アート作品の全てに動機と必然があり、作者の気持ちがよく表れている
アート類、美術作品が難解であったり、わけがわからなく感じたとしても、自分と違う世界観や価値観との距離感にすぎません。それで正常です。初めて会った人と、すぐには波長が合わないようなものです。
美術と親しもうとしても、自分の感覚に一致する作品は存在しません。あくまでも知らない他人の世界です。理解できないからと、深刻に考えることもいらないでしょう。
ただ、人類の芸術には非常に大きい枠組みとして、決まった心のはたらきで作られている共通点があります。それすら「何でもいい」と霧散させると、立つ基盤が失われてしまいますから。
次回からしばらくは、「人類は芸術をこう考えて作ってきた」という著者の「ひとつの見方」を書きます。「見るもの全てが素晴らしい」となるよう、素晴らしそうには見えないゾーンの説明が多くなります。
著者は海外美術展を企画し、国内で作品募集して開催しています。数を売るために制作プロデュースも続けています。すると日欧のアート感覚の差異にぶつかり、その研究も加わってきました。
日本だと「何が描かれているのかわからない」「どういう意味か不明だ」で退けられる絵画が、欧米だとママさんや高校生なども買いにきてくれます。コレクターが狙って、探しているような画風もあります。
日本より海外はよく売れますが、売れる作品のハードルはむしろ高めという実態もあります。買う人が多いから売れるけれど、世界の才人と比較されるから売れにくいという二面性です。
欧州の人が作品を見る目は、概して世界美術史の延長にあり、芸術の本質的な価値観に沿っています。その本質的な価値観とは何かを、話の原点としてまず述べてみます。
あくまでも著者の体験を通した現実なので、うーんそうなのかなあと、やや遠いものに感じられる部分もあるのではと想像しています。
(Photo by Martin Péchy on Unsplash)
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