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新しい視点を「発見」「共有」する場としてのYAU——YAU SALON vol.2「アートって世界を変える?」レポート

2022年11月9日、YAU STUDIOにて第2回となる「YAU SALON」が行われた。
登壇者は今田素子、藤原帰一の2名。今田は株式会社メディアジーン代表取締役CEOとして数々のウェブメディアの運営に関わる傍ら、現在は複数のアートの現場に加わっている。藤原は国際政治学の第一人者であると同時に無類の映画通としても知られ、映画にまつわる連載や著作も数多い。

本イベントのテーマは「アートって世界を変える?」だ。藤原によれば、アートは個人の心に訴えかけるばかりでなく、ある空間や地域に影響を与え、社会の価値観を形づくる重要なファクターでもある。アートに触れることでビジネスにも欠かせない「発見」と「共有」の姿勢を知ることができ、大丸有エリアのような人々の働く空間にアートが存在することには大きな意味があると語る。今田もまた、自身の仕事に欠かせないアイデアを生み出すプロセスにおいて、アートとの「受動的な」出会いがいかに作用するかを解説している。

日々の仕事に追われ、狭い領域にとらわれがちな思考をときほぐすために、どのようにアートに向き合うべきか。発想をもたらす感性の磨き方、時間の使い方、空間づくりとはどのようなものか。古今東西の映画の紹介も交えながら、アートが個人や社会にもたらす可能性をめぐって奥深い対話が繰り広げられた。

イベント当日の模様を、アートの書籍も数多く手がけるフリーランス編集者の今野綾花がレポートする。

文=今野綾花(フリーランス編集者)
写真=Tokyo Tender Table

■アメリカ社会における映画の影響力とは

はじめに今田からの導入として、メディアを専門とする立場からアートと自身の仕事の関係をめぐる話があった。

今田は会社代表として月間3000万UU(ユニークユーザー)を誇るウェブメディア12媒体の運営を手がけながら、現在ではYAUの実行委員会であるNPO法人大丸有エリアマネジメント協会が主催するアートアーバニズムカウンシル準備会のアドバイザーを務め、2023年に開催予定の2回目となる東京ビエンナーレにもメディアリエゾンとして関わっている。

なぜメディアの人間でありながらアートの現場に関わるのか。今田には、大学卒業後オークション会社サザビーズが運営する学校でアートの歴史を学んだ経験がある。在学中は絵画や彫刻といったファインアートだけでなく、家具、陶磁器、建築などあらゆる動産として売買される対象の歴史を勉強したという。しかしアートの単純な売買に興味が持てなかった今田は、オークショニストの道に進むことを選ばなかった。卒業後は出版業界に進み、その後オンラインメディアの領域を切り開く先駆者となった。

今田素子氏

メディアの世界に入って以来、ある意味でアートと距離を置いてきた今田だが、このところアートの世界から声がかかることが増えたという。今田はメディアやコミュニケーションの領域を専門とする者として「アートというある種の閉じられた領域を開き、普通の人がアートに触れてなにかを得ることができるようにする」ことが自分に課された役割だと考えていると述べた。

続く藤原の話では、映画をおもな事例として、藤原の思考とアートの深い結びつきが語られた。

長年にわたり国際政治学の第一人者として研究を続けてきた藤原は、東京大学名誉教授を筆頭に数多くの「いかめしい」肩書を持つ。そんな藤原が自己紹介に使う定番のフレーズは「映画を観る合間に国際政治を勉強しています」というものだ。

藤原によれば国際政治とは「政府と政府の間の関係、政治家がなにを考えているのか、どんな情報を集めてどんな決定を行ったのか、それらを懸命に跡づけていく分野」であり、世界中の個々の事件を読み取ってより大きなセオリーを組み立てていく重要な仕事である。ただし「国際政治だけに取り組んでいては見えてこないものがたくさんある」と藤原は語る。たとえばアメリカの政治的変化について、大統領、議会、行政、経済といった部分だけを見ていては「アメリカ人がなにを考えているのか」は絶対に理解できないという。

藤原帰一氏

そこで藤原が思考の縁(よすが)にしてきたのが「アメリカ人がなにを表現してきたか」だ。なかでも映画の表現は大衆に共有された観念から生まれている。藤原は、映画俳優出身のレーガン大統領が西部劇のスターであるジョン・ウェインを丁重に出迎えたエピソードを紹介した。現代のアメリカ社会がジョン・ウェインが演じた西部開拓時代をルーツとするからこそ、アメリカ社会の序列では「大統領よりもジョン・ウェインのほうが偉い」という。それほどまでに映画における表現は社会的な力を持っているのだと述べた。

