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第3回勉強会【公共文化施設は必要か?】

2021年6月にスタートした、文化芸術振興自治体議員連盟(略アーツ議連)、初のハイブリッド開催で勉強会を実施しました。

地域に根ざした文化ホールの仕掛け人・衛紀生さんをゲストに、「公共文化施設は必要か」と題して2時間学びました。
Q.公共文化施設は必要か?
Q.文化芸術は票にならない!?
Q.文化芸術は「不要不急」?
答えはNoで、文化は愛好者のためのものではなく、生きづらさを感じる人のシェルターであり、地域課題に横串を刺す社会包摂だから。

これから取り組む真髄を教えていただいたので、ぜひお読みください!
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アーツ議連(文化芸術振興自治体議員連盟)第3回勉強会
2022年3月31日 会場:文京シビックホール区民会議室(ハイブリッド開催)

<テーマ>
公共文化施設は必要か?
〜可児市文化創造センターala(アーラ)の事例から考える公共文化施設への市民の愛着〜

<ゲスト>
衛 紀生氏(alaシニアアドバイザー)
坂崎 裕二氏(ala事業制作課長)

<概要>
今回の勉強会では、公共文化施設は必要か?という少し挑戦的なテーマを掲げて、公的な文化政策の必要性について学びを深めました。岐阜県の可児市文化創造センターalaのシニアアドバイザーを務める衛 紀生氏と、衛氏の就任前からalaの職員をしていたala事業制作課長の坂崎氏をゲストに招き、公共文化施設の本来の役割や、alaの取り組みなどについてお話しいただきました。

<part1:衛 紀生氏による講演>

首都圏では劇場はすぐに満席になる。
だからこそ、マーケティングが発達しない(育たない)。
首都圏の大きな劇場は単に興行の場。
そして地方公共団体の劇場やホールは、単に東京のコンテンツの「蛇口」としての機能しか果たせていない。


マーケティングというのは、ものが売れる状況(環境)を生み出すこと。
セリング(Selling)ではない。日本ではマーケティングと称してセリングが行われていることが多い。

可児市(岐阜県)
人口約10万人(約43000世帯)=小さな商圏
なので、継続的に参加してくれるお客さんをいかに作っていくか、が大切。

「カキの森」の文化政策
森林が蓄えていた栄養分が川をつたって海へ流れ込み、海藻やプランクトンの成長を促し、それによって美味しいカキも育つようになる。最初からすぐにカキだけを育てて食べようとしてもうまくいかない。文化芸術も同じ。明日すぐに成果が出ることではない。長い時間をかけて育てていく(マーケティングする)必要がある。

そもそも最初からボタンの掛け違い。
公共文化施設は、まちの様々な課題を貫く横串でなければならない。
しかし、
そもそも既存の文化施設は、単に何かを鑑賞するためにしか設計されていない。
それだと愛好者のためだけの施設になってしまう。
愛好者は人口の2〜3%のみ。その他の97%の人たちには恩恵が無くなってしまっている。
それでは「公共施設」とは呼べない。
公共文化施設は、政策目的ではなく、目的を達成するための「政策手段」でなければならない。
公共文化施設は、社会包摂機関でなければならない。
公共文化施設は、人の賑わいではなく、命の賑わいをつくるための場所でなければならない。

アーラのベンチマーク(測量の時の基点)は北イングランドのリーズ市の公共劇場。
一つの理想的な劇場のあり方。
劇場が単に都市の文化の蛇口ではなく、地域ととても深く関わっている。
教育的プログラムや、高齢者との共同制作などを積極的に実施し、劇場が社会包摂機能を担っている。


地域課題と、劇場の課題というのは、全く異なるものだとされている。
地域課題は、少子高齢化や人口減少、子育て支援、貧困対策、高齢者支援など。
劇場の課題は、何よりも集客。少しでも収入を増やすこと。
アーラでは、アーラがハブとなり、地域課題と劇場の課題を引き寄せて、課題解決に取り組んだ。

アーラでは、劇団文学座とNHK公共楽団と、業務提携契約を結んでいる。
単発の公演を行うのではなく、多様なプログラムを地域の人たちも巻き込みながら実施してもらえるように、包括的な契約を結んだ。

