フェミニストからフェミニストへのラブレター


我々は本当にあのAIの女キャラについて何か言わなきゃいけないのか


フェミニズムに言及することを想定したアカウントでも、全ての明らかなミソジニーと闘うってのは余りにも疲れる。それを自らへのある種の責任として課したとしてもだ。

例えばちょっと前に
宇崎ちゃんのおっぱいがエロ漫画的コードを含有するから赤十字とコラボするのは不適格じゃん(要約)みたいな話になった時も

「女さん、ラノベの表紙とかには何も言わないくせにwwww一貫性ねえなあ」みたいなことは言われてしまうわけだ。

言わせてもらえば、「いや貴様が聞いてなかっただけでは?先人は言ってたぞ」だし
「いや私が全て親切に論を構成して貴様に説明してやる義理はどこに?」である。

正直、通っていた中学校の図書館に『俺妹』(挿絵が際どかったのを覚えている)が置かれたその日から私は割と「何かを思い続けてきた」。
それをようやく言語化できたときに、物語の始まりから目の当たりにすることが叶ったのが宇崎ちゃんの一件だっただけだ。そういう人間は多いと思う。


声に出すのは疲れる。
それでも声に出そうと思うには、「変えられるかも」っていう希望とエネルギーが十分にないといけない。


私はフェミニストを自称するけれども、それは例えば症状が頭痛の埃アレルギーみたいなものである。くしゃみじゃなくて頭痛の自己申告なのでウザがられている。頭痛は本当にしてるんだけど。

今私を苦しめる埃が皆にとっても新しいものであれば、憤って声を上げるエネルギーにも甲斐があるのだ。
もしかしたら、 もしかしたらその元凶の埃っぽい魔窟のドアがしまってくれるかもしれない。こびりついた埃を削ぎ落とすのは大変だけど、積もりたての時に言えば唐突さは薄いだろうし、一緒に掃除しようって説得出来る人がいるかもしれない。

新しい話題に飛びつきがちに見えるのはそういう理由があるからだ。

毒が毒だと気付いた時に、その毒の発生源と闘おうとするのって割と体力がいる。そもそも毒で削られた体力なのですべてに対して立ち上がることは本当に辛い。
フェミニストって元来皆疲れていて、「変えられるかも」を感じた時のためになけなしのエネルギーを溜め込む、酷い頭痛持ちばかりなのだ。


ミソジニーと闘うことは別に趣味ではない。


確かに私は埃っぽい部屋でない部屋に生きることを望んでいる。その方が深呼吸が美味しい。それだけじゃない。料理だってネットサーフィンだっておしゃべりだって、呼吸に関係のないこと全てが呼吸の質によってよりよくなるし、より悪くなる。だから綺麗にしなきゃって思う。それに埃アレルギーでなくたって、皆にとって空気が綺麗なのは良いことの筈じゃないかと思う。

埃アレルギーの友達がいっぱいいる。埃が痛くて目が開けられない大切な人がいる。汚い空気しか知らないで肺を悪くしてるのに、自分のこと健康と思い込んでる怖い人々がそれでも大事で、未来の自分が大切で、ちょっとでも綺麗にしなくちゃと思う私は、さしずめ安物の歩く空気清浄機ってとこだ。

だから私は埃っぽい部屋の中では換気を繰り返し、ぞうきんを絞り、あくせく働いて埃を取り去ろうとする。それがどんなに不毛でも、息が苦しいのが嫌だからどうしてもやめられない。確かに私は掃除に全力で勤しんでいるのだ。あんまり上手くいかない安物のフィルターが詰まって、いつも本調子じゃないまま、(本調子だってそんなに強くはないけれど、)花粉を検知したプラズマクラスターみたいにしょっちゅうガーガー唸ってる。いつでも埃まみれだからだ。皆うるさいって思ってるに違いない。

でも別にこれは趣味ではない。

こうしないと生きていけないのだ。迎合によって己を殺してただ日々を過ごすために生きるのも、試したことはあるけど鬱になっただけだった。抜毛症になっただけだった。

抜毛症で髪の毛自分で抜いちゃうのは別に趣味じゃない。
父さんにも母さんにも「自分で異常だと思わないの?見てごらんこんなに髪の毛が落ちてるよ」って怒られたけど

違う。

私を怒って何になる。
抜毛症は趣味じゃない。
別に原因があって、それに対する悲痛な反応として抜毛という症状がある。


だから髪を抜かないで、その原因に対して怒ることにした。
(実際はそんな単純な話じゃなかったけど)
そしたら
「なんでそんなに怒るの」「ヒスだ」「前は怒ってなかったのに一貫性がないねw」

だれも原因は責めてくれないのに、原因に対する私の症状に対してばかり、私の苦しむ表情にばかり怪訝な顔をして。

「どうしてそんなに苦しい顔するの?皆楽しんでるのに空気読めよ」って
苦しい顔するのは苦しいからです。責めるなら私のアレルゲンを責めてくれ私じゃなくて。


まあ怒る人をせめる風潮は日本の調和を重んじる文化と密接にかかわってて
声を上げた時点で若干「ルールを守らないわがまま奴」みたいなところがあるのがちょっと悪いのだけれど。


調和の部分が埃臭過ぎるんじゃないですか?って思うのよね

怒るのにだってエネルギーがいる。声を上げた時点で寧ろ労られたいくらいなのに、我々<ヒステリー持ちの我儘クソ女>たちはあんまりにも批判されすぎて疲弊していて
時には、次なる埃の塊にうんざりして自分を閉じたくなることだってある。


自分を休ませてあげなくちゃと思う。


私にとっては高輪ゲートウェイのAIがもう巨大な埃の塊すぎてうんざり案件だ

あんな誰がどこからどう見てもデッカイミソジニーの権現みたいなものに対峙してまでも「皆さんこれはゴミですよ」って丁寧に説明しなきゃいけない現代なのか。あんなの見ればわかるだろ。いちから説明してやらなきゃいけないのか。私も掃除に加わらなきゃいけないのか。皆が少し掃いてくれたら終わりそうな案件なのに、腰上げる人数が少ないに飽き足らず、邪魔する奴までいるのか。

アレルギー持ちだから掃除の必要性に気付くけど
アレルギー持ちだから、掃除に参加すると本当に酷いコスパで体力が削れて行くのよね。


「アレルギーなら綺麗にするのは諦めて勝手にどっか行けばいいじゃない」ではないのだ。
どこにも行けない同士がいっぱいいるから。
どこに行ったって完全にきれいな空気が存在するわけじゃないから。
きれいな空気のために家族を捨てるなんて決断、強いられるべきではないと思うから。

日本の空気がきれいだといいと思います。
その為に頑張って雑巾絞って汗だくの色んな人をTwitterとかで見る。一緒に頑張れなくてごめんなさいと思う。あんな誰が見ても汚いレベルのゴミだと、コミットして如何にゴミかなんて説明してたら私はきっと今は倒れてしまう。少し休んで出直します。


皆さんも時には休んで自分をかわいがることを忘れないで
だって埃臭いのに気がついたのは、自分自身それが嫌だったからなのだから。
この闘いは趣味じゃないんだから。
少し掃除以外のこともして休もう。次はもっときれいな場所で休めることを祈って。


byさつき


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