUで「相談所」を運営する長谷川は、「相談所」が悩みを抱える人の選択肢になることを目指すいっぽうで、最終的には「相談所」のメンバーに限らず「誰とでも相談ができる」状態がゴールになると考えているという。同様にプロジェクトにおいて、仮にメディエーターが専門職としてチームに入ったとしても、メディエーションを任せきりにするべきではないと長谷川は戒める。専門職にボールを集めてもよいプロジェクトにはならず、チームのそれぞれが気づいたことを言いあい、支えあっていく姿勢が大切だと語った。

今回のYAU SALONでは、現代美術、舞台芸術、大学教育など、さまざまな領域を担う実践者が集まり、アートの仕事をめぐる問題と可能性をジャンルを超えて洗い出すことができた。最新の事例や知見の共有を踏まえて、中間人材というあり方を社会に位置づけ、個々のクリエイティビティを引き出す試みを継続することが、対話を通じて示された今後の課題といえるだろう。










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