Sleigh Bells Ring

ー鈴の音が聞こえる?(聞こえたら笑えよ、おい笑えよ、ハッピーだろクリスマスなんだから)って話ー

メリークリスマス!!!!!!!!

今日はクリスマスに文句を言いに来ました。


クリスマスですね。
私は冬はすごく好きです。
クリスマスも結構好きです。
意味もなくハッピーになるし。
冷たい空気を吸うと意味もなく洗いざらしのような涼しい良い気分になるし。
イルミネーション綺麗だし、好きです。クリスマス。

好きだったんです。クリスマス。


この話の結論:
『〈理由なきハッピー〉が流行る理由を考えなくちゃ!』ということ。



〇事案1

2年ほど前アメリカに留学してた時、
ユダヤ人の男の子が「クリスマスって嫌いだな」って言ったので
「どうして?皆ハッピーだしいいじゃない」って返したことがあります。


男の子「うーん、君たちでハッピーなのは構わないけど、押し付けないでって思うんだよな」
わたし「押し付けないで?とは」
男の子「僕はクリスマスツリーを見て自動的に笑顔にはならないわけ。宗教違うし。」
わたし「まあそりゃ人それぞれだよね」
男の子「そんな僕を見て『しかめっ面すんなよ!クリスマスだろ(笑)』みたいな空気」
わたし「ああ成程…。」
男の子「クリスマスでハッピーにならないと、『ノリ悪い』って言われちゃう感じ?」
わたし「(ジャパニーズ忘年会のノリじゃん…)」

男の子「それって押し付けだよなー」
わたし「『クリスマスを祝う』って概念が無い人に『ツリー見て皆と笑顔になれ』なんて言っちゃ駄目ってこと?」
男の子「うーん…それもそうだし、『エッ?なんでハッピーじゃないの?可哀想』みたいなノリもやめてほしい」
わたし「ああ成程、可哀想がられる筋合いはないと」
男の子「僕、別にクリスマス祝ってないだけで、惨めな男じゃないしな。ていうか別の日を祝ってるしさ。」
わたし「そうだよね。」
男の子「『あのクリスマスすら楽しめないなんて!!!年がら年中不幸せなんだ!!!!可哀想!!!!』みたいな。そんなことないし。」
わたし「(ジャパニーズクソ上司『お前酒も女も嗜まずに何を楽しみに生きてるんだ!?』のノリじゃん…)」

わたし「デフォルトで『クリスマスは皆ハッピー』ってなってるから、『ハッピーじゃない奴』が例外になっちゃうんだね~」
男の子「そうなのよ。『自分と違う価値観』を勝手に例外(マイノリティ)と決めつけるなんて傲慢だと思わない?」
わたし「そうだね…。『普通皆楽しいでしょ??』っていう同調圧力を感じるなあ」
男の子「『だってハッピーだもん♪』って言えばなんでも許されると思ってる感じがいやだ。」
わたし「(ジャパニーズ新年会のノリじゃん…)」


男の子「あと、『メリークリスマス!』ってさ、道行く人に笑顔で声かけてまわる奴、毎年いるんだよな」
わたし「あっ、ハッピーを振りまいてるんだ。微笑ましいね」
男の子「そりゃ、近所が全員キリスト教って分かってやってるならいいけどさ。」
男の子「でも僕は別の宗教なわけ。ユダヤ教ではこの時期は『ハッピーハヌカ』っての」
わたし「ああ成程。微笑ましいようでいて、人によっては価値観の押しつけなのか。」
男の子「そうだよ。勝手に『白人だからキリスト教だろ?メリクリ』ってされるの嫌い。」
わたし「確かに、話しかけてる人の宗教も知らないのに勝手に予想してそう言うこと言っちゃダメだよね。」
男の子「『お前も祝うだろ?クリスマス!』みたいなさ」
わたし「(ジャパニーズクソ同僚「お前も来るだろ?二次会!」のノリじゃん…)」