■アートから「発見」と「共有」を学ぶ

大衆映画は多くの受け手があってこそ成り立つが、他方でコンテンポラリーアートは受け手の数が非常に少ないとみなされている。藤原はコンテンポラリーアートを「お金のある人たち、意味を共有する人たちだけが符牒のように理解できる世界になりかねない」と危惧する。

藤原が生まれた1950年代には、芸術はすでに「行くところまで行きついた後」だった。音楽にはジョン・ケージ、演劇にはサミュエル・ベケット、映画にはジャン=リュック・ゴダールが登場し、表現を極限まで純化して破壊してしまうような前衛的な試みを成し遂げていたからだ。

表現が純化された後の現代、アートの世界はどのようにありうるのか。藤原はアート界やシネフィルがとらわれがちな「表象性=シンボルを一部の人が共有する狭い世界」ではなく、「受け手がいなければ成り立たない」世界であるほうが望ましいと語る。

以上の視点から今日注目すべき表現者として、藤原はふたりのアーティストを挙げた。そのひとりが音楽家の坂本龍一だ。坂本は「音楽にどんな意味があるのかをずっと問い続け、壊してきた人」だと藤原は語る。イエロー・マジック・オーケストラをはじめとしてさまざまな音楽を手がけてきた坂本には、民族音楽を学んだという一面もあり、その活動はつねに聞き手に届けることを意識したものだという。

もうひとりの重要な存在として藤原が挙げたのは、フランスの映画監督アニエス・ヴァルダだ。前衛的な表現で知られるヴァルダの映画のひとつに『落ち穂拾い』(2000)がある。同題のミレーの名画のように、現代社会で「こぼれたものを拾う」人々を追いかけるドキュメンタリーだ。道に落ちた食べ物やごみを拾って暮らす人々に興味を抱き、その行為だけを集めて一本の映画にしたヴァルダ。ヴァルダは「とにかく発見することを楽しんでいる人物」であり、新しいことを発見し、表現し、共有するその姿勢は「映画監督というよりアーティスト」であると藤原は語った。

「発見」、そして「共有」というキーワードが提示されたところで、藤原は話題をYAUの役割へと移した。

アートアーバニズムが取り組むコミュニティ、地域社会づくりという主題は行政の言葉として響きがちである。しかし実際にその場所には人々が住んでおり、さまざまな生活、喜び、悲しみがあり、それを発見し、共有することで生活が成り立っている。だからこそ、「YAUというスペースの意味は、アートを創造し、発見し、表現し、共有する場だと思うんです」と藤原は言う。

アートを共有する場は、美術館、コンサートホール、映画館だけではない。多くの人にとって「朝来て働いて家に帰る」仕事の場である大丸有の空間で、ヴァルダのような好奇心で人の営みを発見し、表現し、共有することができるのではないか。「これまでのアートの場の枠組みを変えていく必要がある」という藤原の提起でイベントの前半は締めくくられた。

■アイデアを生み出すプロセスに必要なものとは

イベント中盤では、アートとアイデア思考の関係、アートを経験する価値、「発見」を生み出す仕事の姿勢といったテーマを中心に、参加者を交えてざっくばらんな対話が行われた。

渋谷を仕事の拠点としている今田には、「大丸有エリアでは自分はよそ者だという気分があった」が、最近では変化を感じているという。街の中にアートがあることで空間の印象が変わり、「懐かしさ、開かれた感覚、受け入れられた感じがする」と語った。これまでアートは美術館に行かないと見られない、つまりあくまで能動的に見にいかないと触れられないものとされていた。だが、街の中にアートがあれば受動的にアートと出会うという体験が生まれる。そこには大きな違いがあるという。

今田はジェームス・W・ヤングの名著『アイデアのつくり方』(1965)を例に、アイデアを生み出す方法とアートの近しさを説明した。ヤングによれば新しいアイデアを生み出すプロセスには、情報を大量にインプットし整理した後、その作業をいったん終えて異なるインプットをする(たとえば映画を観る)必要がある。そしてそれらすべてを忘れたころ、アイデアが形になって生まれてくるというのだ。今田の実践も同書の通りであり、パソコンの前に座っているだけでは出てこない発想を生み出すために、アートとの受動的な出会いは重要な役割を持つと考えている。

