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知ってほしい、鉄のアートを追求する母里聖徳さんのこと

こんにちは、アーツトンネルのタカキです。今回は12月9日(土)から開催する展覧会「鉄を生ける」の出展アーティスト母里聖徳(ぼり きよのり)さんについて書いていきます。

母里さんは僕が知る限りもっともエネルギッシュな66歳のアーティストです。


タカキが考える母里聖徳さんのこと

「北九州のスクラップ工場を歩いていたら、すごい発見をしたんよ!」

母里さんがそう言った時、僕は、こんなにも目を輝かせている60歳以上の大人を久しぶりに見て、嬉しくなりました。こんな人に会うと歳を取るのも悪いことじゃないなと思えます。

さて、そう言った後、母里さんが車の中から大事そうに持ってきたのは、裂けて歪んだ大きなネジでした。

スクラップヤードに落ちていたそう

「これ、すごいやろ!」と母里さん。確かに、僕はこんな鉄を初めて見ました。

「鉄には3500年の歴史がある」と母里さんは言います。人類は鉄を加工する技術を高めることで、道具や農具を作り、進化してきました。

鉄は、鹿を射るための矢じりになり、イノシシを捌く時のナイフになり、そして、魚を釣るための釣り針になり、田を耕すための鍬になりました。

さらに、敵と戦うための剣になり、敵から身を守るための鎧になり、戦略的に人を殺傷するための火縄銃や大砲になり、戦争に勝利するための飛行機や船になりました。

人は鉄を使って進化しました。

鉄を熱し、引き伸ばし、叩き、曲げ、設計されたとおりに加工することで、様々なものを作り、生産性を上げてきたのです。

鉄のアーティストは、その「鉄」の存在に「問い」を立てます。

母里さんの作品

「人間にとって、鉄とは一体なんなのだろうか?」

母里さんは、その「問い」に対する答えを、作品で表現しています。

鉄の存在と、人間の存在を重ね合わせ、そこに「美」を感じ取る。母里さんの話を聞くと、母里さんは凄いことを表現しようとしていらっしゃるなといつも感じます。

誰かに旅行記を書いてもらわないと・・・

僕は、母里さんとお話をすると「母里さんの凄さって、一体誰に伝わるのだろうか?」といつも思います。

自身のアートを追求するあまり、古代まで時代を遡り、そこから自身の軌跡を辿ることで人類の「歴史」や日本人特有の「美」に向き合い、それらを鉄のアートとして表現する。

それは、まさに人生をかけた表現(アート)です。

それは旅だとも思います。

人生をかけた表現(アート)の旅。

しかし、その旅の凄さは、その旅を一緒に旅する人以外には、なかなか伝わりません。

旅行記でもあれば、他の人にも伝わるかもしれませんが、執筆はおろか、その旅行記の企画書すら、まだ誰も作っていないのです。

だから、少しずつその旅行記の企画書のようなものを作っていきたいなと僕は思っています。

エネルギーに圧倒されるので注意!

そこでまず、みなさんに知ってほしいことがあります。それは母里さんのことです。

母里さんは40年以上のキャリアを持つ鉄のアーティストで、優しくていい人。決して悪い人ではありません。

母里さんの作品

なぜ、こんな前置きを書く必要があるのか?

それは、母里さん本人とお話をすると、そのエネルギーに圧倒されてしまうからです。

制作する母里聖徳さん

母里さんは、人を圧倒したくてお話をしているわけではないのですが、エネルギーが大きすぎて、話す人はついつい圧倒されてしまいます。だから、この前置きを、これを読んでいる方にお伝えしたいのです。

身近にいる凄いアーティスト、僕は母里さんのことをそのように認識しています。

そして、母里さんの凄さは、作品を観ればわかるはずです。

この鉄(作品)から戦争の道具は生まれない

悲しいことに、2023年11月29日現在、世界では大きな戦争が2つも起こっています。鉄で作られた武器で多くの人が亡くなってしまいました。

「便利に生活するため」「生産性を上げるため」

人は鉄を自在に操れるようになってしまった挙げ句、人を殺す兵器を作ってしまったのです。

一方で、母里さんの作品は「ゆがみ」や「ひずみ」を持ち、潰れて役に立たない鉄(作品)です。

母里さんの作品

その鉄(作品)から戦争の道具は生まれません。

12月9日(日)から始まる「鉄を生ける」母里聖徳展では、母里さんが北九州の鉄工場やスクラップヤードで集めた鉄くずを、いけばなの「見立て」によって、新たな視点を与えます。


母里さんの作品

「見立て」とは、花や草を山の自然に「見立てる」こと。庭であれば、白い砂で海を「見立て」、石で島や山を「見立てる」のだそうです。

「田川は凄いところなんよ」

母里さんはこうも話します。筑豊地域、特に遠賀川流域から玄界灘にかけては、日本の歴史にとって、とても重要な地域だったそうです。

それは、この地域が特に「豊か」だったことから、そう言えるのだと、母里さんは言います。筑豊が山に囲まれ、川が流れ、自然豊かな地域だったこと。

「豊かさ」は、奪い合うことではなく、分かち合うことに「美」を見出した「和の心」の根源であり、「和をもって貴しと為す」という言葉は「豊か」だったからこそ養われた日本特有の美意識であり、価値観なのだそうです。

その「和」の美しさを「和美」(わび)を味わってほしいと母里さんは仰っていました。

展覧会は2024年1月14日(日)まで、是非お出かけください!


フライアー表


フライアー裏

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