男の子「だからどんな人にも通じるように『ハッピーホリデイズ!』って言葉があるんだよな」
わたし「因みに『ハッピーホリデイズ』はハッピーの押しつけじゃないの?」
男の子「あれはどっちかっていうと『お前の休暇がハッピーだといいな』って感じの挨拶。どんな宗教でも、宗教入ってなくても皆に使えるよ。」
わたし「そうか…『普通皆クリスマス祝うでしょ』みたいな価値観を押し付けない方法は一応あるんだね~」
男の子「そうそう。『メリークリスマス』と似たようなただの挨拶だけど、宗教を相手に押し付けずに使えるってこと。挨拶されてハッピーになるかどうかも個人の自由だしね。」
わたし「無難にいいとこどりって感じだね。良く知らない相手にはそれを使って、自分の価値観を押し付けないのが礼儀ってことか」
男の子「うん。でもこんな挨拶があるのに使わない奴が多いんだ。」
わたし「えー」
男の子「『普通皆クリスマス祝うでしょ』って決めつけて、疑ったことないからだと思う」
わたし「価値観押し付けてる自覚もないってことかー」
男の子「そういう奴にいちいち説明するのも面倒だしね。クリスマスやっぱ嫌いだよ」

(↑2時間超に及んだ会話を要約するとこうです。↑)




〇事案2

時は経って現在2019年 年の瀬。
11月にディズニーに行ったんですけど、
そこで彼の「クリスマスの嫌なところ」に出会ってしまいました。


鳴りやまぬクリスマスソング


いやクリスマスソング自体嫌いとは言いません。いいんじゃない、宗教的な意味合いも強いしそれ自体をどうこう言うつもりはない。良い曲多いし、どちらかと言えば曲の存在自体は好きな方です。Winter Wonderlandとかもう実質クリスマスソングになってるけど、可愛いじゃない。好き。

問題は使われ方でした。

道歩いてるだけで陽気なクリスマス・ジングルが次々と流れてくるんですね。今時期のディズニー。

11月だよ。

ハロウィン終わったらすぐにツリーが出るし。すごい陽気にクリスマスソング流しまくるじゃない。
ゆうに丸一ヶ月以上。
11月が可哀想だろ!!と思ってしまうほどのすごいクリスマス推し。

『クリスマスによってハッピーが高まる効果』狙ってるんだなって思いました。クリスマスソングが流れてることによって「ワァイクリスマス!」ってなってほしいわけでしょ。
で思っちゃったんです、「クリスマスに頼りすぎじゃね」と。

ディズニー「ハッピーでしょ!?理由はクリスマスだから!!!ね!!ハハッ(高音)!!!!」

みたいな。
理由のないハッピー。
押し売りのハッピー。

パブロフの犬みたいに「クリスマスソングをぶら下げられると涎垂らして喜ぶ」の期待されてる感じ、とでも言えば良いんだろうか。
なんかこう、もっと、フリスビーとか投げて遊んでハッピーを1から創り出してほしかったんですよね。天下のディズニーさん、その辺のプロだろうにって思っちゃった。

「皆をハッピーにするテーマパーク」で陽気なクリスマスソング30本ノックとかやられると、なんていうか
『オラッ!!クリスマスだぞ!!クリスマスはハッピーだろ!!ハッピーって言え!!!!オラッ!!!』ってなんか
クリスマスソングでビンタされてる気持ちになる。

クリスマスソング流すだけで自動的にニコニコしちゃうの、よしんばニコニコしちゃったとしてそれディズニーの手柄じゃなくない?
『だってクリスマス楽しいでしょ?』っていう前提に頼ってるじゃん。
なんで楽しいのかも、よく考えたら謎だし。

お前らそれで金稼いでるんだからクリスマスに寄り掛かって楽しないで!他にもいろんな宗教の人がいるのよ!
クリスマスだけに頼って自動ハッピーをばら蒔く感じ、多様性に反してるぞ!
クリスマスじゃなくても楽しい12月を作ろうよ!
「クリスマス楽しい」と「別にクリスマスじゃなくても楽しい」を両方包んでこそ多様性じゃないか。クリスマスソングがあってもいいけれども、それだけを唯一の選択肢にすべきじゃないのでは?「メリークリスマス」を言ってもいいけれども、「ハッピーホリデイズ」を忘れてはいけないのでは?
まして当時、11月だし。

なんだろうこの、クリスマスを押し付けられてる感は。


でもこれ割とどこにでも有りますよね。。。

クリスマスってのは「誰にとってもハッピーなものである」っていう常識。
そういう、予定調和じみた期待がどこにでもある。
まあ営業戦略ですよね。それこそパブロフの犬的な。
『バレンタインは恋人にチョコ!!!!!!!!!チョコ買え!!!』と一緒ですね。