また、仕事においてつねに新たなものを生み出すことを求められる今田にとって欠かせないのが散歩の時間だ。「散歩の時間は絶対に必要で、それがないと次に進めない」ルーティンだという。自宅近くの川沿いや商店街をかなりの距離歩き、夜の街に出ることもしばしばで、そうした時間にアイデアが熟成されて出てくるのだという。

藤原も思考が行き詰まったときによく散歩をすると話した。藤原が歩く戸塚の街には坂が多く、登り下りを繰り返すなかでさまざまなものを発見する。年齢も歩く理由も異なる人々、思いがけない脇道、咲くまで存在に気がつかなかった花──。これまで気がつかなかったものを発見する楽しみは散歩ならではだが、アートにはその発見を表現して伝えるという行程がある。伝えること、つまり共有すること自体がアートであると考えるならば、今田もある意味ではアーティストなのではないかと藤原は述べた。

一方で藤原には、己はアートを観る側であってつくる側ではないという意識があり、「受け手である」という意識にときには劣等感を覚えるともいう。「だからこそ、『わかった』という満足感を獲得するためにアートを観ることだけはやめようと思っています。それはただ言葉に置き換えているだけに過ぎませんから」と自身の鑑賞の姿勢について語った。

■言葉にしがたい経験の重要性

これまでの話を踏まえて、司会を務めたYAUの長谷川隆三(株式会社フロントヤード)から「発見」というキーワードをめぐって感想が述べられた。YAUで議論を始めたころ、この場所に集まったメンバーから、発見の源である好奇心について「周囲に好奇心を持っている人が少ない」「多くの人が背広を着た瞬間に好奇心を忘れてしまうのではないか」という問題提起があったという。ものを考え生み出すときには欠かせない「発見」に対して能動的になれる環境づくりは、YAUが取り組むべき課題のひとつだろう。

この感想に続いて会場からは「藤原さんはアートを見て、なにも発見できずに悔しいという経験はありますか」という質問があった。質問者は作品を難しく感じることが多いといい、「映画であれば、いくら考えても解釈しようがない、監督の意図がわからないと感じてしまうんです」と疑問を投げかけた。

藤原は「もちろんあります」と答え、原因のひとつとして受け手のコンディションの問題を挙げた。作品を享受するには受け手のアクティブな頭、目、耳の働きが必要だという。それができないコンディションだと、作品を簡単に言葉で置き換え、頭の中でシャットアウトして、あたかも理解したかのようにふるまってしまいがちだ。対象をフラットに受け入れる落ち着きを持って作品を見ない限り、その作品を経験したことにはならないと述べた。

藤原の父は銀行員で、脇目も振らずに仕事をして生きてきた人物だった。「父はそのために、疑問を持ったり発見したりする機会を自ら塗りつぶしてきてしまった」と藤原は振り返る。「背広を身にまとって丸の内に通うサラリーマンが私の父と同じだとすれば、これは悲しいことです」と話し、普段と異なるものを発見するために、受け手として準備を整え、感受性を研ぎ澄ます必要があると語った。

ある質問者の「忘れられない美しいワンシーンのある映画はありますか」という問いかけから、対話は思わぬ形で広がりを見せた。質問者は、筋書きは忘れてしまっても、ひとつの場面だけを鮮やかに覚えている映画があるといい、「言葉にするのが難しいが、『あの場面は美しかった』という瞬間を求めて映画を観ている。そうした映画があったら教えてほしい」と投げかけた。

藤原は「そうした瞬間が私たちをつくっているんです」と答え、映画『ブレードランナー』(1982)のレプリカント(人造人間)の言葉になぞらえて、忘れられない瞬間の記憶は「いつか私たちが消えたら『雨の中の涙のように』なくなってしまう。けれど、その経験は私たち一人ひとりのものです」と述べた。藤原の心に残るシーンのある映画として、テレンス・マリックの『地獄の逃避行』(1973)、『天国の日々』(1978)、エリア・カザンの『エデンの東』(1955)、レオ・マッケリーの『めぐり逢い』(1957)が挙げられ、それぞれの映画で描かれた「瞬間」の情景が伝えられた。

映画のワンシーンが心に残るのは「名画だから」「有名だから」という理由ではない。藤原によれば、たとえ陳腐な作品であっても「繰り返し目で再生し、耳で再生する」記憶に残る瞬間があるという。また、そうした個人の経験は、他者から見て「くだらない」ものでもいいと藤原は強調する。受け手が経験した意味は評価に左右されないとして、「アートスペースで言うのもなんだけれど、みんなで共有できない『私だけのもの』でいいんです。人に伝えようとすると、風で綿毛が吹き飛ぶようになくなってしまうものだから」と、言葉にすることのできない経験の大切さを語った。