公共文化施設は明確な「事業定義」を行うべき。
文化芸術の目的は、「豊かな心を育てるため」のような曖昧なことではダメ。
そんなことを言っているから、コロナ禍では不要不急のものとされてしまった。
本来であれば、こんな時だからこそ必要なもの、それが文化芸術である。
地方の公共文化施設は、「都会の文化の蛇口」=福祉配給的な施設であってはいけない。
劇場というのは、お互い様の公共圏。だから人種や性別、障害のあるなし、所得の高い低いなどで差別してはいけない。
「文化芸術=生命維持に必要不可欠なもの」

成果の見える化(数値化)
EBPM(エビデンスベースドポリシーメイキング)が文化庁ではなかなか進んでいない。
文化芸術の価値や効果は数値化するのが難しい。
長期的目線で捉えるものだし、劇場で体感する部分も大きい。
しかしながら、文化芸術の二次的な価値をしっかりと認識し、数値化することはとても重要だし、必要なこと。
どうせわからないから、とか、芸術ってそういうものだから、なんて言っていてはダメ。

アーラの実践と成果
・子育て世帯向けのワークショップ
 生活の中で孤立してしまう子どもと親たちを対象。年間260回以上開催。
・祈りのコンサート
 東日本大震災の被災地で活動する傾聴ボランティアの方々を対象に、アーラでの鑑賞チケットを送付する。

・足長おじさんプロジェクト
 地元企業などからの寄付を財源として、地域の方々に鑑賞チケットを送付する。
・足長おじさんプロジェクトfor family
 同じ取り組みを、生活が苦しい状況にある世帯を対象に行う。家族で同じプログラムを鑑賞してそれについてみんなで話し合ってもらうための企画。

これらの取り組みによって、
観客数3.6倍。
経済波及効果12億3000万円。
誘発係数2.57(通常の倍)
また、地元の高校でのワークショップを開催したら、高校の中退者数が三十人も減少した。
劇場を運営することは、社会的インパクト投資(ソーシャルインパクトボンド)でもある。

公共文化施設は芸術の殿堂ではなく、人間の家である。


<part2:坂崎 裕二氏の講演>

衛さんが来るまでは、自分たち職員も、おそらくほとんどの市民も、アーラは普通の鑑賞施設だと認識していた。
衛さんが、「社会機関」なんて言い出したから、何を言っているのかみんなわからなかった。

坂崎さんは、アーラに来る前は、可児市の社会福祉協議会で働いていた。福祉の現場では命に関わるケースも多く、精神的にも負担が大きかった。
アーラに移って、もっと違う仕事だと思っていたら、衛さんから社会包摂機能とか、福祉的な役割も担うという話をされて、ああまた福祉か、、、と正直思った。

困惑する職員たちに対して、衛さんは毎月2回ゼミを開催した。
毎回のゼミでは、衛さんが自分の考えをとても丁寧に説明してくれた。

そもそも、坂崎さんたち職員にとっても、市の劇場運営の明確な指針や目標などはなかった。
自分たちがなんのために仕事をするのか、誰もはっきりわかっていなかった。

衛さんはそれを明確に定義してくれた。「真っ暗な海に灯台が灯された」ような感じだった。

ゼミのおかげで、言葉を揃えることができた。
基本的な考え方の共有ができた後は、むしろ自由に、市民や学生たちとアイデアを出して、やりたいことをやれ、という感じだった。

(衛さん)
経営者の仕事は、職員のやりがいを作ること。
ほとんどの公共施設の職員は「活きていない」。もっと活き活きと仕事をさせてあげるべき。
それが本来の働き方改革。
この仕事が誰かのためになっているという実感を持てるかどうかが大事。

<まとめ>
「とにかく愚直にやるしかない」。目に見える大きな事業を行う必要はなく、小さくてもしっかり考えた意味のある取り組みを、愚直に続けていくしかない。呼んでもらえればいつでも応援に行く。ぜひこんな劇場運営をしたい人は呼んでほしい、地方自治体がトライするための制度づくりも進めている。様々な人たちと横でつながって活動を広げていきたい。


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