『クリスマスはリア充ハッピーーーー!!!!!!プレゼント買え!』

「理由なきハッピー」ってきっと本当は素敵です。ハッピーなんだし。
でも人に押し付けた瞬間に素敵じゃなくなっちゃうんでしょうね…。


クリスマスisハッピーっていうのには、文化とか宗教とか、あと商業とかコカ・コーラとか
色んな背景が伴ってると思うんですけど。
そういう「理由はないけど兎に角こう」っていう営業戦略っぽい事案って結構ありますよね。
日本だと特に、宗教よりも同調が社会を形成しているところがあるので、それぞれの通念に対して『なんで???』って言われると実は弱いような気がします。

なんで

クリスマスisハッピー
二重is可愛い
30代is歳を取っているis悪いこと
足長いis美しい
足短いis醜い
英語isかっこいい
結婚is理想
デブis醜い

なの???

これ全部、『なんで????』って自分なりに考えてみるの大切かも知れないなーって
ディズニーで思いました。


なんでクリスマスはハッピーなんだろう。なんで私クリスマスソング聞いただけでアガってるんだ?
誰が二重は可愛いって決めたんだ?どうしてデブは醜いんだ?
なんで結婚しないと可哀想なんだろう。どうして老いた姿よりも若い姿の方がいいんだ?


押し付けてないか?自分に。

「勝負デートなんだからアイプチはしなきゃでしょ」「ムダ毛は無い方がいいに決まってる」


それ誰に言われたの?どこで習ったんだ?
それは本当にあなたの価値観か?クリスマスはハッピーか?
一重ってそんなに絶望的か?
っていうか一重に憧れる二重の子見たことあるか?
だって、いてもいいじゃないそういう人。
価値観は人それぞれでしょ?
じゃあなんで見たことないんだ?
皆が皆100%、二重の方が可愛いで同意なのか?
それちょっと怖くないか?
押し付けられてないか?社会から。

アレッ
全然人それぞれじゃなくないか!??


同調圧力が、同調圧力の英才教育が、
個人の価値観にまで浸透してないか
????


それをとりもなおさず次世代に受け継いでいいのか
考え直さなくていいのか
って思う。


もしかして、昔の価値観そのまま受け継いじゃ駄目じゃない????
『なんで????』って聞かなきゃ駄目じゃない???


理由の分からないハッピーの押し売り。
「だってクリスマスはハッピーだもん」に頼っている。
なんでクリスマスはハッピーなの?

謎の笑いの押し売り。
「だってハゲデブブスは面白いもん」に頼っている。
なんでハゲデブブスは面白いの?

形骸化した美の押し売り。
「だって二重は可愛いもん」に頼っている。
なんで二重は可愛いの?


クリスマスソング流すだけで自動的にニコニコしちゃうの、よしんばニコニコしちゃったとしてそれディズニーの手柄じゃなくない?『クリスマスハッピー』っていう前提に寄り掛かってるだけじゃん

ハゲデブブス見ただけで自動的に笑っちゃうの、よしんば笑っちゃったとしてそれその芸人の手柄じゃなくない?『デブオモロイ』っていう前提に寄り掛かってるだけじゃん

一重ってだけでアイプチがマストになっちゃうの、よしんば買っちゃったとしてそれ...は化粧品業界の手柄...ですね。『一重はかわいくない』という前提を業界ぐるみで世に蔓延させてるわけだ。ズルいじゃん。



理由なきハッピーはまあ、ハッピーだから自分で満喫すればいいんだろうけど。
それを他の誰かに押し付けたら怖いことが起きる。(押し付けるのと分かち合うのは違うけどね!)

価値観の押し付けは
価値観の再生産に繋がるなーーと思った。
そしてそれって誰かにとってはすごく意地悪なのかもしれない。

もしかしたら自分にとっても意地悪かも。
もしかしたら、誰かの受け売りの価値観を自分に押し付けてきたかも。


太った美しさとか、歳を取った美しさとか、脚の短い華麗さとか、一重特有の美とか、
もしかしたら「それも可愛い!」って楽しめたかもしれないのに。
なんにも考えずに『だってデブだもん、醜いし面白いでしょ』っていう理由なき価値観を受け入れたばっかりに、その機会を失ってきたかもしれない。

そしてその理由なき価値観は
あの「面白くて笑ってるんだからいいじゃん」っていう皆の『ハッピー』に、ちょっと許され過ぎてきたかもしれない。




世の中なんでも、一度は『なんで????』って思ってみよう、って思う。


Sleigh bells ring, are you listening?
Are you happy because of the sound?




ハッピーホリデイズ、皆さん。
byさつき

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