対話の最後には、仕事に取り組むうえで「対象をフラットに受け入れる」姿勢をいかに持ち込むべきかという質問があった。限られた時間での達成が求められるビジネスにおいて「発見」ができるコンディションでいるために、仕事の外に感性を磨く時間をつくるべきか、仕事のプロセスとして時間を組み込むべきかという選択が問われた。

藤原は両方の時間が必要だと答え、「私の場合、段取りを踏んでやろうとするだけではだいたい失敗します」と笑った。「原稿を書く場合も『こうすれば形になる』と考えて書くだけでは文章が痩せてしまう」といい、仕事をするうえで「違う角度で考える」ことの重要性を説明した。アメリカの映画監督ビリー・ワイルダーが映画製作について語った言葉を挙げ、「『よく準備してつくっても、スフレと同じで、ふわっと膨らんだものもあれば、しぼんでしまうものもある。どこが失敗したのかはわからない』と言うんです」と、準備が成功に結びつかない難しさを示した。

また、仕事という目的のためだけにものを考えることは、ある意味で己の人生の大部分を削ってしまうことでもあると藤原は懸念する。藤原であれば大学教員、研究者、夫、父、犬の飼い主といった自身の振れ幅のおかげで思いがけない新たな世界が開けるという。つねにほかの角度から考え、さまざまな側面を引き出すゆとりが必要だと語った。

■アートのある空間がインスピレーションを開く

イベント後半には、今田の提案により会場全体で簡単なアクティビティが行われた。テーマは「自分がアートに触れてインスパイアされた経験」だ。これまでの対話を経てうちとけた雰囲気のなか、アートの定義を問わない形で、参加者の心に残る幅広い「アート」の体験が披露された。

ある参加者はパリのルーヴル美術館で《サモトラケのニケ》の美しさに心を打たれ、何時間もその場で眺めていた経験があるという。失われた頭部を想像して「『この人はなにを見ていたんだろう』といまでもずっと考えている」と述べた。

「長い人生の中で印象に残ったもの」として、ある参加者はスタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』(1968)を挙げ、「はるか昔、上京したばかりのころにテアトル銀座の大画面で観ました。CGのない時代に表現された、冒頭の画面の奥から太陽が昇る映像の壮大さに感動しました」と話した。オディロン・ルドンの絵にもこの世ならざる美しさを感じるといい、「同じ花を見ても、ルドンのように見た人はほかにいないと思う」として、画家独自の視点が表現にあらわれていると語った。

大手町に勤めている参加者は、アートから気づきを得る体験に通じるものとして、普段からビジネス街を歩きながら多くの発見を楽しんでいることに触れた。発見のひとつとして大手町の一画に残る平将門の首塚を挙げ、「現代のビジネス街に千年前の伝説が生きていると感じられる」と話し、土地や空間の文脈を再発見することの重要性が語られた。

イギリスに滞在した経験のある参加者は、日本が恋しい日々のなかで、気持ちを切り替えるために週に一回ほどテート・ブリテンに通っていたという。自宅からバスで川沿いを移動し、テート・ブリテンのウィリアム・ターナーの絵が並ぶ一室で過ごし、徒歩で帰宅することが習慣になっていた。「家を出てテート・ブリテンに行き、歩いて帰るという道筋までがワンセットになって気持ちをリセットできていた」と振り返る。かつてアートと無縁の職種で働いていたという男性は、こうした経験をきっかけに文化政策の仕事に進んだと話した。

全員のエピソードを頷きながら聴いていた藤原は、ひとつひとつの事例に触れながら、個々の参加者がインスピレーションを受けたこと自体が重要であり、他者が評価することではないと総括した。「人によってはアートらしいものとの出会いかもしれないし、芸術という枠に入らないものへの感動や、空間の持つ意味の発見かもしれない。でも、その人にとっては『それがなければ自分はいない』という経験であり、気持ちを落ち着かせるポイントになっていると思うんです」。そして、「人々がそうした経験ができる空間があるかどうかで街は変わります」と述べ、あらためてアートを経験できる空間の重要性を強調した。

「ある空間に飾られることでアートが伝えてくる独特の意味がある」と藤原は語る。人々が大丸有エリアという空間でアートに触れることで、個人のインスピレーションが開け、人生を通じてよりどころとなる体験が生まれることへの期待が示され、場が締めくくられた。

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